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こうして私は、居心地の悪い時間をなんとかやり過ごし、昼休みをむかえた。
いつもは他の社員達と食堂へ行くが、それもなんだか気が引けたので、1人で食堂へ行き、食事を済ませた。
昼休みが終わるまで、かなり時間があまったので、自動販売機でコーヒーを買うことにした。
自動販売機が並んでいる場所にはベンチが置いてあるが、今は誰もいなかった。
私はコーヒーを買い、ベンチに座った。
しばらく、ぼんやりしていると、1人の男性がやってきた。
彼は私をちらっと見ると、自動販売機の方に向かった。
同じフロアにある別の部署の、名前は田中だったか中田だったか…。入社した時からいたと思うが、あまり目立たない人だし、話をしたことはないし、この人が他の人と話しているのも見たことがないような気がした。
それでも、きっと、私の噂は聞いているだろう。きっと、あちらも、気まずいに違いないと思い、私はコーヒーに目を落として、彼がいなくなるのを待った。
ちゃりん、ちゃりん…
突然そんな音がして、私の目の前に、1枚の100円玉が転がってきた。
拾って目を上げると、落ちた何枚かの100円玉を拾いながら、彼が近づいてきていた。
私は拾った100円玉を彼に差し出した。
「どうも」
彼は短くそう言うと、受け取った100円玉を小銭でパンパンになっている小銭入れに押し込んだ。
私は、今時、電子マネーでなく、小銭を使う人も珍しいなとその小銭入れをじっと見てしまった。
「あの、これ、山で使うからなんです」
彼は言い訳のようにそう言って、パンパンの小銭入れのファスナーを無理矢理閉めた。
「山小屋でトイレを使うときに、使用料として箱に100円玉を入れたり、山には神社があることもよくあるので、お参りするのにお賽銭もいるし、売店も現金のところが多いし、他にもいろいろ使い道があって…」
早口でまくしたてる彼を見て、私は思わず、くすっと笑ってしまった。
「おかしいですよね」
彼は恥ずかしそうに言った。
「そんなことないです。山登りがお好きなんですね」
私は笑ったことを申し訳なく思いながら、そう言った。
「はい。趣味程度なんですけど」
彼はそう言うと、軽く頭を下げて自動販売機に向かった。
そして、コーヒーを買い、もう一度、私に軽く会釈をして歩きだしたが、すぐに立ち止まり、こちらを振り返った。
「あの、高くて登れないと思える山に登れた時ほど、達成感は大きいんです。だから…その…、今は辛いと思いますけど、がんばってください」
彼は早口でそう言うと、足早に去って行った。
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