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十八歳
金曜日の夕方──。
赤黄に染まった大きなメタセコイアの木が、葉を揺らしながらじっと私達を見下ろしている。
そうして散り落ちる葉を見ることで気を紛らした。
糸瀬の荒い息が迫る。煙草の嫌な臭い。ぼこぼこと荒れた肌と右頬の黒子は、死ぬまで私の脳裏にこびり付いて忘れられないだろう。最低最悪の時間。
「新田……ほんと可愛いよなあ。今日は公園デートがいいなんて」
糸瀬のごつごつした手が、私の耳に垂れる髪を掻き上げながら何度もねっとりと頭を這う。それだけで気持ち悪くて吐きそうだ。
やがて糸瀬の唇が私のそれに触れ、手がワイシャツの襟元から中へと伸ばされた――。
ゴツ!
「うっ……!」
突然、後頭部を殴られた糸瀬は前に倒れ、私は反射的に汚物を避けるかのごとく身を翻すと、糸瀬はどしゃっと地面に膝を付き、頭を抱えた。
手袋を付けた両手で大きな石を振り下ろしたあっくんは、ふうふうと鼻息荒く、背後から糸瀬を睨み付けた。ブレザーの上に羽織ったダウンの裾が窮屈そうに外を向く。
「いっ……うぐっ……」
痛みで蹲る糸瀬に、まだ余力があると見るや、あっくんはもう一度石を振り上げた。私は思わずぎゅっと目を瞑る。
ゴツ!
「ぁがっ……!」
糸瀬はどしゃりと地面に横たわり、のたうち回った。
よし。私とあっくんは目を合わせて、こくんと頷いた。ただただ、早く、目の前にいるこの粗大ゴミを始末すること。人通りのない公園とは言っても、わからない。誰かに見られる前に早く。あっくんは、勢いを付けて、石をドボンと、すぐそばの柵の向こうの池に放り、のたうち回る糸瀬の背中側にしゃがみ込むと、お尻のポケットから財布を抜き取った。そして今度は慎重に、柵と池との間にある、僅かな芝生の上に着地するよう、財布をぽんと落とした。よし、いい具合の位置に落とせた。成功だ。
あっくんは糸瀬の背中側にしゃがみ、首と膝の下に両手を入れてぐんっと抱え上げた。
もがく糸瀬をふん、と柵の上へ持ち上げる。糸瀬になど触りたくはないけれど、これで終わるからと覚悟を決め、私も尻を押し上げる手伝いをした。はあ、もう少し、よい、しょ……。
「んがっ……ぐあっ……!」
――ドボン……
糸瀬は激しい痛みとパニックのまま、薄暗い池に沈んだ。
やった――。
呼吸と鼓動が速まり、口がからからに乾いているけれど、唾をうまく飲み込めない。それはあっくんも同じ。じわじわと涙が込み上げてくる。
「もう大丈夫。忘れような」
あっくんの声は、私の大好きな声だ。低くて、優しくて、胸に響く、私の大好きな声。大切なものを慈しむように、私を抱き締めてくれた。私もあっくんの背中に手を回した。そうしてしばらく、お互いの興奮を落ち着かせるように、ぎゅうっと抱き合った。
木枯らしが冷たい。かさかさと赤黄の葉が飛んでは落ちた。
そう。大丈夫。これでいい。
この大きなメタセコイアの下で重ねた、受験生ができる精一杯のささやかなデートは、私たちの宝物なのだから──。
ふと視線を感じた気がしてメタセコイアの木を振り返ったが、誰の姿も見えなかった。
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