4.珈琲

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最期に逢ったのは、僕の部屋に残されていた持ち物を彼女が引き上げに来た時のことだった。 別れることについて漸く納得した彼女は、ずるずると引き摺るなんて嫌だということで、その翌週である十一月始めの土曜日に僕のアパートを訪ねて来た。 彼女が部屋に着いたのは正午を少し回った頃だったと思う。 「もし昼ご飯を済ませてなかったらさ、何か簡単なものでも作ろうか?」という僕からの申し出に対し、「ありがとう。でも、『八堂屋(やどや)』のイートインで済ませてきたから大丈夫だよ」と彼女は答えた。 『八堂屋』というのは最寄り駅の傍に在る惣菜屋さんで、僕もよく利用していた。 ちょっとしたイートインスペースも備わっていて、買った弁当を店内で食べることが出来たりもする。 その彼女からは、微かながらも甘酢の匂いが漂い出ているようにも感じられた。 『八堂屋』で何を食べたのさ? などと一頻り雑談を交してから彼女の持ち物の整理へと取り掛かった。 彼女と付き合っていたのは二年ほどの間だったし、週末の度に彼女は僕の部屋を訪れ来ていたので、二間続きの部屋の至るところに、その分量も相応に彼女の持ち物は残されていた。 部屋着や化粧品、歯ブラシやドライヤーなどは直ぐに彼女のものと判ったけれども、その一方で彼女が持ち込んで来た本や雑誌は無造作に僕の本棚へと押し込まれていて、その量は相応にあって、その中には科学関係のものが結構な割合で含まれていたから、表紙を見ただけではどちらの物か判らないということが頻発してしまった。 ソファーに並んで腰を掛け、本や雑誌のページを一緒に開きつつ、これってどっちの本だっけ? などと談笑しながらの仕分けは楽しくない訳では無かったけれども、こう和やかに話を交したところで今や意味など無いのだと思えてしまって、何とも言えぬ虚ろめいた気持ちを抱えながらの作業だった。 本や雑誌にも増して物議を醸したのは、二人で使っていた食器の扱いだった。 お揃いの食器を買ったこともあったし、一緒に使うような大皿を手に入れたこともあった。 例えば、有田焼を模した直径三十センチほどの大皿は、近所のリサイクルショップで買ったものだった。 土日の夕方に『八堂屋』へと一緒に出掛け、餃子や春巻き、唐揚げや麻婆茄子などといったお惣菜を買い込んで来ては紛い物な有田焼の大皿の上へとざっくりと並べていた。 「私もさ、そのうちにちゃんと料理できるようになるから! もうちょっとだけ…、もう少しだけ待っててね!」と彼女が言い訳を述べ立てて、それに対し「何だかさ、それって毎週言ってるよね」などと僕が返すのが、惣菜を買った帰り道での恒例とも言える会話だった。 夕陽が照る中を、惣菜のパックが入った買い物袋をブラブラさせつつ、他愛も無い雑談を交しながら肩を並べて一緒に歩くことは僕らの将来を想像させられる機会であったし、それなりに心弾むひとときでもあった。 そんな具合に思い描いた将来が成就される日は、結局のところ訪れなかったけど。 食器類の中にはコーヒー豆を挽くための大きめのハンドミルもあった。 珈琲についてはお互いが相応の拘りを持っていたから、インスタントでは飽き足らなくて豆から挽いては珈琲を淹れていたのだ。
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