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私がこの老人と直接会ったのはこの一度きりだけだが、それから数カ月後、睡眠薬を貰うために病院に顔を出した時、彼の担当医から後日談を聞いた。
なんでも数カ月の間に老人は一度大病を患い、そこに思うところがあったのか、噂の山へ様子を見に行ったのだと。流石に病み上がりの老人を平然と野放しには出来ず、かといって言って聞く相手ではないので、仕方なく医者も同行したのだそうだ。
だが、老人が話していた山にはたどり着けなかった。それは、道が封鎖されていたとか、噂の脇道が見つからなかったとか、そう言うことではなく。
件の黒い三つ子の山が、そもそも景色の中になかったのだという。
始め旅館からの景色の中に黒い山も、そもそも三つ子の山すらないことに気付いた老人の狼狽ぶりはよほどだったらしく、医者は愉快そうにその時の事を思い返していた。
一方で記憶の方は大したもので、老人は一度しか行っていないにも関わらず、旅館から山までの道を迷うことなく進んでいったという。
だが肝心の脇道の前に来て、彼は力なくその場に崩れ落ちた。脇道はあった。だがその道は、前途した別の山への登山ルートの一つとなっていた。
「騙された、とぼやいていましたよ。自分に全部押し付けるだけ押し付けて逃げやがった、と。本人がそういう質でしたからね。思い当たる節があったのでしょう」
老人は以降、突然山彦を返すような真似はしなくなった。その代わり苛立たし気に、
――うるさい! なんで私が山彦の真似事なんかしなきゃならんのだ! 誰が返事なんぞするものか!
そうやけ気味に叫ぶようになったとか。
「だけど最近は大人しくなってきましたよ。またブツブツと小さな声で、「やっほー」って言ってるんです。ノイローゼの一種ですね。すっかり性格は暗く、引きこもって蹲るようになってから、あちこち染みだらけになって、見た目も黒ずんじまってね。案外本当に、このまま話に聞く山の身代わりになってしまうのかもしれませんよ」
だが、そこまで聞いてもなお、私はこの話を老人のほら話か、壮大な妄想だと考えている。
もし三つ子の山が本当にあったとして。彼がそこの山彦の身代わりになってしまったとして。
そしてその山が、身代わりを立てたのをいいことに姿を消したというのなら。
今彼が聞いているという山彦は、いったいどこから響いてくるものだというのだろう。
まぁ、それでも。
この後日談で、被害者ぶる人間の語る怪綺談ではなく、自分勝手な人間の因果応報で締めることになったのだから、その末路を思えば、笑い話としての価値くらいは生まれただろう。
相変わらず、記事にするほどではないが。
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