山爺

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 その日は、朝からなんとなくいつもと違っていた……。  仕事が休みの週末、いつものように私は装備を整えると、まだ登ったことのない新たな山へと普段通りに向かった。複数人で登るより独りの方が気楽だし、また、計画も立てやすいので私一人での単独登山である。  いろいろ障りがあるので山の名前は伏せておこう。問題のない範囲でざっくり言うと四国にある山だ。  天気は快晴。予報も今日明日は雨や嵐にはなっていない……だが、その山の登山口に立った私は、そこはかとない違和感を覚えた。  具体的に説明しようとすると難しいのだが、その場に満ちる空気がなんだか変なのだ。  それでも、まあ、ただの気のせいだろうと判断した私は足取りも軽く登り始めたのであったが……しばらく細い山道を無心に進んで行くと、不意に辺りが白みだし、あれよあれという間に濃霧に飲み込まれてしまった。  前後に他の登山者もいなかったので、一寸先をも見通せない山の中にいるのは私一人だ。あまり(かんば)しくはない状況である。  こうした場合、その場を動かない方が懸命な判断なのであるが、長年、山に登ってきたという過信があったのだろう……それでも、さほどの悪路ではない一本道。まあ、迷うこともなかろうと、私は用心深くなおも足を進めたのであったが。  ……迷った。  登山道は一本道のはずなのに、なぜか正規のルートを外れると樹々の生い茂る林の中へと迷い込み、同じような場所をぐるぐる廻っているうちに、いつしか日もとっぷりと暮れてしまっていた。  日も暮れてしまってはさすがに動くのは危険だ。少し開けた場所を見つけると、そこで私は朝が来るのを待つことにした。  登山初心者ではないので、こんな時のための装備はちゃんとしてきている。寝袋はもちろん、簡易的なテントもあるし、非常食もある。  周囲に散乱する枯れた枝を集め、早々に焚き火を起こすとポットを火にかけ、まずはコーヒーでも一杯いただくことにする。  街場と違い、他には照明の一切ない真なる夜の闇の中、チロチロと燃える橙色(オレンジ)の炎がなんとも心強く、不安に飲み込まれそうになる私を優しく癒してくれる。  さらに沸いたお湯でコーヒーを煎れて飲めば、身体が温まるとともに心細さも霧散して消え去り、内心、いつにない状況に少々焦っていた私もようやく落ち着きを取り戻すことができた。
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