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 咲良(こいびと)を埋めた後、でたらめに車で走って逃げていた。  死体から遠ざかれば遠ざかるほど、自分の身の安全が保障されるような気がして、バカなのは重々承知だけど、遠ざかるためならロクに整備していない道でも、ロープで仕切っている道だろうとも、構わずに山中を車で突っ走った。  私有地の看板も途中で見た気がするけど、社会的な常識よりも、今、優先することは自分の身の安全であり、疲労の蓄積が判断能力を著しく低下させたのは確かだ。  陽が沈んで周囲が闇に沈み始めても、どんなに車を走らせても町に出ることがなく、ずっと山を走ることに疲れきっていたタイミングで、下り坂の道の先に山小屋を発見した。しかも、小屋の脇に駐車するためのスペースがあり、まるで誘っているかのようだった。  お腹が空いた。  早く寝たい。  山小屋の窓に(とも)るオレンジの光を見つけた途端、どっと肉体の疲労が波のように押し寄せてきた。  ハンドルを握る手が疲労でゆるみ、下へと落ちそうになる。緊張続きでぷるぷると震える()の腕と脚、張りつめて痛み始めた首肩(くびかた)と、軋むような頭痛が限界を告げて、オレの頭は休むことしか考えられなくなった。  駐車スペースに車を停めて、ゆっくりと山小屋を見上げると、思ったよりも建物がデカいことに気づいて、なんだかヤバイと直感する。外観は三角屋根の二階建てコテージだが、割り当てられた個室ごとにベランダがあり、洗濯物が干されている光景には、休憩小屋や別荘とは違う生活の臭いと(いとな)みが感じられた。 「おい、誰か集会に遅刻したか?」  窓の向こうにいる人間の気配が、車が駐車する音を聞きつけてガヤガヤと騒がしくなり、キャンキャンと犬の鳴き声が聞こえる。  逃げないと!  自分の直観が確信に変わって、車へ乗り直そうとした瞬間。 ――パン!  足に衝撃が走り、視界が暗転した。  (あと)から聞いた話だが、その場にいたうちの一人が、オレを逃がさまいとベランダに出て、足に向けてエアガンを撃ったらしい。  電動式の改造エアガンは、見事にズボンの布地を貫通して、オレの右脚に傷をつけた。 ◆  目を覚ますと、無数の視線が矢となってオレに降り注いだ。  肌に感じる周囲の怒気(どき)が、意識の覚醒を促して、反射的に起き上がろうとすると、縛り上げられた身体と右足に痛みが走る。  思わぬ痛みでびくんと跳ね上がるさまは、まな板の上の(こい)のようだ。 「ここは?」 「俺たちの拠点だ」  誰に訊くまでもなく、(ぼう)(ぜん)と疑問を口にしたら、近くにいた男が答えてくれた。  男はオレの父親と同年代ぐらいで、白髪交じりの四角い顔に鋭い目をしている。 「俺の名前は大山(おおやま)だ。お前の名前は?」 「仁木(にぎ) ヒトシ」  名前を名乗ったせいかのか、周囲の視界が鮮明になり、リビングらしき空間と、自分たちを取り囲むジャージを着た大勢の男たちと、白い毛を持つ大きな犬が四頭(よんとう)確認できて、彼らの怒りに満ちた目が、オレに最悪の事態を想定させた。  そう、ここいる犬によって、埋めた死体が見つかったのだと。 「すいませんっ。許してください! 殺すつもりはなかったんです。警察に自首しますので、どうか、どうか、許してくださいぃっ!」 「……お前、なにを、勘違いしているんだ?」  大山の声が震えている。  鋭利さを感じさせる瞳を驚愕に見開いて、少し間抜けな印象になった顔。ややあって、大山なりに現実を飲み込んだ時、彼の顔が一気に老け込んだ気がした。 「おい、ここらへんが女人禁制の山だって知っているのか?」 「え」  次に驚いたのはオレの方であり、周囲の空気が一層(いっそう)冷え込む。  この時になって、ようやくオレは私有地の看板の存在を思い出し、自分が殺人を自白したことに気づき、周囲の男たちの怒りに、さらなる燃料を投下(とうか)したのだと察っした。 「お前の乗ってきた車を調べたら、血の跡があった。殺した後、死体をどこにやった?」  大山はなるべく感情を抑えてオレに訊く。  中途半端な嘘や誤魔化しをしたら、この場の全員からリンチにかけられる可能性が、燃え上がる炎のように高まるのを感じて、オレは観念した。 「恋人を殺して、死体を山に埋めました。けど、埋めた場所が、あなたがたの言う、女人禁制の山かどうかは分かりません」  そんな言い訳が通用するほど、事態は甘くなかった。  
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