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ママ、ただいま!
通りすぎる車や、怪訝そうな顔をする近所の小学生たち。近くの安い老舗スーパーで買い物をしたと思しき親子連れの群れを通り越して、ようやく着いた!
団地だ団地だ!
ママの待つ、俺たちの愛の巣だ!
「ママぁ、ただいまぁ~!!」
「おかえり、ともくん♪」
あぁ~、これこれ!
やっぱり疲れた心身にキクなぁ~~!
このあどけない『おかえり♪』を聞くために、俺は毎日柄でもない肉体労働でも頑張れる! ママのぷにぷに柔らかな膝枕にダイブして、ぬくぬく体温の腹に抱きつく──ふぅ……、ふぅ、この瞬間に勝る幸せはないぜ!
当たり前だが、ママは母親ではない。俺がママとして育て上げた斉川琴音ちゃん(10歳)だ。いや、琴音ママだ。
ママと出会ったのは去年の冬、近所の小学校に忍び込んで徘徊していたとき。脱ぎたて体操着を求めて侵入した俺に、「どうしたの?」と声をかけてきたのが琴音ママだった。
あどけない顔。
心配そうな眼差し。
ちょっと緩めの体操着に包まれた、理想的なフォルム。
一目見た瞬間、思ったんだ。
俺のママは、彼女しかいないと。
俺の人生に欠けていたのは、小学生のママだったのだ──社会の荒波で疲弊しきった俺を子ども体温で優しく包み込んでくれる、子ども体温と子ども手触りのママこそが、俺の人生に必要なものだったのだ、と。
* * * * * * *
かつては市の目玉だった団地の、今となっては現存する数少ない居住可能な建物。その一室で、俺は琴音ママの膝に頭を乗せて、ママの柔らかくて温かい手の感触を頭で味わっている。
「ママ、今日も俺頑張ったよ? 嫌味なやつらからたくさんチクチク言われたけど、逃げずに仕事したよ」
「そうなんだ、ともくんは偉いんだね~。がんばり屋さんね、よしよし」
「ママぁ……」
はぁぁ~~、子ども体温最高。
ママの温もり、優しさ、プライスレス。
別に、俺は嫌らしいことをしようってんじゃない、ただ小学生のママに甘えたいだけだ。子ども体温にくるまって、柔らかお手々で撫でられて、あどけない声で耳を慰撫して、優しく癒してほしいだけなんだ。
琴音ママをママにするのは、容易かった。
大学で学んだミルグラム実験の要領で、ママに「ママ」としての役割を染み込ませるだけ。最初は役割として演じていた「ママ」だが、今のママは自然体だ。この団地に来れば、ちゃんとママになってくれる。俺を自分の「子ども」のように扱って、「ママ」として俺のことを優しく包み込んでくれるんだ。
やがて、ママは俺の髪を撫でていた手を下ろす。
その笑顔はとても優しくて、やはり心が洗われる。
「ともくん、今日のごはんは何がいい?」
「葉しょうが!」
「そっかぁ~、ともくんはママの葉しょうが大好きね。じゃあ用意するね」
家庭科の授業で作ったような子どもじみたエプロンを着けて台所へ向かうママ。
最高だな、小学生ママ。
ありがとう、琴音ママ。
子ども体温ママ、最高。
ぬくぬくしたいよママ。
初めて会ったときより少しだけ育った後ろ姿を見ながら、俺はふと思った。
もう少ししたら、ママにも初潮が来る。
そうしたら、大人になるのか。
大人になる、ママが?
考えもしなかった可能性に、頭が真っ白になる。
大人になったらどうなる?
俺がどうしようもない大人だと知ってしまうんじゃないか?
そうしたら、ママはママじゃなくなるんじゃないか?
考えないようにしていても、ネガティブ思考が身に付いた頭は無駄に蓄えた知識や空想癖を巻き込んで最悪の未来図を描き出す。
吐き気と眩暈がひどい。
救いを求めて琴音ママを見たとき、隣から囁き声が聞こえた。
「私なら、この部屋の時間を永久に止めて差し上げますよ?」
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