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「聞いてないわよ、もういなくなってしまうなんて」
その日の午後、桐の箱の前に置かれたわたくしは、エナさんと向かい合っていました。
今日は三月四日。えりちゃんとお母様はわたくしたち雛人形を片付け始めました。お内裏様も三人官女も、もう和紙を巻かれて桐の箱にしまわれました。
今お母様とえりちゃんは作業を中断されています。ちょうど近所の方が回覧板を届けにいらして、おふたりともご挨拶とおしゃべりで玄関に出ているのです。
「また一年後にお会いできます」
わたくしがそう言うと、エナさんはちょこんと私のすぐ隣に座りました。
「お礼を言ってなかったよね。助けてくれてありがとう」
「違います。わたくしはえりちゃんのためにあなたを助けたのです。お礼を言われるようなことはありません」
「そういうのツンデレって言うのよ」
「つんでれ……?」
わたくしは眉をしかめます。エナさんはふふっと笑うと、
「あのね、最初、雛ちゃんのこと好きじゃなかったんだよね。私は今はえりちゃんの一番だけど、たぶんそのうちそうじゃなくなるかもしれない。そうなったら捨てられる。でも雛ちゃんはそうじゃない。えりちゃんにも、えりちゃんのママにも大事に大事に扱われている」
わたくしはまじまじとエナさんを見つめました。
「わたくしも、エナさんのことを好きじゃなかったのですよ。わたくしの方が長くえりちゃんのおそばにいるのに、わたくしよりえりちゃんと仲良くなさっていて。ーーそれに、素敵なお召し物もたくさん持っていらして」
「雛ちゃんって、本当に頑固で気位が高い」
「エナさんは、本当に軽々しくて思ったことをすぐしゃべる」
雛人形とおもちゃの着せ替え人形ーー、エナさんとわたくしはまるで正反対だ。
「ですが」とわたくしは口を開きました。
「わたくしたちはふたりとも、えりちゃんの幸せのためのお人形です」
「それにね、もうひとつある。私たちはーー」
エナさんが言いかけたとき、リビングにぱたぱたと近づいてくる二組の足音が聞こえてきました。えりちゃんとお母様です。エナさんは慌てておもちゃ箱に戻りました。
「さあ、えり。片付けちゃおうね」と優しく言ったお母様に、えりちゃんは「うん」とうなずきます。
お母様がわたくしを取り上げ、桐の箱にしまおうとした瞬間、おもちゃ箱のエナさんと目が合いました。エナさんの声にならない声が、わたくしの耳に聞こえてきます。
「私たちは素敵なおともだち。そして、わたしにとってあなたはワンダフルドール。マイワンダフルドール・雛よ」
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