15人が本棚に入れています
本棚に追加
小さな幸せ
波留が入院してから半年が過ぎた。波留は短い距離なら手すりがなくても、右脚も引きずりながらだが、ゆっくり動かせるようになっていた。
俺はやはり会社を退職せざるを得なくなった。次のやっと見つけた会社は家の近くだが、小さな会社で給料も半分くらいになった。その代わり残業もない。休日出勤ももちろんない。
病院の談話室でそのことを話すと、波留はうん、うんと頷き、
「質素でいい。何もいらない」と言う。
改めて思う。俺には勿体ない妻だと。
時間はできた。波留との時間を大切にしよう。
それからひと月が過ぎていった。
波留はゆっくりとなら歩ける距離も長くなり、退院の日が決まった。
家は手すりなどもつけリフォームした。あとは波留が帰って来るのを待つだけだ。
その日は病室で話をしていた。
「波留が入院してた間に料理に挑戦したんだけどな。まともにできたのはサラダくらいだ。あと、野菜を炒めるくらいか。切るだけでできる簡単なものしかできないんだ」
本当は退院した波留に、もっと美味しい手料理を食べさせたかったんだけどな。ごめん。
「じゃあ、秋ちゃん、サラダのドレッシングを極めてよ!」
「うん、そうしよう」
「それでね。一緒に料理作ったりして、秋ちゃんは色々な料理を覚えていくの。楽しみだなあ」
俺も楽しみだ。波留、待ち遠しいよ。
娘と同じ年頃の看護師が巡回に入ってきた。
挨拶を交わすと、
「ご主人さま、毎日いらして献身的で、波留さんはご主人さまに本当に愛されているんですね。羨ましいです」と波留の顔を見ながら微笑んで言う。
波留はうふっと笑って、
「それはね。私の躾がいいからですよ」
どうやら俺は躾けられていたらしい。まあ……いいだろう。しかし……恥ずかしいぞ。
「あら、いいことを聴きました。参考にさせていただきます」と看護師は言う。三人で顔を見合わせて笑った。なんだか幸せだ。
最初のコメントを投稿しよう!