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時が止まった。一瞬にして全身が硬直していく。周りの雑音が消え、自分と頓宮だけの空間になる。何て言った? 今、何て。
頓宮の色白の肌、にやりと口角の上がった薄い唇が目に焼き付いた。心臓がひゅっと凍り付いて、とても目を見れない。
糸瀬君、事故死になってよかったね──?
確かに、そう言った。どういう意味だ? コンマ数秒の間にあらゆる可能性を探った。頓宮は、母子家庭であるという理由だけで、糸瀬から毎日何かと嫌がらせを受けて、まるで物のように雑に扱われてきた一人だ。糸瀬が亡くなってよかったと感じても、おかしくはないだろう。それに私が無理やりに糸瀬の恋人にさせられ、辛い状況であったことも知っているはずだから、その私を慮って、解放されてよかったねという意味を込めたのか。しかしその場合、「糸瀬君が亡くなって、正直よかったよね」だとか、「事故で死んだなんて天罰だね」だとか、不謹慎ではあれど、そういった言葉にならないだろうか。
事故死になってよかったね、とは──?
君が殺したんだろう? つまり他殺であるはずなのに、事故死になってよかったね──?
頓宮は、私とあっくんが糸瀬を殺害したことを知っていて、バレずにすんでよかったねと言いたいのか──?
そう考えを巡らせた時、ふと記憶の配線が繋がった。糸瀬が池に沈むのを見届け、あっくんと抱き締め合っていたあの時──。
メタセコイアの木の麓から、視線を感じたのだ。
まさか、それが、頓宮だった──?
随分と沈黙が長く続いたように感じたが、実際にはほんの少しの経過だったようだ。私は咄嗟に、曖昧な笑みを返したように思う。賑やかな放課後の声が戻り、誰も私達の会話を気にしてはいない。頓宮はそれ以上何も言わず、私とすれ違って教室を出て行く。鞄を肩にかけ、ゆったりとした足取りで去っていく頓宮の後ろ姿が妙に不気味に感じて、そのままじっと見送ることしかできなかった。
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