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序
ココは狭苦しい自室で、身に着けた骨董品の耳飾りに触れた。部屋には燭台もなく、月明かりのほうが断然明るい。
彼女の指先が触れたのは、羽の形を模した輪環型のイヤリング。
知性が揺さぶられるような、すばらしい彫金細工の品物だ。十六歳の彼女が持つには、少々大人びたデザインのように思われる。
だが、少女は実年齢とはかけ離れた姿をしていた。
顔は深い皺と泥を塗ったような大きなシミだらけで、着衣で隠れない部分の皮膚は茶色く変色し、ひび割れたようにガサガサだ。
ココは耳飾りを、月の光を差し込む窓ガラスに映しこんで見る。
触れたら柔らかいのではないかと錯覚するような羽のデザインの耳飾りは青白い光にとろんと輝く。
「あなたたちは、すごくきれいね」
だんまりしたままの耳輪に、ココは、ことあるごとに話しかけている。
――彼女の特技は、古道具の声を聴き取ること。
小さい時から、ココの耳は一部の道具たちの声を拾うことができた。
それは主に古道具と呼ばれ、彫金細工を施されたものに限る。
だから彼女は、道具たちが人間たちと同じようにおしゃべりして暮らしているのを知っていた。
イヤリングに話しかけるのをやめ、備え付けの棚から宝石がちりばめられた金属製の櫛を取り出す。
自分の髪の毛をすくために取り出したのではない。骨董品であるそれを磨くためだ。
『あら、ココちゃん。今日はなんだか悲しそうね。どうしたの?』
磨いていた櫛から、優しそうな女性の声が聞こえてくる。
ココはなんでもないよと呟きながら、櫛の隅々までピカピカに磨き上げた。
「どう、気になるところはない?」
『それよりも、あなたに元気をあげる。私で髪をすいてみて』
年老いた見た目と同様に、ココの髪の毛は艶もなくぼさぼで酷い有様だ。
「ダメよ。私の髪の毛がきれいになっているのが知られたら、お義姉様たちにあなたが取られてしまうかもしれないもの」
『それは最悪ねぇ。あの人たち、道具を大事にしないから』
心底憂鬱そうにしている櫛に謝り、ココは再度彼女の手入れを済ますと、シルクの内張りがしてある専用の入れ物に戻した。
ココの母であるシュードルフ夫人が天国へ旅立った今、ココを庇護してくれる人はいない。
ココの母親である『メルゾ』が王宮の建物の倒壊に巻き込まれて死亡したのは七年前になる。
母だけではなく、先王夫妻もその時に亡くなる悲劇が起きた。
ゴタゴタに紛れて、ココの父は妾だったポーラと証人も得ずに結婚し、彼女の連れ子のステイシーがココの義姉になった。
その後すぐに、成人の儀を済ませていない幼かった王太子が即位した。そして、評判の悪いシュードルフ一家は、あろうことか爵位を男爵にまで下げられてしまったのだ。
(それからよね、私の見た目がこうなったのも)
ココが母の葬儀で泣きじゃくり、形見の耳飾りを貰い受けた翌日。
彼女はあどけない少女の面影を失くし、棺桶から掘り起こされた死体のような姿になった。
一夜にして顔中が皺だらけになり、皮膚は茶色に乾燥してひび割れた。急に老け込んだ娘の姿を、父はすさまじく嫌悪した。
ココの豹変した姿を見ると、婚約していた公爵家の次男坊までもが彼女を捨てた。
老婆のようなココの見た目にショックを受け、婚約を委棄してしまったのだ。
(――まあたしかに、鏡を見るのが嫌になるような見た目ではあるわ)
そういうわけで、ココは正当なシュードルフ聖公爵の血を受け継ぐ貴族令嬢だというのに、今は使用人として毎日義母と義姉から仕事を押し付けられていた。
『ココちゃん、大丈夫?』
ぼうっとしていると、手元の箱から櫛の声が聞こえてくる。
「ええ、大丈夫よ」
ココは箱におやすみのキスをする。
ぼろぼろのカーテンで窓を覆うと、ココは薄い布が敷かれただけのベッドにもぐりこむ。
この見た目も、実父も、義母や義姉も大嫌いだ。
勝手に『聖公爵』の地位を取り上げた現王も、骨まで消し炭になって消えてしまえと思っている。
(――でもきっと、もうすぐだと思うの)
絶対に覆してやる。
自分からすべてを奪っていったこの王国に、ココは復讐を誓う。
なにもかも、そう、国の歴史さえもひっくり返してやると――。
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