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 その夜、空は満天の星々で輝いた。  街にはいまだ深い傷跡が残る。それでも、アルカディア国立劇場には多くの市民が詰めかけていた。  戦争で傷ついた者、最愛の人を失った者、それでも未来を信じようとする人々。それぞれの想いが星空へと吸い込まれていく。  アデルは、緊張した面持ちで舞台袖に立っている。 (私は、私にできることをするだけ)  深呼吸をしてから、ゆっくりとステージの中央へと歩み出る。スポットライトがあたった瞬間、客席から割れんばかりの拍手が沸き起こった。  ピアノの前に座り、ゆっくりと鍵盤に指を置くアデル。その胸に、様々なシーンが去来する。ヴァイセリアで暮らした日々、支え続けてくれたソフィア、再会した仲間たちの顔、咲き乱れる花々――。  誰もが経験したはずだ。数えきれないほどの悲しみと絶望を。そんな中にも、わずかな喜びと希望があることを。  そして、一〇年の時を超えて再び見上げた故郷の空は変わらずに美しかった。 (ただいま、アルカディア)  アデルの奏でるピアノの旋律が、静寂に包まれた会場に響き渡る。ナイチンゲールのさえずりと謳われた美しい調べ。それは一〇年の時を超えて帰還したアデル自身の、故郷への愛を込めた旋律だった。 (了)
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