Case5. 生還

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Case5. 生還

反響している声に合わせるよう濃くなる気配を無視して、階段に足を掛ける。支配下を逃れた事に気づかれている可能性が高い。そもそも大声で通話をしているのだ。気づかれないはずがない。  ――カタ  微かな音と共に頭上から僅かに差し込む光。その光に向かって身体を持ち上げれば、白く細い腕に掴まれ一気に引き上げられた。  噎せ返るような血の臭いも、身体の自由を奪われる恐怖も消え失せ、冷たい手の感触に自身が生きている事を実感し安堵する。引き上げるために掴まれた腕が痛む。肩の脱臼や筋が伸びた。というわけではなさそうだが、可動域の確認の為ぐるりと大きく回した。多少ひきつれたような痛みはあるが特に大きな怪我はないようだと安心感から大きく息を吐いた。  「痛む? 強すぎたかな?」  両の眉を下げ、不安そうに訊ねてくるあかねに、大したことはないと腕を振り回して紬は笑顔で応える。万が一脱臼などがあったとしてもあの空間から出られたのだから文句を言うつもりはなかった。そもそも、検証事案を軽視し、アヤシの調停がどういうものか知っていると過信し、深入りした自分のミスなのだ。紬は謝罪しなければ。と思い口を開く。が、それを遮るようにあかねが先に言葉を紡ぐ。    「ごめんなさい。案件的に見習いにやらせるものじゃないってわかっていたの。それでも、この事案に手を出してしまった。分かり切っていたミスをしてしまったわ」    最敬礼の角度で謝罪されては、なにも言う事が出来ない。ただ、新米が手を出せる案件ではないのか。そう改めて気づかされただけに過ぎない。同時に、目の前で頭を下げる相棒が選んだ案件ではなかった事も思い出す。気にはしていたが、決して手を出そうとはしていなかった。気づいて先に案件を受諾したのは紬であり、あかねはどちらかといえば止めようとしていたのだから。  それなのに、何故あかねは頭を下げているのだろうか? 自身の責任すら取らせてもらえないのなら、対等な関係など築けはしないことを、目の前の見た目だけは幼いアヤシは気づいていないのだろうとため息に変わる。  「……気にしていたのはあんただけど、受諾したのは私だから、そこを謝罪されると困るわ」  ため息混じりに告げると、目を丸くしたあかねが顔を上げた。  「でも、つーちゃん、乗り気じゃなかったよね?」  「それでも、受諾したのは私だってば」  「うー、でもなぁ。でも、でもー」  互いに譲らない空気を先に壊したのもあかねの方だった。「じゃあ、お互いさまってことでいっか」と、会話を終わらせ、建物の外に出ようと促す。埃だらけの衣服を叩きながら外に出ると、つい先ほどまで命の危機を感じていたとは思えないほどの平和な空気が漂っていた。静謐な夜の空気。街灯と共に道を照らす月明り。生きているという安堵から特別なものに感じるが、どこにでもあるありふれた光景だという事は、紬にもよくわかっている。  危険があるのは地下だけなのだろう。道端の段差に腰かける紬を見て、あかねも隣に腰を下ろした。あかねが紬をじっと見つめる。月明かりを反射した瞳は紅く、地下で見た血液を思い出させた。力が入りそうになる身体と、浅くなる呼吸を意識して気を落ち着けると、あかねがそのタイミングを見計らったかのように口を開いた。  「怖い思いをさせてしまったね。本当に、申し訳ない」  先ほどまでの軽い口調とは異なる、重みのある言葉に自然と姿勢が正される。軽く頷いて言葉の先を促せば、気分を害した様子もなく、あかねの口は言葉を紡いだ。  「花匣。名付であった旧き友が、大切な物を愛でる為に作成した特別な匣だ。人間が好きで交流を持ち、親しくなった人間が活ける華を一等愛でていてね。枯れぬように。と、願いを籠めて作ったのが始まりよ」  「……随分とロマン溢れた話ね」  「だが、華は枯れずとも人の命は尽きる。その哀しさに耐え兼ねて……その者を匣にしてしもうた。今では、永久に愛でたいと依頼されたモノを匣に活けて売っている。と聞く」    はっきりと言えないのは、本人が作っている姿を見た事もなければ、匣の実態を見た事もないからだ。とあかねは続け、疲れたように空を仰ぎ見た。その姿はアヤシの中でも上位種とは思えないほどに弱く見え、返す言葉を失った紬は黙り込んでしまう。  紬の見た匣は確かに人間だった。だが、匣に活けられているのではない。彼女が匣になっていた。人を匣にしているのは少し道理が異なる気もするが、それも作成したモノにきかなければ分からない。  「……まぁ、言えることは悪趣味としか」  「そうだね。そう思う。かつての友が行った凶行であるならば、止めなければならないのだよ。だが、それは、研修でやるものではなかった。何故、この案件が紛れていたかはわからないが……選ばなかった者達は、賢い」  「それもそうね」  肩を竦めて、比較的軽い口調を意識して返事を返す。紬に出来る事と言えばそのくらいだ。なにを言っても今は自分を責めるだけとなるだろう。それは、かつて自分が経験しているからわかる。  ――あの状況で、通報しただけすごい事よ。他の人への被害は防ぐ事が出来るようになったのだから。  かつて、綴にいわれた言葉が頭の中をよぎる。  その言葉を聞いたときは、自分の家族は助からなかったのだ。と、嘆いていたが、少し時間がたって、他者への被害を防ぐ事に繋がった。その事実が自分の心をほんの少しだけ軽くしてくれた。  思い出した時の気持ちをそのままに、ゆっくりと息を吸い込み、空気を吐き出すように言葉を紡ぐ。  「止める為には誰かが引き受けないといけない。調停人である以上()()()()()()を探して、解決していく必要がある。一度取り組んだ案件よ。最後まで考えましょ。それで、被害を防げばいいのよ。あなたの友人が犯したものであっても、やる事は変わらないでしょ。今は……そうね。一緒に春夏秋冬主査に怒られてくれる? 連絡してるから」  「……まじかー。春夏秋冬主査にも連絡済みかー」  嫌そうに頭を抱えるあかねを横目に、紬は端末を操作して綴に連絡を入れる。  ――無事生還しました。あかねと一緒に報告に行きます。  短い文章ではあったが、アヤシであるあかねを相棒として認めた事も含めて伝えたつもりだ。  なんとか案件調査を継続できるように説得しなければ。  綴は、下手したら取り上げられる案件である事を理解したうえで、最後まで関わる方法を考え思いを巡らせた。
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