(3)

3/3
前へ
/11ページ
次へ
 自分にできる精一杯のことを。その声に押されるように、アデルはふたたびピアノの前に座った。エリックもそばに付いている。 (復興コンサートに協力しよう。私のピアノがわずかでも力になるのなら)  鍵盤を開く。指を乗せ、大きく息を吸う。 (自分ができる精一杯を、アルカディアのために!)   その瞬間、アルカディアを捨てて逃げる自分の姿がフラッシュバックした。  指が動かない。ガチガチに強張った指が鍵盤の上を這いずる。  あの日の罪悪感が、アデルの心を蝕んでいく。 「どうしたんだ、アデル」  エリックがあわてたように声をかけてきた。 「エリック、やっぱり無理だわ。私には、アルカディアの人たちを励ますような演奏なんてできない」 「どうしたっていうんだ、いったい」 「私はアルカディアを逃げだしたのよ。ヴァイセリアで快適な生活を送っていた。そんな私が、傷ついた人たちを励まそうだなんて……」 「そんなことはない。君の音楽は、きっと人々の心を打つ。アデル、君が音楽を愛する気持ち、そしてアルカディアを想う気持ちがあれば、それで十分なんだ。君のその気持ちは、君にしか表現できないんだ」 「だめよ、エリック……私は変わってしまった。アルカディアだって、もう……」  アデルは部屋を飛び出した。与えられた自室へ飛び込み、ベッドに倒れ伏して声をあげた。  あの瓦礫の街は私の知っているアルカディアではない。私の音楽を愛してくれた人たちも、どこにも存在しない。  一〇年前のあの日に、すべては変わってしまったのだ。〝アルカディアの夜鶯(ナイチンゲール)〟は、もうどこにもいないのだ。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加