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オレたちにとって、大学最後の夏休みだった。
恋人の岩波 咲良は、卒業後に就職せず、そのまま大学院に進むため、専攻である民俗学の課題レポートをこなす必要があった。
レポートを書くために、目当ての神社や郷土資料館へ行くには、車を運転できる恋人の存在は必要不可欠であり、それを承知していたからこそ、オレはただ、彼女に対して、対価を、感謝を、一つでも返して欲しかっただけなんだ。
「いいから、ヤらせろよ!」
「……ゃ!」
本当はこんなこと言いたくなかった。
けど、旅行をする以前から、なんどもなんども同じことを繰り返して、ついに彼女を手に掛けてしまい、死体を山に埋めるハメになった。
最後に彼女と行った場所は、日本神話に登場する【石長比売】が祀られている神社で、健康長寿の御利益があるとされていた。
せっかくお参りしたのに、殺人で命を落としたという皮肉。
別れ話の段階を飛ばして、オレの方が捨てられる可能性が高い現実と向き合わず、流されるままに罪を犯して呪われた。
あぁ、なんて救われないんだ。
◆
「仁木君って、おもしろいよね。石長比売が、じつは男だったのではないかって視点は、私にはない発想だったわ」
「はぁ。どうも」
最初は社交辞令だと思った。
民俗学はオレにとって、必要単位を稼ぐための講義の一つであり、論文なんて真面目に書いているわけがなく、論文の発表に対しても言わずもがな。
所属しているのは経済学部で、OBと覚えめでたく、大学卒業後には地方の銀行に勤めることがほぼ内定していたというのに、食堂で彼女に話しかけられてから、完全に人生が狂ってしまった。
「ねぇ、もっと君の話を聞きたいんだけど、時間いいかな?」
こんなにも、ひたむきで真っすぐに、誰かに見つめられたのは初めてだった。それが、オレを利用するつもりだろうとも。
「別にいいけど」
◆
日本神話に登場する太陽の女神――天照大神。
彼女の孫にあたる瓊瓊杵尊は、木花之佐久夜毘売の美しさに一目惚れをして、彼女の父に使者を送り、結婚を申し込んだ。
喜んだ父こと、大自然の神である大山津見神はニニギの元にコノハナサクヤと、その姉である石長比売を嫁がせるのだが、イワナガヒメは岩のように醜い容姿を理由に、実家へと送り返された。
コノハナサクヤは繁栄を司る女神。
対する、イワナガヒメは永遠を司る女神である。
この二柱の女神を娶れば、ニニギは永遠の繁栄を手に入れるはずだった。
だが選んだのは繁栄のみであり、拒絶されたイワナガヒメは妹を呪い、その伝説が元となって、嫉妬深い山の女神と女人禁制の聖域が生まれ、地方ごとの特色と時代の変遷によって内容を変えながら、現在まで語り継がれているのだ。
そこで、オレは疑問を持った。
永遠を司るのなら、思考も感情も必要ない。
女性は妊娠出産を経験し、男以上に肉体的変化が激しいのであるから、永遠を司るには不向きな存在である。
もしかしたら、イワナガヒメは、男なのかもしれない。
「その時のオレは、そんなに深く考えていなかった」
大山に問われるがまま、恋人を殺した経緯を話していたはずが、いつの間にか日本神話の考察に話題がすり替わっていた。
シロキチのふさふさな白い尾を見つめながら、山の中を彷徨う現実と、脳内に漂う過去の残滓を混ぜ合わせて恐怖をやわらげ、歩くごとに右脚のズボンの下が、水音を立てながら蠢いていることに、気づかない振りをする。
なぜ、イワナガヒメの父親は、永遠を司る我が子を嫁がせたのか。
もしや拒絶されることを前提に送り出し、永遠という概念を壊そうとしたのだろうか。
「もしかしたら、元々女でも男でもない存在だったのを、神格が高いニニギに拒絶させることで、イワナガヒメの存在を壊して、女神として存在を確定させ、嫉妬と呪いを内に秘めた不安定な存在へと変質させたのなら」
永遠は停滞であり、安定が無を招くのなら、それは死と同義。
生まれながらに死んでいた存在のイワナガヒメは、ニニギに拒絶されたことで命を吹き込まれた。
そうしないと、正反対の属性を持つ妹と、共存することができないから。
だが、その結果が毀損された永遠と安定であり、行きつく先が、今の状況を物語っている。
見た目。見る目。他者の視線には強制力があり、神の視点が永遠を醜いものだと拒絶した。
オレたちが住んでいるのは、つねに不安定な世界。禁が破られると、罪人の傷口を現世の入り口とする、この世界には存在しない化け物が出る。
オレの考察はただの現実逃避で、妄想を飛躍させているだけかもしれない。
けど、それでも、オレは、他人の見る目が怖い。
――ワン! ワン!
シロキチが土を掻く動作をして、オレと大山は足を止めた。
大山が懐中電灯で、シロキチがいる場所に光の輪を作ると、下の地面が周囲の地面と色が違っているのが分かった。
オレが、咲良を、埋めた、場所。
やっと、辿り着いた。
「死体を掘り起こすぞ! 一緒に手伝え!」
「はい!」
まるでオレを嘲笑うように、右脚のメメたちが蠢いた。
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