Case3. 相棒

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Case3. 相棒

 大切な事は精神面の相性ではなく、能力とその者が持つ志である。と、一族の筆頭に言われたことを思い出しながら、伊弉諾(いざなぎ)あかねは腰まで伸ばした黒髪を無造作に1つに括り、クローゼットを漁る。グレーのオーガンジーワンピースを引っ張り出して身に着ける。  袖やデコルテの部分は透ける作りになっているが、大人びた印象ではなく愛らしい印象を抱かせるデザインだ。だが、体躯が与える印象とは対照的に、切れ長の瞳と弧を描いた赤い唇には見たものを従わせるような迫力があった。  1LDKのマンション。2階にある日当たりの悪い角部屋が、あかねの住居である。  その室内には最低限の家具しかなく、空間の大半を占めているのは棺にも似た蓋つきのベッドだ。カーテンは遮光に特化したものとなっているため、室内は薄暗く、僅かな照明で足元と手元が見えるように調整されていた。  着替えを終えると髪をほどき、丁寧に編み込んでいく。編み終わった髪を首筋で纏め、緩い団子を作りピンで固定する。手で確認しながら修正を繰り返し、満足のいく出来になると、玄関のすぐわきにあるキッチンに移動した。冷蔵庫からゼリー飲料に似た赤い飲み物を取り出し、一気に飲み干すと眉間にしわを作りながら舌を出す。  「うえぇー。食感がびみょー」  涙目で口をゆすぎ、口の中に残った感触を洗い流すように数回吐き出した。そうこうしながら時計を見ると、時刻はまもなく10時となる所だ。  ようやく自身が急ぐべきだったと気が付き目を丸くする。  「え? 遅刻じゃない?」  急ぐように玄関に移動し、紺のミニショルダーを肩に掛けたタイミングを見計らうかのように、玄関のチャイムが鳴った。   「どなた?」  問いながらも、来訪者を言い訳に遅刻が許されるのではないかと考える。だが、その浅はかな考えは、来訪者が名乗った瞬間に打ち消される事となる。  「春夏秋冬です。今家にいるってことは、私が迎えに来なかったら遅刻が確定していた。ということですか?」  来訪者である紬は、呆れたようにため息をつくと、すぐに玄関の扉を開けて出てくるようにと告げた。  「いや、ごめんって」  指定されている集合場所に向かいながら、何度目かわからない謝罪を行うあかねに、紬は冷たく一瞥すると無言で足を速めた。  座学研修の途中で実施が決定した事を告げられた実践研修。その初日に遅刻する事は、いくら講師が適当に選んだパートナーの責任であっても紬にとっては受け入れがたいことであった。かといって、パートナーだけが遅刻して紬は集合場所にいる。という方法も考えつかなかった。  事前に指定しておいた罰合わせ場所に来ない事を疑問に思い、講師に連絡を取って教えてもらった住居を訪ねれば、まだ室内にいる。その自覚の無さに腹がたって仕方がなく、口を開いたら文句しか出ない事も分かっている為、無言を貫くことしかできない。  「あー、あっ! ねぇねぇ、春夏秋冬って、春夏秋冬主査のお弟子さん?」  会話がない事に耐えかねたのか、あかねが話題を提供する。すでに謝罪を受け入れてもらう事は諦めており、今はただ、張り詰めた空気を改善しようとしているだけだった。  が、その言葉に反応して足を止めた紬が見たのは、底が見えない、得体のしれない笑みを浮かべたあかねの姿だ。こてん。と、傾げられた首は可愛らしさを引き立てているが、その目を見た瞬間、何故かぞくりと背筋に鳥肌が立つ。  急に感じた恐怖を押しとどめて頷くと、あかねは「あぁ、やっぱり」と、嬉しそうに手を叩いた。  「自己紹介まだだったね」  「住所を聞いた時に、あかねって名前だけは聞いたわ」    「イザナギ。伊弉諾あかね。本名だよ」    歩き出そうと再び動かした足は、今度こそ完全に止まってしまう。  目を見開いて驚きを露わにする紬に対して、あかねは悪戯が成功した子供のように手を叩いて笑った。  「やっぱり、ちゃんと教育受けてるんだね!」  「……受講生はアヤシの被害に遭った者だって聞いていたんだけど、なんでアヤシがいるのかしら?」  「そりゃ、被害に遭ってるからだよ。」  嫌悪と警戒を剥き出しにした紬に対して、あかねはからりと笑いながらそう答える。真偽は確かでない話だったが、それ以上の追及を止めた紬は、小さくため息をつくと自身の未熟さを謝罪した。あかねは目を丸くすると、首を横に振って微笑む。先ほどとは違って少しだけ寂しそうな瞳をしたあかねは、ぽつりとつぶやいた。  「アヤシは君たちに有害だから仕方がないよ」  その言葉に、紬は思わずあかねの頭に手を伸ばして優しく撫でる。それは、気まずさを誤魔化すためのものではあったが、ほんの少し、寂しそうに揺れた瞳を慰める為でもあった。    アヤシが人間を害するように、アヤシを害する人間もいる。  紬は歴史書に書かれている交渉を思い出し、目の前にいるアヤシにとって、自分達は有害なのだろうか? と、考え始めていたのだ。  人間が化学の発展と共に超化学と呼ばれる分野に力を入れ始めた時期があった。両方の分野を融合させ、より高度な文明を築こうとしたのだ。伝承を漁り、暴き立て、異形が視える目を持つ者たちをハンターに仕立てて狩り尽くした。  そうして人間に追われたアヤシが起こした反乱は、各国の災害として記録に残され、手に負えないと判断した各国のトップは、彼らが好む自然そのものに手を出し、人間の力を見せつけようとした。結果は地球の自然破壊が進み、生態系が壊れただけで終わってしまった。  だが、住まう世界そのものの危機を受け、交渉という形で双方の妥協点を見出したのが、現在、名持ちと言われる人と違わぬ姿を持ち、人の理を理解いし、世で生きているアヤシ達だった。    彼らは政財界、経済界の上位に入り込んでおり、国を相手取った交渉すらたやすく行ってしまうほどの力をもつ存在だ。  日本における名持ちは、伊弉諾、神威、八百万(やおろず)の御三家。と言っても、アヤシの名持ちに血のつながりはなく、どこに近い性質を持っているかで振り分けられている。伊弉諾は、その中でも人間に友好的であるが、夜を好む者が多く属している一族である。  と、脳内に溜め込んだ知識をひっくり返しながら、伊弉諾を名乗る少女が日の下にいていいのだろうか? と、急に心配になってきた。日陰を歩くよう促すと、黙り込んで考え出した紬の動きを待っていたあかねは、思わずといった様子で声を出して楽しそうに笑い始めた。  「善き娘が相棒で嬉しいこと。  よろしくね。紬。」    ひとしきり笑ったあかねが伸ばしてきた手をそっと握る。ひんやりと心地よい冷たさに、やはり人ではないのだ。と、不思議な気持ちを抱いた。滑らかで柔らかい手は、人よりも人らしい。とも思う。誰よりも紙を捲り、電子機器を操り、体術を身につけた自分の手は、きっとがさついている。タコだって出来ているのだ。その手を握り返したあかねは、努力家の言良い手だと笑った。最初に抱いた印象通り可愛らしく、無邪気な少女のように。  二人で話しながら歩いていたからか、集合場所についたのは最後。時間も遅刻ギリギリだったが、機嫌が良いあかねを見て、説明を買って出た來刻は、にまにまと人の悪い笑みを浮かべた。  「首席が遅刻ギリギリとは意外だなー」  「伊弉諾さんを遅刻させなかっただけ、ありがたいと思って下さい」  と、來刻を睨みながらばっさりと切り捨ててくる。言外に遅刻しかけたのは、隣にいるあかねのせいだ。と、不服そうに隣に視線を向ける。  「考え込んで足が止まったのはつーちゃんだよー?」  ぷくりと頬を膨らませてあかね応酬する。アヤシの名付きが、この場にいる事にざわつく周囲を気にも留めない紬を見ながら、來刻は安心したように肩の力を抜いた。  アヤシの被害において、最も悲惨だと言われたヨビクイの生き残り。師である綴から公平さに欠けるから向いていない。と、言われた弟子は、自身の隣にいるアヤシの存在をしっかりと受け入れているように見えた。事前にあかねにだけは、紬の事情を伝えていたが、すぐに馴染むとは思っていなかった。  (相性は悪くなさそうでよかったよー。)  言い合いをしている二人は放っておき、他の候補生達に向かって手を叩いて意識を自分に向ける。ざわつきが落ち着いた頃を見計らって、ゆっくりと言い聞かせるように語りかける。  「ざわつきすぎだよー? 伊弉諾が何かを知っている事は及第点だけど、アヤシに対しての過剰反応はいただけないなー。みんな自己紹介は終わっているよね? 今から実務研修の説明をするよー。」  來刻の言葉を受けて、伊弉諾の名に反応していた者達が來刻に視線を向けた。静かになった空間に映像資料を五つ展開し、一つずつ見やすいように拡大しながら、説明を続けた。  「今から調停に向かってもらいたい案件は5つ。  1つめ。カミカクシ。赤垣トンネル通過後に、数名が行方不明になっている案件ね。これは死体が出てきているから、アヤシではない可能性もあるけど、現段階ではこっちの案件だからしっかりねー。調停人の役割は、奪還と場所の封じ。これも、しっかりやるようにー。  2つ目、カミツキ。超科研で交信実験中に異常が発生。対象の女性が奇行に走り、安定剤を投与するも効果なし。生魚を川まで取りに行き、顔を突っ込んで捕獲。貪っている所を保護。これは、人間が完全に悪い案件だから、お引き取り頂くのが役割だけど、くれぐれも穏便に頼むよー。ついでにあそこの連中に恩も売っといてー。  3つ目ー、――――」  説明と共に映し出されていく資料を見ながら、紬はちらりと周りを見回す。5件の事案に対して、呼ばれているのは20組40名だ。  1つの事案に4組で関わるという事なのだろうか? 紬の思案をよそに話は進み、気が付くと説明が終わろうとしていた。    「――――以上。で、君たちには好きな物を選んでもらうからね。調査方法は自由だし、チームを組んだっていい。ただし、調停人として仕事が出来るのは1組のみだから、競争でもあるってこと忘れないでねー? さ、選んだ、選んだ。早い者勝ちだよ」  成程。うまいやり方だ。と、感心しながらも、紬は冷静に状況の判断を行っていく。チームを組む気は一切ない。調停人として事案に携わる時、別の事案の根本が同一であり、調停人が複数人関わる事がある。と、師である綴から聞いたことがあった。  今のうちに事案被りを経験させようという事なのだろうが、チームで組むと遠慮しあったり、どちらがやるかで揉めたり、デメリットが大きい。組んでいい。と言ってはいるが、実際のところ、チームを組んだものは調停人としては不向きである。と烙印が押されるのだろう。  経験を積ませることと、ふるいにかける事を同時に行う。実に効率的だが、この罠に気が付いている受講生が果たしてどの程度いるのだろうか。  「伊弉諾さん」  「堅苦しいなぁ。あかねでいいよ。伊弉諾なんて山ほどいるんだし。ね、つーちゃん」  「その、つーちゃんってなに?」  「紬のつーちやんだよ?」  どの案件が気になるか訊ねただけで、呼び名問題が発生してしまい困り果てて眉を顰める。しばらく見つめ合い無言の攻防を繰り広げていたが、らちが明かない。と、折れたのは紬だった。  「……あかねは、気になった案件ある?」  「あると言えばあるけど、悩むなぁ。」  言葉では悩む素振りを見せているが、あかねの目は4つ目の事案が記されている資料を凝視している。決まっているなら何を悩む必要があるのだろうか? そう思い資料を手元で展開した瞬間、よく聞いてから判断すべきだったと後悔した。   【花匣:八歳~十九歳までの少女を対象とした連続誘拐殺人。アヤシか人間かは現段階で不明。誘拐された少女は新月に殺害され満月に発見されるという共通点があり、全て死亡が確認されている。なお、写真の通り躯体は匣に加工されており、心臓部には花を。胎内には種が植え付けられており生け花のようにも見える事から、本件を花匣と名付ける】  資料と添付されている写真を確認しながら、こみ上げてくる吐き気を必死に抑えてあかねを窺い見る。  鋭く細められた目と、捲れ上がった唇から覗く犬歯。嫌悪と怒りを顔だけでよく表現できる。と、あきれるほどに歪み切った表情と、呼吸が苦しくなる程の殺気に、どうしたものかと思案した。  多少勇気が必要だったが、数秒考えて資料の下にある受諾表示をタップする。手持ちの鞄に入っているファイルから機械音が聞こえ、資料が溜まっているだろうことが分かった。  この気味悪い事件写真とも暫く付き合わなければならないのか。と、思いつつ何度目か数える事すらやめたため息をつくと、あかねの肩を軽く叩いた。  「調査に行くよ。先を越されたくない」  そう声を掛けると、我に返ったようにあかねが顔を上げ、頬をかきながらバツが悪そうにうなずいた。  「つーちゃん、こういうの苦手じゃない?」  不穏な空気を自ら変えようと、軽口を叩くあかねの頭を叩きながら、紬は問題ない。と、返事を返す。  「それなら、調査始めよっか!」  へらりと笑いながら宣言して歩くあかねの後ろに続きながら、紬はぺこりと頭を下げた。「お先に」と、言外に告げられた他の者達も一斉に動きだす。  だが、その中で紬達が選んだケースを選択するものは紬たちを除き1人もいないことに紬は気づいていなかった。
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