Case2.ヨビクイ

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Case2.ヨビクイ

人のやる気を根こそぎ奪っていった日光が沈み、やわらかい夕陽に切り替わる頃、講師たちが使用している職員室では、アイスを齧りながら來刻が楽しそうに電話で報告を行なっていた。  「いやー、春夏秋冬を名乗っているとは思わなかったし、一人だけ真名じゃないことにも驚いたよー」  「あら、調停人になりたいなら当然の事でしょう? 真名を知られたら喰われる場合もある。基本も基本だというのに何をそんなに驚く必要があるの? 驚くとしたら、一次審査を通過して受講資格を得たにも関わらず、真名で通っている受講生達に驚くべきではないかしら」  呆れたようにため息をつきながら、來刻の電話相手は小さく笑った。  「それに、引き取ったのは私だし、弟子として春夏秋冬を名乗るってちょっと誇らしいわ」  ころころと笑いながら、語り嬉しそうな声音で語る。  「けど、あの子、向いてないと思うの」    声の調子はそのままに、はっきりと断言する。それは、師としてでもあるが、調停人の先輩としての見解でもある。調停人に求められるものは中立であり、公正であることだ。そのどちらも著しく欠けている(ように感じられる)紬には向いていない。と言うのが、來刻の通話相手、綴の見解だ。  アヤシに対する憎しみも、排除しようとする過激な思想も綴の前では取り繕わずに発している。そのような考えで調停人になる事はできないだろう。経験から、綴は冷静にそう判断していた。だが、本人がやると言ってきかない事もあり、挫折も経験だろうと受講を勧めたのは厳しさを含んだ親心のようなものだ。    報告のつもりが愚痴となっている事に気づきつつも、來刻はアイスを齧りながら相槌を打ち、片手間に手元の調査書を眺めていた。そこには今回一次試験を突破したすべての受講生の情報が事細かに書かれている。そのうち、紬の事が書いてある頁を見つけると、「あー」と、唸りながら天を仰いだ。    「これ、ヨビクイだねー。あれだー。キャンプ場の禁忌を知らずに犯していたって事案だったよねー。てか、キャンプ場にも警戒を呼び掛ける掲示がなかったから気付かなかったんだっけー」  「そうよ。その事件」    【ヨビクイ】  そう呼ばれているアヤシの主食は川魚だ。特に、澄んだ川で生きる魚を好む。だが、嗜好品は肉であり人間もそこに含まれる。また、彼らは人間という種族に対しては玩具に近い認識であることも判明している。その為、山岳地帯や川といった自然に触れている際に遭遇し被害者となる事件が多い。彼らは対象の人間の記憶を遡る力もある。そこから親しい者の声音を真似して、テントやコテージ、別荘などの建物から関係者を見つけてはおびき寄せて嬲る。彼らは、他者から招かれたら領域に入りこむアヤシとは異なり、例え相手から招かれたとしても相手の領域を犯す事が出来ない。その為、対象を呼びよせるのだ。    呼び声の誘惑に負けて彼らのテリトリーに入った瞬間、蹂躙されるだけの獲物と化す。中には生きたまま腸を引きずり出されていたり、骨だけが器用に抜かれていたり、全身が引き裂かれていたり。と、殺しの手法も様々で、時折食している事もあるが、基本的には食べるより遊ぶ事の方が多い。    狂暴だが小賢しいアヤシである。その為、自衛の為にいくつかのルールを掲示するように、調停人を取りまとめる機関と呼ばれる組織が中心となり、指示を出しているのだが手間がかかる為従わない場所もあるのが現状だ。紬達一家が巻き込まれたキャンプ場は、運悪くそういった杜撰な場所であった。ヨビクイによる被害が禁忌を侵さなければ最小限で済む。と言う事もあり、今まであまり表に出ることのない事案ではあったのだが、子供を残して全員が齧り散らかされた。という凄惨な事件が起き、事態は一変する。ヨビクイの出没エリアとなる川辺や山岳地帯では、日が沈んでから外に出ない事。外から誰かに呼ばれても応答しない事。などとルールがどこでも掲示されるようになり、遵守しない場所においてはキャンプ場やアウトドア施設などの運営禁止。といった重い罰則が設けられることとなった。  「ヨビクイはやり方がトラウマだよねー」  「発狂せず冷静に救助を待ったことは偉かったんだけれど。その後、復讐しようとしていたのは、褒められたものではないと思うのよ」    ヨビクイは、人間を自ら求める事はあまりない。満たされている時はわざわざ人間に干渉しようとしないのだ。では、何故、紬達家族が襲われたのか。  本来、ヨビクイが出る。とされているエリアで人間が夜を明かそうとする場合、澄んだ川の魚をその川の水と共に桶に入れ、夜を明かしたい場所から数メートル離れた場所に供えておく。そうすると、人間の気配を感じて現れたヨビクイであっても、より好むものに意識が向き人間に近づく事は無い。  そうして朝を迎えるまで大人しくしているのが得策である。また、川魚を用意できなければ火を絶やさない事だ。何故かはわからないがヨビクイは火を好まない。寝床を囲む様に火を焚き、朝までその火を保ち続ける事で遭遇せずに済むのだ。  このどちらも行っていなかった場合、ヨビクイに遭遇しても助かる保証はないし、自己責任として扱われる事が多い。だが、このケースは、キャンプ場側が注意喚起を怠り、遭遇エリアではないと錯覚させた為に起きた人災なのだ。  「なぁんか、かわいそうだよねー。何も知らずに生活して、遭った場合逃れられない。アヤシの知識もない一般人には、理不尽かもねー」  「それでも、ヨビクイの存在については周知されているのだから、自然に近い場所に行く時には注意すべきだったのよ」  憐れみを滲ませる來刻とは対照的に、同情の余地なしと切って捨てた綴は、それでも。と、言葉を続ける。  「子供が目撃者になるのは、悲しい事だとは思うわ。食い散らかしたヨビクイも、見つかってないし」  見つけたところで、人間の法律に照らし合わせて裁けるわけではないが、調停人として罰する事は可能だ。だが、綴が駆けつけた時、既にヨビクイの姿はなく、肉塊が散らばっている状態だった。綴の言いつけ通りテントの奥にいた少女の姿を思い出して、ため息をつく。  衝撃的な事案に遭遇した者ほど、アヤシに対する憎しみが強く調停人として機能しない場合が多い。紬はそのケースに当てはまっていた。    「けどー、なんとなくだけどさ、実務にならないと判断出来ないと思うんだよねー。ま、実務研修始めるし様子見でいいか。組む子をちょっとアヤシにしてどうなるか見てみるねー」  「……は? あなた、それ、所長に怒られるわよ?」  「座学トップには、しっかり後続の育成までやってもらいたいんだよー。ま、フォローはするから、ちょっと近いうちに始めてみよっかー。そもそも、今期は参加者多すぎて、ふるいにかけるのも面倒だしさー」  調査書をばさりと机に投げつけて、來刻はにたりと口角を吊り上げる。けだるそうで投げやりな態度は変わらないが、投げ捨てた調査書を見る目は鋭い。全員が全員調停人になる事ができるわけではない。選別をするなら早い方がいい。無駄な教育に割く時間は惜しいとばかりの言葉に、綴はわざとらしくため息をついた。  「仕方ないわね。私からも、話しておくわ」  その言葉に、感謝の意を伝えて通話を終えると、赤く染まった空を眺めながら、苛立ちを抑えるかのように親指の爪を噛んだ。    「ヨビクイかー。そういや、私のタイセツを喰ったやつも、まーだ見つからないんだよなー」    ヨビクイのように人を殺すアヤシは殆ど捕獲が出来ない。目撃者すら死体となっている場合が多いからだ。稀に生き残りから証言を得て、捕獲する事が出来る場合もある。來刻にとって、紬の境遇は自身と似ているものがある。被害に遭って、生き残った。そして、大事な存在を殺したアヤシを見つけることが出来ていない。そっくりだからこそ、少しだけ肩入れしてしまうものがあるのかもしれなかった。  「ネジマキも、諦めなければ捕まえられたりするのかなー」    誰にともなく問いかけた言葉には、当然答えを返すものはいない。それでも、思わずといった様子で吐き出した言葉は、弱弱しく、今にも泣きそうな響きをしていた。
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