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自分にできる精一杯のことを。その声に押されるように、アデルはふたたびピアノの前に座った。エリックもそばに付いている。
(復興コンサートに協力しよう。私のピアノがわずかでも力になるのなら)
鍵盤を開く。指を乗せ、大きく息を吸う。
(自分ができる精一杯を、アルカディアのために!)
その瞬間、アルカディアを捨てて逃げる自分の姿がフラッシュバックした。
指が動かない。ガチガチに強張った指が鍵盤の上を這いずる。
あの日の罪悪感が、アデルの心を蝕んでいく。
「どうしたんだ、アデル」
エリックがあわてたように声をかけてきた。
「エリック、やっぱり無理だわ。私には、アルカディアの人たちを励ますような演奏なんてできない」
「どうしたっていうんだ、いったい」
「私はアルカディアを逃げだしたのよ。ヴァイセリアで快適な生活を送っていた。そんな私が、傷ついた人たちを励まそうだなんて……」
「そんなことはない。君の音楽は、きっと人々の心を打つ。アデル、君が音楽を愛する気持ち、そしてアルカディアを想う気持ちがあれば、それで十分なんだ。君のその気持ちは、君にしか表現できないんだ」
「だめよ、エリック……私は変わってしまった。アルカディアだって、もう……」
アデルは部屋を飛び出した。与えられた自室へ飛び込み、ベッドに倒れ伏して声をあげた。
あの瓦礫の街は私の知っているアルカディアではない。私の音楽を愛してくれた人たちも、どこにも存在しない。
一〇年前のあの日に、すべては変わってしまったのだ。〝アルカディアの夜鶯〟は、もうどこにもいないのだ。
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