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第三話 紅雨前線
雨の季節が本格的に到来し、札幌市内もまた土砂降りの日が続いている。
ススキノの路地裏を少し奥に入った箇所にあるごく小規模なコンビニエンスストアでは、切れかけの白色灯が客や店員の顔色を青ざめたようにみせていた。
どの顔にも精気がなく、疲れ果てたように気怠くみえるのだ。
もっともこのような光景は昼間のススキノでは当たり前の日常に過ぎなかった。
「……いらっしゃいませ」
入店時の声掛けもどこか虚ろに響くのみで、新しく入ってきた客はぞんざいに傘を畳むとそのまま雑誌コーナーへと進み、週刊誌を手に取った。
シーズンごとに用意された店内放送が申し訳程度に雰囲気を和らげているが、長雨続きのために苛立っているのか、レジを待つ利用客もそれに対応する店員もどこか焦れ込んでいるようだ。
店内の時計は午後二時十五分をさしている。
仏花とミネラルウォーター、それに煙草を購入した春は雨宿りを諦めて、足早に店を出た。長居すればトラブルに巻き込まれそうで嫌だった。それにコンビニの明かりを少し苦しく感じたからだ。
雨の日であれば、春も日中に行動することができる。
要は太陽の光を浴びなければ平気なのだ。それでも肌を晒す気にはならず、念の為に厚手のレインコートを纏っているのだが。
そのまま路地裏を歩き、かなり入り組んだ先へと足を踏み入れる。
周辺の治安がよくないのは知っている。
だから敢えて止まったりはせず、堂々と歩いて行く。
やがてバリケードテープが張り巡らされた駐車場跡地に辿り着いた。
駐車場としての役目を暫く前に終えて久しいが、看板や車止めのブロックはそのままになっている。行き止まりの空き地と化して数年が経つ場所だった。
雨に晒され、だいぶ薄くなっているが、白いチョークで目印をつけた痕跡をかろうじてまだ見ることができた。
そこは通称〈雨男〉による連続殺人事件が起きた六番目の現場だった。
献花されて間もないまだ新しい花束に自分が持ってきた仏花を足してやると、春は軽く手を合わせて瞑目した。
……まだ、僕は君を見つけられずにいる。
目を開けて、チョークで印がつけられた箇所にしゃがみ、黒く変色して見える血の痕に手を触れる。
触れたからといって何かがわかるわけでもなかったが、ただそうした。
――これは僕が犯した過ちに対する罰だろうか。
僕を罰するために君はこんなことをして回っている?
だとしたら、そんな怪物を生み出してしまった僕はどうしたらいいのだろう。
「……わかってるよ。もうわかっている」
小さく声に出して自分に言い聞かせる。
自分の手で探し出して、凶行を止めなければならない。
これ以上、あのひとが罪を重ねる前に。
雨のせいで匂い――気配が掻き消されて、うまく辿れない。
けれど、この場所にも微かに血の匂いが残っていて、ここで起きた惨劇の残滓を感じ取ることができた。
このままでいいなんてこと、あるわけがない。
愛した相手が血肉を欲するだけの怪物に成り下がってしまったことを放っておけるわけがなかった。
だから、春はこうして時間の許す時に事件現場をめぐっては、〈雨男〉の痕跡を集めていた。
テレビやソーシャルメディアで報じられるニュースを集め、目撃情報を辿り、一つずつ潰していった。
それでもまだ出会えないのは、もしかすると自分の決心がまだ定まっていないからかもしれない。いつしかそう思うようになっていた。
ただ闇雲に探るだけで、本当は無意識に真実と向き合うことを避けている。
あるいは、そうなのかもしれない。
「……また、君に会いたい。そうしたら……」
一人でに呟く。
それを聴くものは誰もいなかった。
春は立ち上がると、その場をあとにした。
雨足がまた強くなってきた。
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