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お義母様はすぐに私を女中らに言って布団に寝かせてくださいました。お医者様を呼ばれたようです。
しばらくしてお医者様が私を診察してくださいました。私は安堵したのかすぐに眠りについてしまいました。それから、目が覚めるとひどくがっかりしたようなお義母様が私の足元に立っていらっしゃいました。顔は青ざめており、目は潤んでおりました。視線はどこに向かっているとも取れず、彷徨っています。お義母様は私が目覚めていることに気がついていないようでした。
何かをブツブツとつぶやいています。起きていることを悟られない方がいいのでしょうか。私は息を潜めました。しばらくお義母様の言葉に耳を傾けていると、一つ気づきました。跡継ぎのことを嘆いているのでした。私が吐いたのを悪阻であることを期待していたのでしょう。産めもしないただ飯食らいと罵っているのでした。石女と言われようとも種がなくては実ることはないのに。
もう涙も出ません。お義母様がそういう方であることは知っておりました。でもやるせない気持ちはどうしようもありません。先ほどあれだけ吐き出したのに、また靄が溜っていくのです。
お義母様はそのまま半時ほど私を責め続けていました。その後、ふっと糸が切れたかのように静かになり、部屋から出て行かれました。私もゆっくりと体を起こしました。どうしましょう。どうしてこんなにも凪いでいるのでしょう。凪いでいるのに薄皮一枚剥がしたら恐ろしいまでの衝動があるのです。どうして。その想像はとてつもなく恐ろしいのに、私は少し気を許したら実行してしまいそうで、こんな人間だったのかと驚くばかりです。
いえ、こういう人間だったのです。私が純真無垢でないことくらい、とうの昔から知っておりました。お母様。私はどうすれば良いのですか。
誰も私に道を示してくれる人は居りません。
わかっていたことではないですか。
私は無力なのです。あるのは軽薄な驕りだけ。私は声を上げて笑いました。
不意にこみ上げてきたのは自嘲でした。
私は愚かだったのです。構ってほしいと駄々を捏ねる子と同じです。分相応に生きていないのは私。
それでも胸の内にある熱いものを消すことは出来ません。納得と理解は別のものです。体を起こすと、不思議なくらい頭がすっきりとしておりました。今までが嘘のようです。あんなに重かった身体も心なしか軽いのです。私に必要だったのはほんの少しの睡眠。休息。
全て壊れてしまえば良いのです。
そう、そうです。全て壊れてしまえば良いのです。愚かな私。私を顧みてくださらない旦那様。陰で私を蔑むお義母様もお義父様も。そして憎い旦那様が通う女。あゝ私が何をしたというのですか。
傲慢であることは罪でしょう。しかしそれは許されないものでしょうか。
私は走り出していました。着物の裾が捲れることも気にせず走るのなど、月のものもまだ来ていなかった子の時以来です。得体の知れぬ解放感が私を包んでいました。
足の裏が嫌に冷たい。しかし苦ではありませんでした。時々痛みもありました。それは革命のようでありました。解放には痛みがつきものなのです。これは解放の痛みなのです。
私は自由なのです。
今までは卑屈になりすぎていたのです。狭い世界では傲慢になっても仕方ありません。視野が狭く自分以外が見えていなかったのです。今も自分しかありません。それでもいいのです。卑屈になり自身を貶めるよりも、驕っている位の方が度胸があるというものです。
驕るなかれ。いいえ、私には誇れるものがないのですから驕っているとも言えぬはず。
怖いものなど何もないのです。足が勝手に動きます。まるで行きたいところがあるようです。私は自分の足に任せることにしました。
自由な足はとても軽やかです。
そして程なくたどり着いたのは、旦那様の書斎でした。そこは普段私は立ち入りを禁じられております。もちろん入るのは始めてです。物珍しさで私は好奇心をかきたてられました。たくさんの書籍があります。孟子や孔子も、それに基督についての本もあるようでした。私も本は好きです。しかしあまり家で読むことを良しとされていなかったため、隠れて読んでおりました。たくさんの本。私はどれだけこれらに憧れたでしょう。英語の本もあれば蘭語の本もあります。昔少しばかり独語を習ったことがございました。難しいものは読めませんが。墨と紙のにおい。ややくたびれた本たちは旦那様が何度も読み返したことを示しています。愛おしい女に触れるように大切に扱われているようです。
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