Case.1 春夏秋冬紬

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Case.1 春夏秋冬紬

 春夏秋冬 紬。本名、秋山(あきやま) 紗桜(さくら)はごく平凡な家に生まれた。優しい母親と穏やかな父親。そして、明るい太陽のような姉。この家族が好きだと胸を張って言えたし、自慢でもあった。特に姉である凛桜(りお)はいつだって紗桜に優しく、大好きな存在だった。3つ違いの姉妹だったが、双子と間違われる程容姿は似通っていた。  夜色の髪と同色の丸い瞳、白色に近い肌をした二人は黙って座っていると人形と見間違えるほどだった。だが、口を開けば大人を言い負かすほどに口が達者な娘が凛桜。口より先に手が出るやんちゃな娘が紗桜。黙って座っていれば可愛いのに残念。というのは、親戚や2人を良く知る者達の評価だ。肩口で揃えた髪には揃いの桜の髪飾りをつけており、どこに行くにも二人は一緒だった。凛桜が小学校に入学した日には紗桜は大泣きしていかないで欲しいと駄々をこねたくらいだ。それ程までに、二人の仲は良かったのだ。    自慢の家族が壊れたのは、紗桜が中学に入ってすぐの夏休み。2263年8月17日。蝉が五月蠅いほどに鳴いていたキャンプ場で、遭遇したモノによってすべてを奪われてしまった。  「凛桜! 薪の追加だよ!」    「すごいわね。紗桜。あっという間に薪が溜まっていくわ」    両肘を支点にして器用に積み上げ、顎で押さえて崩れないようにしながら薪運びをしている紗桜を見ながら、凛桜はくすりと笑い紗桜の頭を撫でる。褒められた喜びをそのままに薪置き場に薪を投げおくと、もう少し集めるか。と、気合を入れ直すように腰に手を当てて背筋を伸ばした。    幼い時は揃いの服を好んでいたが、年齢を重ねるにつれ凛桜はワンピースを好み、紗桜はショートパンツにシャツというラフなスタイルを好むようになっていた。今回も、凛桜は裾に連れて色が濃くなっている青のワンピース。紗桜は水色のシャツにショートパンツだ。テントや炊事場で母親と待機しているのは凛桜。林や川で薪や魚を手に入れてくるのは父親と紗桜。自然と役割分担も出来ていた。  「凛桜、紗桜。お父さんが大きな魚をたくさん釣ってくれたわよ。お昼はお魚にしましょうか」  「やった! 父さんに負けてられないし、ご飯までにもう少し山菜を集めてくるわね!」  「私はご飯の用意を手伝うわ。これだけ大きいとカルパッチョとかも作れそう」  「紗桜。茸には手を出すなよ。採集の基本は――」  「確実に分かる物! 行ってきます!」  父親である信一の言葉に被せるように返事をしながら走り去っていった紗桜を見送り、信一と母親である奏は顔を見合わせ肩を竦めた。出たり入ったり忙しそうにしているが、紗桜も凛桜も楽しそうならばそれでいい。明るく幸せな空気が流れ、誰もが思いで深い夏休みになると疑いもしなかったのだ。――その日の夜までは。  父親の川魚に紗桜が採ってきた野草や木の実が加わり、夕食は予想よりも豪勢なものになった。明日の予定を確認し、信一と奏。紗桜と凛桜に分かれ使用するテントへそれぞれ入り横になる。  「明日は一緒に川に行こうよ。気持ちよかったよ!」  「西瓜や野菜を冷やしたいから行ってもいいけど、流れは速くなかった?」  「緩やかだったわ!」  凛桜の質問に、紗桜は昼間立ち寄った川を思い出しながら明るく応じる。そうして他愛ない会話を続けながら、二人の時間を楽しんでいると、ふいに外から激しく布を叩くような音が聞こえてきた。  バン! バン!  自分達のテントが叩かれているわけではないが、随分と近い。もしかしたら隣に張っている両親のテントではないか。そう思い紗桜が出ようとすると、それを凛桜が止める。  「ちょっと待って。確認するから」    凛桜は片耳に付けたイヤリングに触れて通話機能を呼び出す。ワンコールで電話は繋がり、強張った声の信一が応答した。  「外には出るな。これは……あ……だ。……で……そ……く……」  ノイズが激しくなり、途中から信一の声を聞き取る事が難しくなってくる。電波の問題かと通話はそのままにして凛桜はテントの隅に移動し、幕越しに声を張り上げた。  「お父さん、大丈夫!?」    「出るな!!」  テント越しに声が届いたのだろう。信一が、叫ぶようにそう応えた。穏やかな信一の怒声に驚き、一歩後ずさると、紗桜が慌てて近寄りその背を支える。  「今の声……」  「大丈夫よ、紗桜。他のキャンパーとのトラブルかもしれないし、お父さんが来るまでここにいましょう」  背中に触れる紗桜の手が震えている事に気が付き、凛桜は笑顔を作ると、安心させるようにその手の甲を軽く叩いた。着替えが入っているスポーツバッグを漁ると、クッキーの箱を取り出して封を開ける。甘いものを食べて少し気を紛らわそう。と、紗桜にも手渡せば、紗桜は青い顔をしてはいるものの、クッキーを受け取り口に運ぶ。  「大丈夫だからね」  紗桜に告げながら、自分の心を落ち着かせようと必死になっている凛桜は、紗桜の視線が自分に向いていない事に気づいていなかった。紗桜は凛桜の言葉に頷きながらも、信一達がいるであろう方向をじっと見つめていた。その位置には暗い色の染みがあり、それは徐々に広がっていく。  時折、腕や足、顔のような形に凹むと、その染みが一気に広がるのだ。その事を伝えるべきか悩み、数度口を開いたが、結局、伝える事無く口を噤んだ。紗桜には、信一の声が隣のテントではなく、すぐ近くで聴こえたように感じていた。自分たちの声が聞こえず、テントを出てしまった事でトラブルに巻き込まれたのではないか。そんな思いが浮かんでいたが、うまく伝える事が出来ないでいた。もしそうだとしても、自分達がテントを出る事はないのだから、下手に不安を言葉にして長い時間をより長くしたくないとも思ったのだ。    凛桜は独り言のように大丈夫。と、繰り返していたが、やがて話す事も尽き、静かに時が過ぎるのを待つ。夜が深まり、虫の声すら聴こえなくなった頃、テントの入り口が音を立てて凹んだ。  「出てきなさい」  それは間違いなく信一の声だった。凛桜はほっとしたように顔を綻ばせてテントの入り口に近づく。が、紗桜は反対にテントの奥に移動し、小さく凛桜の名前を呼んだ。だが、凛桜は信一の声が聞こえた事による安心感が勝り、紗桜の声に応える事無く、入口のチャックを開けてしまった。  「お父さ……え?」  「デテキタデテキタ」  幕の向こうから伸びてきた手のような白い何かが、凛桜の頭を鷲掴みにする。言葉は片言の日本語を機械音にしたような無機質なものではあったが、明らかに嘲笑している事が分かるものだ。頭を掴まれた凛桜がそのままテントの外に引きずり出されると、ごきりべしゃり。と、不穏な音を立て、中に残っていたままの身体に赤い液体が染みのように広がっていく。  「大丈夫だから出てきて」    外から凛桜の声が聞こえてくる。懸命にテントの入り口に近づき、桜華の足を掴むと勢いよく内側に引っ張り、ファスナーに手を掛けると一気に幕の隙間をなくした。  「り、お……だ、い……」  舌がうまく回らないながらに、必死に声を掛けようとしてその言葉が途中で止まった。  首が捻じれ、顎の付近から千切れた胴体は、びくびくと痙攣を続けている。止めどなく溢れている血が血溜まりを作り、紗桜の足を濡らしていく。声が止まり浅い呼吸を繰り返する、胃からこみ上げてくる不快感に耐え切れず嘔吐した。  饐えた臭いと鉄の臭い、アンモニア臭が鼻に届き、自身が失禁している事に気が付く。テントは外側から何度も叩かれ、信一、奏、桜華の声が交互に聞こえて紗桜を呼んでいる。出てはいけない。と、今すぐテントから逃げ出したい気持ちを必死に堪えて這うように移動し端末を掴むと、緊急ダイヤルのボタンを押した。  「こちら、緊急ダイヤルです。事件ですか? 事故ですか?」  「あ、わ、わからな……、テント、の、そと……」  「わかりました。無理に話さなけても結構です。1つだけ、お答えください。まだ、外から音はしていますか?」  「し、てます。でてきなさいって」  「絶対に開けないでください。私は外からテントを開ける事が可能です。私が、テントの中に入るまで、決して、通話を切らないようにし、外に出ない事は出来ますか?」    「でんち……あ、大丈夫だと思います。場所、場所は、大神キャンプ場」    回らない思考で、必死に答えていく。相手があえてゆっくりと伝えてくる事で、なんとか受け答えをしていくうちに、少しずつ思考が回復してくる。現在地を伝えていなかったことを思い出して伝えると、通話の相手が優しく労いを返してくれた。  「助かります。お名前をお伺いできますか?」  「あ、秋山です。秋山紗桜です」  「紗桜さん、これから、一度だけ電話を切ります。すぐに今からお伝えする番号でかけなおしますので出てください。いいですか? 私は春夏秋冬(ひととせ) (つづり) と申します。これから、伝える番号の他は出ないでください。知っている番号であっても、です。私から必ずかけるので、ほんの少し、待っていてください」  「わ、わかりました。」  綴と名乗った女性の指示に従い、番号を覚えて通話を終える。通話を終えると信一と奏の番号から着信が入っている事に気が付いた。折り返そうとして、先ほどの会話を思い出し必死に耐える。  数秒後、ディスプレイに伝えられた番号が表示され、慌てて電話にでる。今すぐ電話に出なければ、おかしくなってしまいそうだった。その位、外から聴こえる声は強くなっており、テントを叩く音もまた、激しくなっていたのだ。  1時間後。テントが開き、女性が立ち入ってきた。テントの周囲には食べ散らかされた肉の残骸と、人間の足跡のようなものが残されていた。 が、家族の身体は見つからないまま時間だけが過ぎていった。正式発表ではキャンピング中に獣に襲われた事となった。不幸な事故として表向きは処理されていく。  紗桜はあれがアヤシと呼ばれる種族のものが引き起こした殺人だと知っている。彼らにとって食事のつもりか、場を荒らされた事への報復かはわからないが、憎しみと自身の弱さに対する怒りだけは強く残った。    親戚に引き取られたがそこでの生活に馴染めず、復讐が出来ないかとキャンプ場に赴いたところを綴に保護され、その後は綴と生活を共にする事となる。綴を師として十八になるまで様々な知識を吸収していった。  そうして調停人の有資格年齢となった15の春。一次審査を通過し調停人になるための一歩を踏み出したのだ。
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