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やがて日が完全に沈み、エオイルに夜がやってきた。ここからはナナシ君を連れてでも気軽に外を出歩ける…いや、エオイル城からの追手を思えば結局はおちおち外に出ることも難しいか。
四人は一瞬の事だったから顔も完全には覚えられていなかろうが、アタシはがっつりと顔が割れている。
しかも四人に比べると明らかにどんくさいし、要領よく立ち回るのも苦手。少なくもギヴェヌーの町では引き籠っている方が得策に思えた。
…それにしても流石にお腹が減ってきた。かれこれ丸一日食べていないのだから無理はない。
すると、最高のタイミングでチカちゃんとノリンさんが帰ってきてくれた。吸血鬼になって鼻も良くなったのか、香ばしいパンの香りがすぐに鼻孔をくすぐってくる。ところが、それに触発されたのかアタシのお腹の虫が遠慮なしになった。
ぐぅぅぅ…。
「…」
部屋の中に沈黙が流れた。やめて、黙らないで。いっそ笑ってくれた方が救われる。鏡はないけど絶対に顔が赤くなってる…。
なんてことを思っているとフィフスドル君が一つ咳払いをした。
「腹が鳴っても仕方ないだろう。僕はこれほど長い時間、空腹を味わった事がないのだ。貴族だからな」
「…なんじゃ、小僧の腹の虫じゃったか」
「うふふ~。育ち盛りだもんね。美味しそうなの買ってきたからご飯にしましょう」
「ゴハン、ゴハン」
…みんな優しい。
◇
ノリンさんはテーブルの上で包みを開いた。中には黒いパンと焼いた魚が入っており、開くと香ばしい匂いが強くなった。チカちゃんはどこかで手に入れた瓶から豆のスープを一階から拝借してきたカップに五等分にして注いでいた。
「パンを口にするのは何十年ぶりかのう」
そんな事をノリンさんはしみじみと言った。
「…黒いパンに豆だけのスープか。大昔の庶民のような食卓だな」
「わかる~。何か新鮮」
「庶民の中でも上等な方じゃがな」
「パン、マメスープ」
みんなの言わんとしている事はアタシも分かった。フィフスドル君とチカちゃんは元の世界ではかなりいい暮らしをしていたみたいだし、アタシも三カ月間は豪華絢爛な生活を送っていた。
というか、元の世界でも極貧生活を送っていた訳じゃない。カテゴライズすれば貧乏な方だったとは思うけれど、最低限の衣食住は確保できるお金は持っていた。
明日食べる物があるかないかという状況は今が生まれて初めてだ。
「食べ物がキチンとあるって凄い事なんだなぁ」
「僕らに組した事を後悔しているか?」
「ううん。それはないよ」
反射的にアタシはそう答えた。少なくともあそこにいた時の惨めさは辛酸よりもつらかった。
「野良猫と飼い猫はどちらが幸せか分からぬモノよ。その点、お主ら三人は貧富両方を味わえっているのじゃから見識は広がるじゃろう」
「確かに…僕の吸血貴族としての深みを増やしていると思えば、この理不尽さもまだ耐えうるか」
「大人だなぁ」
「当然だ。僕はアンチェントパプル家の嫡男だぞ」
アタシ達は月明りを照明にして夕飯を食べ始めた。
パンはぼそぼそ、スープは大味、焼き魚は塩をかけ過ぎと散々でフィフスドル君とチカちゃんはブウブウと文句を垂れている。アタシも同意見だったけれど、それでもワイワイと食べる食卓はとても楽しいものだった。
ノリンさんはそんなアタシ達を見て「舌が肥えておるの」と言って笑っているし、ナナシ君に至ってはアタシの血を除いて初めての食事だったらしく実に美味しそうに平らげていた。
やがて食事もほどほどに終わる頃合いでフィフスドル君は外出した二人に尋ねる。
「それで進展はあったのか?」
「もっちろん! 吸血鬼の国の場所は分かったし地図も買えたよ」
「本当?」
「うん。話を聞く限り歩いて十日くらいで着くって」
「十日かぁ」
アタシは頭の中で目算してみようと試みたが、徒歩で旅をしたことは皆無だったので何も考えないのと同じだった。少なくとも家から会社までの通勤と同じレベルで考えてはいけないとは思っていた。
そう言えばいつだったか、書道教室で知り合った歴史好きなおじいちゃんが江戸時代は日本橋から京都までは、二週間の旅路だったとか何とか話をしていた記憶が蘇った。
すると、ノリンさんがそれと全く同じことを言った。
「江戸を発って京に行くよりかは近いが…儂以外は旅に慣れておらぬからのう。倍の二十日は見ておいた方がよいぞ」
「ああ、そっか。足の慣れている人で十日って計算だもんね」
二十日かぁ。
結構な旅になる。
アタシは気合いを入れ直す。お腹が膨れている分、元気があるのが幸いだった。
「そうと決まれば今日の内に出発するか?」
「善は急げと言うからのう。疲れが出ていないのであれば、それがよかろう」
「チカは平気だよ」
「オレモヘイキ」
「アタシも大丈夫。いっぱい寝れたから」
それは嘘ではない。吸血鬼になったおかげか体力の回復が尋常ではない程に早くなっている気がした。加えて本音としてはいち早くお城から遠ざかって、みんなの安全を確保してあげたい。
見つかったら…絶対に戦いになっちゃうから。
「決まりだな。路銀を作り、旅支度を整えたらすぐに吸血鬼の国に向かおう」
「ところでさ、吸血鬼の国は何て名前なの?」
「えっとね…」
チカちゃんは地図を広げ、吸血鬼の国の場所を指さしてくれた。そこには当然、名前が記されている。
「アシンテス…」
戦争をしているというのに敵国の名前すら知らなかった。本当にアタシは色々な事から目を背けてあの城にいたんだと改めて実感した。
けれど、今は違う。
この先どうなるかは分からないけれど、アタシはこの四人の力に成り立ちと心の底から思っているのだから。
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