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旅路
驚天動地な叫びが森の中を矢のように飛んでいく。そしてアタシはハッとなって口を押えた。追われているかも知れないのに居場所を教えるような事をしてはダメだ。
チラリと城の方角に目を向ける。
すると二つの事に気が付いた。
まずは咄嗟に口元を押さえた掌に伝わる鋭い牙の感触。そして、先ほどまではほとんど見えていなかった夜の森がかなり遠くまで見渡せるようになっている事だ。明らかに体に変化が起きている。ノリンさんの話は嘘ではないようだった。
「力をコントロールできんから、まだ幼い坊主には直ではなくてグラスで血を与えておったのじゃろう。ナナシに血を吸わせるのではなく、舐めさせたのはその為じゃ。くぅ…こちらは用心していたのに、坊主の方を見誤ったわい」
「いやいやいや。おかしいでしょ。力どうこうじゃなくて、何で吸血鬼に噛まれたからって吸血鬼になるの!?」
「おや、チカ殿の世界では違うのか?」
「当たり前じゃん。犬に噛まれたって犬にならないでしょ!? …ひょっとそっちの世界じゃそうなの?」
「いや、流石にただの犬に噛まれたくらいで犬にはならんが…何かに噛まれて人間が別の生き物になる話は大いにあるぞい」
「何それ怖い」
二人のそんなやり取りを茫然と見ていた。
そっか…。
吸血鬼になっちゃったかぁ。
異世界に召喚されたのと優劣が付けられないくらいの異常事態であるはずなのに、何故か心は穏やかだ。この数カ月で色々あり過ぎたから、もう心がキャパシティーオーバーしているのかも知れない。
アタシは思ったままの言葉をそのまま吐露していた。
「吸血鬼になっちゃたかぁ。これは、いよいよお城には戻れないかな」
「酷すぎるよ~。架純さん、婚約者にも裏切られたばかりだっていうのに…」
「婚約者に裏切られた?」
「え? 何でチカちゃんが知ってるの?」
知っているはずがない。アタシは誰にもこの事を話していないし、あの会話があった時点ではこの四人は召喚には応じていなかったのだから。
ぐすっとアタシの為に流してくれた涙を拭って、チカちゃんは答える。
「チカの昔からの体質でさ~、血を吸うとその人の記憶とか感情とかも見えちゃうんだよね。今、架純さんから血を貰った時、流れ込んできちゃったんだ」
「そう、だったんだね」
「込み入った事情があるようじゃな」
「あはは…」
自然と乾いた笑いが出てしまった。
別段、隠す意味もないと思ったアタシはその流れで思いの丈を全部をぶちまけてしまった。途中からは事情の説明というか愚痴と文句の言葉になってしまったが。しかし、多分だけれどあの出来事がなかったらアタシはあの時になって四人を助けるために動けなかったような気がする。
そう思えば幸か不幸かは定かではない。いや不幸か。どう考えても。
「何とも薄情な話じゃな。架純殿があの部屋で叫んでおったが、どちらが凶悪か分かったものではないわ」
「エヘヘ…そんな訳で結果としては良かったのかも。人間のままだったらどうしても帰りたいって気持ちが出てくるもんね。吸血鬼になったら戻り様がないもん…色々と吹っ切れちゃったな。なんだか生まれ変わったみたい」
「実際に人間としての生は終わってしまったからのう…あながち間違いではない」
ノリンさんは何とも言えない表情になっては、隣にいたフィフスドル君を見た。そして固まっている彼の体を肘で軽く小突く。
「坊主。いつまで黙っておる」
「あ…う…」
「現状、坊主の眷属じゃ。因縁の発端として責を果たせよ?」
「せ、責とは?」
「まずは吸血鬼の事を教えてやらねばなるまい。架純殿の場合、発端が坊主じゃからそこいらの吸血鬼よりは余程上等のはず。それでもしばらくは日光には気を付けた方がよかろう」
「そっか。お日様は危ないのか」
「ああ。陽の光を避けるのはナナシも同じじゃ」
「ワカッタ」
「よし…ん?」
と、全員の視線がナナシ君に集まる。血を舐め終わった彼は、それでも大事そうにアタシの腕を抱えている。何だかコアラみたいだと思ってしまった。
「ナナシ君。今、返事した?」
「シタ」
「ほう。もう言葉を覚えたか」
「ええ!? 早くないですか?」
「普通の人間よりも貴い者の血の方が上等じゃ。召喚の時のボーナスとやらで架純殿も力を持つ人間になっておったからの。その影響やもしれん」
「なるほ、ど?」
ま、吸血鬼の事を人間の常識で考えるだけ無駄か。それよりも何よりもナナシ君と意思の疎通ができるようになったことの方がメリットだと思う。
こちらの話を理解できるなら一緒に吸血鬼の勉強もできるしね。
するとチカちゃんが全員に提案してきた。
「だったら次はさ、どんな魔法が使えるのか確認しない? 世界も違えば同じ吸血鬼でも違うところはあるかもしれないし。架純さんも何か変化があるんじゃない?」
「それは良いな。チカ殿のように血と一緒に心を読むなんて技は初めて聞いた。今後の為にも誰がどういう事を得意としているか共有しておいて損はあるまい」
「ならチカから」
と、自分から切り出しておいてチカちゃんは言葉に詰まってしまった。人差し指を頬に当てて可愛らしく何かを考えている。
「って言ってみたけど。何が普通で普通じゃないかなんてよく分かんないな~」
「アタシの知ってるイメージだと吸血鬼って空を飛んだり、コウモリになったり、天井を歩いたりとかなんだど」
「そのくらいなら練習すれば誰でもできるよ~」
「あ、やっぱりできるんだ」
残りの三人も特に否定を入れてこないという事は吸血鬼的にありふれた能力何だろう。感覚はないので自分もできるかどうかは分からないけれども。
「あとはやっぱり、吸血するとその人の心が読めるってのが大きいかな。ヱデンキアでも特殊だったし~。あと魔法の系統だと黒と青が得意」
「ん? 魔法の系統とはなんだ? お前の世界では色で区分するのか?」
「ドル君達は違うの?」
「ド、ドル君!?」
「だってフィフスドルって長いし、言い難いし」
「…呼び名は捨ておいてやる。僕の世界では基本的に火の魔法とか、風の魔法とか操るモノの名を冠して呼んで大別しているぞ」
「ヱデンキアでは白、青、黒、緑、赤の五つの分け方しかないんだよね」
そう聞いてアタシの頭の中に国数英理社の基本五教科が連想された。チカちゃんもどうやらそんなニュアンスで言っているような気がする。
「例えば風の魔法は青の範疇になるね~。赤と緑が使う事もあるけど」
「大雑把な世界だな」
「かもね~。で、ドル君は何ができるの?」
「アンチェントパプル家の嫡男として一通りのモノを修めている。中でも血魔術の腕はお爺様からお褒めの言葉を賜ることが多い」
「血魔術って?」
「その言葉が包括する能力が多すぎるから一言では言い難いが、血を操り同族を強化させる魔法と思っておけばいい」
「ふむふむ」
フィフスドル君はそう言いながらチラリとアタシに視線を送ってきた。そして何とも気恥ずかしそうにぼそぼそと呟く。
「つまりだな…僕はまあまあ強いという訳だ」
「うん?」
「アンチェントパプル家の者として同じ吸血鬼は守る義務と責任がある。だからその点に関しては…その、なんだ。あ、安心するといい」
この態度はひょっとして…ノリンさんに言われた通り、アタシを吸血鬼にしてしまった事に対して責任と謝罪の言葉を紡ぎたいけど何と言っていいのか分からないという感じだろうか。
意地っぱりというか、プライド高くて素直になれないような様子は大人の貴族がやると目障りだったけど、相手が年下の少年だと思うと一歩引いて俯瞰で相手の心情を判断することができる。
やっぱり可愛らしさが勝ってしまうけど。
大人の余裕があるからか? それとも吸血鬼になって吹っ切れたせいなのかな?
いずれにしても、アタシを守ると言ってくれているのだから素直に返事をした。
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