5.自虐

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大学生の頃、久里浜と僕はランニングサークルに属していた。 『サークル』とは言っても、然程にお気楽な雰囲気のものでは無かったように思う。 僕の通っていた大学は、スポーツに関しては名門の部類に属していた。 その所為か、『陸上部』はインターハイなどで優秀な成績を納めていて、大学でも全力で部活動に励むような学生たちによって占められていた。 謂わば『運動のエリート達』が集うような『陸上部』に入れるような実力は無いけれども、高校でそれなりに頑張っていて、そして大学でもマラソン大会などに挑戦してみようという相応にやる気のある学生を擁していたのが、久里浜や僕が属していたランニングサークルだったのだ。 週に三回は合同練習があり、ウェイトトレーニングも推奨されていて、冬になると義務のように近くの市で催されるフルマラソン大会へと参加し、サボりが続いてしまうと先輩達から呼び出されて説教されてしまうという体育会寄りな雰囲気のサークルだった。 とは言え、陸上競技という個人競技の特徴からか、相互の干渉や人間関係はさほど五月蠅いものではなかった。 球技のように他人との連携を気にすること無く自分のペースで黙々と走ること自体は僕の性に合っていたし、それは久里浜も同様だったんだろうと思う。 久里浜は僕よりも少し背が低くて、姿勢はやや俯きがちで、サークルで出会った最初の頃からも鬱々とした雰囲気を漂わせていた。 『鬱々』とは言っても、彼が漂わせる雰囲気は他者を拒むといった性質のものではなく、むしろ似たような性向を持つものを引き寄せてしまうような、例えるならば誘蛾灯のようなものだったように思う。 マラソン大会の後や年末年始、あるいは新歓シーズンなどに行われるサークルの宴会では、僕も久里浜もいつの間にやら端っこのほうでポツンと飲んでいるようなタイプだったので、そんな機会を通じて次第に話すようになっていった。 久里浜は焼酎のお湯割りをチビリチビリと飲み、あまりお酒が強くない僕は梅酒ソーダなどのグラスを申し訳程度に前に置き、喧噪の輪の外でボソボソと言葉を交していたものだった。 久里浜が漂わせていた鬱々とした雰囲気は、彼が自分の在り方について常々から悩みを抱いていることによるものだろうと思っている。 彼はコツコツと努力を積み重ねるタイプなためか勉学の成績は優秀だった。 そして、ストイックに走り込みを続けている賜なのか、マラソン大会の成績だってサークルのメンバーの中で上位に属していた。 けれども、彼は何故か根深いコンプレックスを抱いていたのだ。 自分がこの世に在ることが許されないといった、謂わば原罪的な意識も抱いていた。 そんな久里浜が口にする鬱々とした話は、僕にしてみれば決して疎ましいものではなかった。 訥々と語られる彼の葛藤は僕の心象に近しい部分も往々にして在ったし、共感させられることだって多かった。 そんな彼の話に耳を傾けているうちに居たたまれなくなってしまい、彼を慰めること、はたまた力付けようとすることもあったりした。 勉強も出来るんだし、マラソンの記録だって秀でている訳だから、そんなに卑下することなんて無いじゃんと言い聞かせたりしていたものだった。 けれども、久里浜の態度は頑なで、そのコンプレックスや自己無価値観は微塵たりとも揺らぐことは無かった。 呆れ半ばといった思いを抱きながらも、彼の有り様には興味を惹かれるものだったし、そして僕自身も彼と話している中で、自分の在り方を受け入れているような感覚も抱いてはいたから、大学生時代を通じて付き合いは続いた。 社会人になった今でも、年に幾度かは会うなどしている。言うなれば『付かず離れず』といった塩梅の付き合いが続いてはいる。 その久里浜は大学を卒業してからは大手の出版社に務め始め、生真面目さが買われてか、それなりに重宝されるポジションに居るらしい。
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