Case.0 調停人

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Case.0 調停人

 2160年6月。アヤシ共存維持法制定。  科学の発達と自然環境の破壊により、絶滅危惧種と同じ路を辿っていたアヤシと呼ばれる種族の保護が決定。各国にてひっそりと生きていたアヤシ達にとって、人間という種族の保護下に入る。という認識をもたれることは屈辱であったが、同胞の滅びゆく様を見ていくうちに僅かでも生き残る可能性にかけることとしたのだ。時代と共にきえゆく種族は見てきたが、いざ自分達がその対象となると自己の存在に固執してしまう事は、生あるものの性なのかもしれない。  こうして、アヤシは人間との交渉を開始し、世界各国で保護区が制定されていく事となった。  東の島国、日本においては、現代社会においても身近にアヤシが存在しており、自然と共存している様から国そのものが特区に認定。世界的なモデル国となり、都市開発や化学研究においての制限は設けられることとなったが、アヤシに関する研究においてが群を抜いており、各国から注目される国になっていた。  「……と、ここまでで。なにか質問あるかなー?」  つらつらとモニターに綴られている文字を追う事にだけ集中していた少女、春夏秋冬(ひととせ)(つむぎ)は困ったように頭を掻いた。  よく晴れた夏の午後。茹だるような暑さを運んでくる陽射しが、ブラインドの隙間を塗って講堂に突き刺さってくる。  講義を受けている200名の半分は、その陽射しにやられて机に突っ伏していた。紬も視線は文字を追っていたが、内容は頭に入ることなく脳を掠めて去っている状態だ。丁度陽射しの陰になり、涼風の真下という最適なポジションで講義をしている女性には理解できない感覚だろう。と、ひかりと熱でぐらぐらと茹る頭に浮かんだ反抗心を隠す事無く軽く睨めば、軽く間延びした問いかけを行なっていた女性、浅神(あさがみ)來刻(くどき)は目をぱちぱちと瞬かせて首を傾げた。  「春夏秋冬くーん。」名を呼ばれ慌てて姿勢を正す。「なにか質問があるのかなー?」  羅列された文字と歴史にはなんの質問もない。そんなもの、歴遺書と議事録を読み解けば理解できることだ。強いて言うならばそのやる気の欠片も感じられない気怠そうな棒読みの理由はなんだ。と、問いたいところだが、言葉を発する為に軽く吸い込んだ息とともに肺の奥に仕舞い込む。  代わりに選んだ質問は、紬が気になっている事ではなく、紬を覗いた百九十九名の者達が抱いているであろうものとなった。  「そうですね。それでは、何故、私たちが調停人に選ばれたのか。その基準を教えてください。」  選ばれた基準。その言葉で机に張り付いていた者すら顔を上げ、ぎらついた眼差しを來刻に向ける。その勢いに押されるように一歩後ろに下がりながらも、肩にかかった髪を右手の人差し指で弄びながら返答を考える素振りを見せた。  言葉を選びつつ、納得のいく答えになるように伝えるために考える時間を稼いでいく。  「そうだなー、志願したから。じゃあ、納得しないよねー。落ちた人もいるわけだろうし。簡単に基準を述べるなら、君たちは皆、アヤシに対して大きな恨みや怒り、復讐心を抱いている。ってことかなー。」  その言葉に、紬は呆れたように肩を竦めた。  「それでは、公平を求められる調停人にはなれないのではないですか?」  言葉を発しながら、どこかでとんだ茶番だと思う気持ちはあれど、紬はその茶番に付き合う事とした。周囲が示す反応を確認しながら、來刻は短絡的な返答だと肩を竦める。  「春夏秋冬くんはさー、人間が人間を裁くときに、犯罪者に恨みを持つ人間は公正な裁きを下せないと思うの?」  「思いません。犯罪を憎む気持ちは強いでしょうが、故に、犯罪を未然に防ぐ事にも尽力を注ぎますし、事件に対する向き合い方も変わっていきます。少なくとも、筋書きに囚われないのではないかと考えます。」  紬の返答を受け、今度は満足そうな笑みを浮かべて頷いた。  「だからだよー。人間同士でできて、アヤシには出来ないなんて言わせないよー?」  軽い足取りで壇上を下り、話しながら中央に席を構えていた紬の目の前まで歩いていく。周りの受講生が息を呑む中、紬は來刻を真っ直ぐと見つめ、どこか挑発的な視線を向ける。その視線を受けても特に反応を示さずにこりと笑った。  「アヤシを憎むか、罪を憎むかの差だよね。それに、君が言った通りで、事件に対する向き合い方が変わってくるのはあるんじゃないかな? 通り一辺倒の出来事なんてないんだからさー。」  來刻の言葉はこの場にいる者たちを等しく貫き、恥じ入らせるには十分な力を持っていた。  アヤシは人間に近い思考をするが、人間とは似て非なる生命体だ。昔は、精霊、妖怪、幽霊、UMAなど、様々な呼称があったが、現在はそれらを全て統合しアヤシと称する事となっている。種族として認めている証ではあったが、今現在も地縛霊、UMA等、俗称として旧態依然の呼び名は残り続けている。  彼らと人間は不干渉だ。アヤシの中には人間との関わりを望むものもいるが、そういった場合、機関に登録しなければならない。登録後、関わりたい人間から許可が出ると、契約書を作成し関わる事が可能となる。人間がアヤシに関わりたい場合も同様であり、登録後にIDの発行と仮の名前の登録を行う。名を変えなければならない理由は、アヤシの中には名を教える事で障りのあるものもいるからだ。その為の対策に必要な処置であった。    調停人。そう呼ばれる職業はアヤシに積極的に関わるものであり、また、アヤシ、人間共に登録せず干渉している存在に対して裁く権利を有している。一定の講習を受け、座学に合格した者が、実技の研修に入る事が可能となる。アヤシに対しても人間に対しても処罰を行う事が独自に可能となるため、講習会に参加する前から面接やストレス耐性の調査が入り、戸籍から何から何まで調べ上げられる。そうして講習会に参加しても座学で約半数は不合格となり、実技ではさらにその半数以上が不合格となる。そんな過酷な職種だ。彼らはアヤシと人間が適切な距離を保っているか常に監視し、見守る存在なのだ。  「さぁ、他に質問はないかなー?」  來刻は楽しそうに受講者を見渡した。  「ないならー、このまま試験と行こうかー」  いつの間にか各列の先頭には試験用紙が置かれており、どうすべきかわからずに困っていた者達は、その言葉を受けてとりあえず用紙を背後に回し始める。  「さて」心底楽しそうに笑いながら手を叩く。「今年は何人合格できるかなー?」  その小馬鹿にしたような物言いに、不愉快そうな顔をする者もいたが、皆手元に届いた答案用紙を確認し、そして、手が止まった。  「さぁ、志望者の諸君。読み解いて、裁いてみてねー」  真っ白な答案用紙を目の前にペンを勧めるのはごく少数のみであった。
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