3.温度感

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元からそれなりに会話を交す間柄だった僕と久我山を更に近付けたのは、件の著者の作品だった。 孤立的で影のある主人公、暗くて訥々した自分語り、決して前向きでないストーリー展開、そして曖昧で幻想的な結末などは、やや斜に構えた性行の僕や久我山にとっては何とも魅力的なものと感じられた。 あの表現良いよなとか、あの展開は訳が分からないよな等々、酒を酌み交わしつつ喧々諤々と語り合ったりしていたものだった。 その著者の新作が出た時などは、一緒に読書カフェといった場所へと出掛け、本を読み進めながらあれこれと語り合ったりしたものだった。 とは言え、その著者の作品に耽溺していたのは入社して間も無い十年程も前の事だった。 今となってはその作風は鼻に付いてしまうのだ。 おそらくは、実際の久我山にしてみてもそうなのだろう。 『お前だってそうじゃねぇか?』との問い掛けに対し、「まぁ、そうだけどさ…」と、やや語尾を濁しつつ答えを返してみる。 久我山はその顔にニヤリと笑みを浮かべる。そして、こう問い掛けて来る。 「でさ、こんなとこで何をしてんの?」と。 僕は思わず言葉に詰まる。 自分が置かれている状況を客観的にどう言い表すのかについて考えたことは無かったし、そのことを問われる機会があるなどと思ってもいなかったのだ。 とは言え、黙ったままでいるのも何だか癪なので、こう答えを返してみる。 「う~ん…。敢えて言うならば、『他律的』な自分探しってやつかな?」と。 「プッ!」と噴き出した久我山は、今度はこう問い掛けて来る。 「『自分探し』が好きなのは前々から分かってたけどさ。でもさ、『他律的』って何なのよ?」と。 そこで、僕は考える。 この状況は確かに『他律的』なのだろう。 半ば無理矢理に放り込まれた状態であることは疑うべくも無い。 とは言え、それを受け入れたのは他でもない僕自身であったりもするのだ。 しばし考えた挙句、僕はこう言葉を返す。 「ごめん、厳密には正確な表現じゃなかったわ。 確かに状況は『他律的』だけれども、それを良しとして受け入れたのは俺自身な訳だから、『他律的』であり『共犯的』であると言うのがより妥当な表現かもしれない」と。 久我山は「はぁ…」と溜息を吐いてから、「『他律的』且つ『共犯的』な自分探しかよ、ますます意味が分かんねーよ」と、確認するかのように口にする。 そして、「相も変わらず色々と迷走してるね、何だか安心したよ」と感想を漏らす。 やや呆れたようなその口調は、そこはかと無く僕を苛立たせる。 「うるせぇなぁ…、軸がぶれてるのはそっちだって同じだろうよ」と、やや憤った口調にて言葉を返してみる。 久我山は目を細め、その肩を大袈裟にすくめて見せる。 そして、僕らは声も無いままに肩を震わせた。 ④ 一頻り肩を震わせてから、久我山は手にした本へと視線を落とす。 そろそろ頃合いだなと思った僕は、「じゃあな」と久我山に声を掛る。 久我山は右手を軽く挙げてそれに応える。 そして僕は、久我山の居る部屋から歩み出ようとする。 ふと、頭を過ぎったことがあって、振り向かぬままで、そして軽い気持ちにてこう口にする。 「そう言えばさ。何で俺とお前ってさ、こんな感じに話しをするんだっけ?」と。 「フン!」と鼻を鳴らす音が聞こえた。 今更何聞いてんだよ?と、呆れ半分で笑い半分といったもののようにも思えた。 僕は足を止め、背中を向けたままで彼の言葉を待つ。 僅かな沈黙の後、訥々とした久我山の声が響く。 「訳分かんない事を聞くもんだよねぇ。 そうだねぇ…。まぁ…、温度感ってやつ?」 その言葉の意味を掴みかねた僕は、「温度感?」と疑問を口にしてみる。 まるでしり取りのようして。 相も変わらぬ淡々とした調子にて久我山の声が響く。 「そう、温度感。何て言えばいいんだろ?  そうそう。俺らってさ、相手にあんまり何かを期待しないじゃん。 相手が何か言って、それに共感出来たらそれはそれで嬉しくなるし、それに対して違和感を抱いたとしたら、『え~、何でだよ?』みたいにヘラヘラと話するだけだし。 『オレの考えが正しいだろ!』みたいな『熱い』話にはならないじゃん?  そんなとこかねぇ……」 それなりに腑に落ちた僕は、「なるほどね~」と独り言のように、とは言え久我山の耳には入るであろう程度の声量にて口にする。 そして、振り向かぬままで「それじゃ!」と告げてから、部屋の出口へと歩みを進める。 背後から「おうよ!」と短い返事が返って来る。 出口の前へと差し掛かったところで、何の気無しに振り向いてみる。 黒布張りのソファーが視野に入ったけれども、そこに久我山の姿は無かった。 やっぱりそうだよなと納得した僕は、小さく頷きつつ部屋から歩み出る。 『温度感』という彼の言葉を胸中にて反芻しながら。
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