4.珈琲

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様々な思いに浸りつつも、僕はようやく豆を挽き終える。 白い陶製のドリッパーを取り出して大振りのコーヒーサーバーの上にそれを置き、それからペーパーフィルターをセットする。 拡げたペーパーフィルターの中へ挽いた粉をパラパラと注ぎ入れる。 「ピーッ、ピーッ!」と甲高い電子音が響く。 電気ケトルのお湯が沸いたことを報せる音だった。 白い電気ケトルを右手に持った僕は、それを慎重に傾け、ペーパーフィルターに盛られた茶褐色の粉の真ん中付近へとお湯をポタリポタリと注ぎ入れる。 それは『豆の香りを引立てる』ための手順とのことだそうで、珈琲を淹れる時の彼女の拘りだった。 「ありがとね」 コーヒーの薫りがふわりと立ち昇る中、彼女の囁きが響き来た。 それが幾分か湿り気混じりで、くぐもったものであることに僕は戸惑いを抱く。 けれども、まじまじと視線を注ぐことは何となく憚られてしまったので、それに気付かぬ態で彼女の様をちらりと見遣る。 彼女はその両手の指先を瞼へと当て、くいくいと押していた。 両手の狭間から見える彼女の口は食い締めるように固く閉じられていて、そして細かく震えているように見えてしまった。 先程に彼女が発した「ありがとね」の響きは宙へと吸い込まれたように思え、何とも形容し難い沈黙が芳しい珈琲の薫りと共に漂っていた。 先程に沈黙を破ったのは彼女だったし、今度は僕の番かなとも考えた。 けれども、どんな言葉を発したほうが良いのかと戸惑うばかりだった。 沈黙を破るようにしてガタンと音が響く。 ハッと顔を上げて見遣ると、彼女は椅子から立ち上がっていた。俯いていたため、その表情を見ることは出来なかった。 「やっぱりさ…、珈琲はいいよ。 折角準備してくれたのに、ごめんね。もう…、帰ることにするよ」 呟くように、吐き出すようにそう告げた彼女は、何時に無く荒っぽい様にて上着を羽織る。そして、財布の中から幾枚かの紙幣を無造作に取り出してテーブルの上へと置く。 「悪いんだけどさ、荷物の発送お願いね!」 その言葉を最後に、彼女はそそくさと部屋から歩み出て行った。躊躇いも見せずに、振り返ることも無いままに。 錠を開ける音が「カチャリ」と小さく響く。 外の空気が流れ込んで来た所為か、部屋の空気が急に冷え込んだように感じられた。 それに続いて「ガチャン!」と扉を閉める音が聞こえて来る。 その音は妙に大きくて、その響きは虚ろめいていた。 椅子から立ち上がって部屋を出て行くまでの間、彼女が僕と目を合わせることはついぞ無かった。
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