素面(しらふ)

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 最後と断言できる自信はないが、次へ行こう。世の中、「さえすれば」は、ない。しかし、淡い期待を抱いてしまうのが、悲しくてたまらない。そんな所だ。奈良県は十津川村に、「神様に呼ばれないとたどり着けない」と言われている神社がある。名を、「玉置(たまき)神社」。世界遺産だ。実際、大変に交通の便が悪い所に鎮座している。具体的には、村の中心部から、車で四十分ほどかかる。中心部まで電車とバスで行けるのは、ある意味当たり前だ。そして、神社までも公共交通機関が通っていればいいのだが、それがない。週末限定で、その名も「世界遺産バス」が一日に一往復するのみ。しかもそのバスは、毎年十二月から翌年の三月まで運行しない。実質、タクシーを使うか、ツアーで行くしかない場所だ。創一も、当初は単独行を予定していた。だが、「世界遺産バス」のダイヤは午前中。そうなると、前日に十津川村に入り、現地の宿で一泊してから、というスケジュールになる。村内に宿は複数あるが、思い立った時に空室がある保証はない。思案している中、運良くツアーを予約できた。幸運だった。よって、ツアーのマイクロバスで向かった。日本一長い吊り橋だと言う「谷瀬の吊り橋」から、同じく世界遺産の「果無集落」に残る、いにしえの熊野詣での参道跡。その石畳の美しさを見てから、「玉置神社」へ。そこまでは、大変細く蛇行した道を、長く走る必要がある。車同士が、まともにすれ違えないほどの道幅だ。おまけにと言うべきか、すぐ側は断崖絶壁。で、あるにも関わらず、ガードレールのない箇所も多い。何らかの間違いで滑落したならば、まず間違いなく死ぬ。絶対に死ぬ。賭けてもいいぐらいだった。結果、安全に走行しているのに、無駄にスリリングであった。やがて、到着。村のガイド氏が言ったのだが、「神様に呼ばれないと、たどり着けない」という「冠」は、特にガイド達や、まして神社側が言い出したことではないとのこと。単に交通の便が極めて悪いがために、ネットを発祥に広まった噂だ、と言う話だった。ガイド氏は、「ネット恐るべしです」と結んだ。同感だった。「玉置神社」は、かつて修験者が修行に使った山である、玉置山の山頂に鎮座している。より正確には、頂上から少し下ったところに、本殿などがある。摂社や末社もいくつかある中、特記すべきは「玉石社(たまいししゃ)」という末社であろう。事前にユーチューブで調べている中で、何度も観た。「玉置神社の始まり」とされている所だが、お社はない。単に、御神体の玉石が、中央の地面から、わずかに顔を覗かせているだけだ。ここにもまた、自然崇拝から来る、古代神道の流れを見ることができた。同時に、動画越しであれ、得も言えぬ力強さと、歴史の長さをも感じた。参らない手はない。しかし、問題は、道のりだ。同じく事前に調べた限りでは、本殿から、相当な急勾配の山道。それを、十分以上登らなくてはならないらしい。ツアーであれ、世界遺産バスであれ。「玉置神社」への滞在時間は、一時間三十分と決まっている。一の鳥居から本殿まで、片道徒歩十五分。往復の手間を考えると、時間が足りるか? 不安であった。思案の結果、創一は、参道をかなり早足で歩いた。本殿までたどり着いたが、全てを通り過ぎた。いの一番で、「玉石社」へと登ることにしたのだ。登山道は、想像以上に過酷だった。「六甲比命大善神社」の比ではないほどに険しい、急勾配の山道。一歩登るごとに、じわりじわりと体力を削られる。登っても、登っても、たどり着かない。もしかしたら、俺はメビウスの輪的などこかへ、封じ込められたのか? 既に息はすっかり上がっている。肺が呼吸を処理しきれなくなったのか、激しく咳き込む。なんなら、変な涙と鼻水まで垂れていた。初冬の肌寒い空気の中、汗だく。膝も大爆笑だ。「罰」という単語が脳裏をよぎる頃、着いた。呼吸は、整う気配がなかった。この時点で、御祭神がどちらの神であったか? 創一個人の私的な願い事は? そんなものは、綺麗さっぱり、欠片も残さず消しとんでいた。ただ、ただ、ひたすらに、「ありがとうございます!」と、壊れたボイスレコーダーのように繰り返していた。ひとしきり、感謝を祈った。その後、登って来た登山道を降りて、本殿を含めた、その他の箇所を巡った。なお、境内社である「三柱(みはしら)神社」。こちらは、珍しいことに、精神の病を平癒するご利益があるらしい。念入りに祈っておいた。そして、参拝後の恒例である、御朱印も頂いた。他の神社のそれと比べても、一際明瞭で力強い。なんだか、大変な頼もしさと、いっそうの有り難みを感じた。余談ではあるが、あまりに慌てて回ろうとしたため、参拝漏れが発生してしまった。「神代(じんだい)杉」と呼ばれる、樹齢三千年の、杉のご神木だ。気付いた時には、もう、時間的に引き返せないところまで戻ってしまっていた。再訪を誓うしかなかった。  しかし、感謝だ。どうやら、神を目指して極限状態に置かれた人間は、いざその御許にたどり着くと、ひたすらの感謝の念しか湧いてこないらしい。打算も、下心も、裏表もない、純粋無垢な感謝。かくあれ、という「お手本」を、神の業で「実感、体験」させてくれる。これは、なかなかにすごいことではなかろうか? なにせ、道中の険しさに、不平不満を募らせていても不思議ではない程だったのだ。だが、一切のぜい肉をそぎ落とした、大粒の砂金のような。あるいは、誰もが忘れたと思っていた。またあるいは、脆すぎるこわれものであるがゆえに、十重二十重に「防御」していた、「善良なる人間の本質」。むき出しの心を、誰しもがさらけ出す。神の業と言わずして、何と言おう? 再度しかし、だが、今にして、嫌に照れ臭い。なぜならば、四の五のクダを巻いた割に、結局の所、甘ちゃんで、呆れるほどのお人好しぶりを、ポロリと露呈してしまったからだ。「善良なる人間の本質」。そうだ。結局創一は、人間の性善説を信じたいのだ。生き馬の目を抜くような世間の荒波。騙し騙され。貶め貶められ。主菜から副菜、お新香からおみおつけまで、全て「不毛」で濃厚に味付けされた大盛りの定食を、毎日三食、無理矢理食わされているような、そんな日々の中。人を信じたいと、かすかでも思う。世界に色を取り戻すための旅だった。だが、「色を見る気がなかった」だけなのかも知れない。ただ、それに気付けただけでも、多くの神社を巡ったことには、濃い意味がある。ではあれど、資金面が厳しいため、当分遠出はできないだろう。しばらくは、自分の氏神様へ参ろうか。早速、参拝してきた。ちなみに、御祭神は、「須佐之男命」だ。御神気はカケラも感じなかった。しかし、伊勢の神宮とは別のベクトルに、「帰宅感」がある。今後は、遠出をする前に、全て氏神様に「お取り次ぎ」を願おう。俺の居場所は、もうあったのだ。結論が出たところで、この話も幕となる。  この、主人公の四方木創一という男は、掘り下げる値打ちのまったくない奴だった。なにせ、極め付けの甘ちゃんなのだ。ちんけであり、浅薄であり、イカレポンチであり、幼稚極まりない。到底、実年齢と内面が釣り合っていない、未成熟の権化。最も端的に言うならば、バカであり、阿呆であり、付ける薬はどこにもない。淘汰されてしかるべき、実に矮小な男だった。  何よりも、何よりも厄介なことは。  創一は、徹頭徹尾、素面であったと言うことだ。 ―了
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