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「良いのか? お主も怖かろうに」
「あはは…なんかナナシ君に血をあげてたら色々吹っ切れたというか。痛いのは嫌だけど」
「チカはお言葉に甘えようかな。なるべく痛くないようにするからね」
「近くに獣の気配もなし。何が起こるか分からんからな…すまんが儂も一口だけ」
そう言ってノリンさんとチカちゃんの二人はナナシ君が舐めているのとは逆の腕を取り、前後から噛みついた。ピリッとした痛みはあったが、やっぱり思ったよりは平気だ。ただナナシ君と違って二人は明らかに吸い取っている感触があったので、少しだけ怖くなった。
アタシはフィフスドル君に目線を送る。何故かは分からないが、ふるふると彼は震えていた。
「ほら。フィフスドル君も」
「ふ、ふざけるな!!」
「え?」
「僕はアンチェントパプル家の吸血鬼だぞ!? そんな情けや施しのような血が飲めるか!」
「大分凝り固まった育ち方をしておるのう。架純殿のせっかくの好意だと言うのに」
「違うよね。架純さんが美人だから緊張しちゃってるんじゃない~?」
「え、そうなの?」
「なっ!?」
フィフスドル君は分かりやすいくらい顔を赤くした。マジか。
「ば、バカを言うな。この程度で美しいなどとは笑わせる」
「うわー、ひどーい。女の子に向かって不細工だなんて」
「不細工とは言っていない!」
「じゃあ可愛いって事?」
「ふ、普通だ。普通」
そう言ってぷいっとそっぽを向いてしまった。チカちゃんはその様子を見て猫が悪戯を思いついたような笑みを浮かべる。そしてアタシにこそこそっと耳打ちしてきた。
「にしし。これは思春期って奴ですな」
「思春期?」
「ま、本人もプライドも多少あるとは思うけど。照れの方が大きいね」
プライドかぁ。そう言えばエオイル国の貴族の中にもこれをこじらせたまま大人になったような人たちが沢山いたな。総じて禄でもないし、面倒くさかったのを覚えている。それに比べれば、フィフスドル君は子供っぽい分、いくらか可愛げというモノが残っていた。
そう思うと、何となく寛大な気持ちになってしまった。
「じゃあお願いなら聞いてくれる?」
「お願い?」
「アタシの血を飲んでください」
「う…が…」
フィフスドル君はカクカクと導線が二、三本切れたロボットのような動きをし始めた。これでもかと葛藤を体で表現している。
やがてコホンっと一つ咳払いをしたかと思えば例によって胸を張った。
「いいだろう。お爺様も真の吸血鬼は人間を蠱惑的に魅了し、自ら進んで血を提供させるものだと仰っていたからな」
「ふむ。やはり家からして堅いようじゃな」
「黙れ。アンチェントパプル家の名を陥れるような発言は許さないぞ!」
「まま、ノリンさん。飲むって言ってるんだからいいじゃないですか」
「そうじゃな。ここは架純殿の顔を立てよう」
そしてフィフスドル君はズカズカとアタシに近づいてきて、右腕を握った。が、どう考えても緊張しているのは丸わかりだった。強張ったまま口を腕に寄せる。そしてガブリと勢いよく噛みついてきた。
「あ、痛い。痛いよ!」
「こら~。女の子にはもっと優しくしなさい」
「き、牙を立てているんだぞ。痛いのは当然だろう!」
「単純に乱暴なんだよ。血管とキスするみたいにそっとやるの」
「分かるか、そんなの」
「深く噛み過ぎて止血も大変だよ~」
「そ、それなら大丈夫。アタシは治癒の魔法が使えるから」
アタシは自分の腕に癒しの魔法を使った。徐々に痛みは取れ、すぐに出血も収まる。けど魔法を使ったにしても傷の治りが早い気がする。知らず知らずのうちに治癒力が上がったりしているのだろうか? しばらく病院などには顔を出していなかったので気が付かなかった。
するとノリンさんが実に爛々と目を輝かせて言う。
「ほう。中々のものじゃな」
「召喚された時に与えられた能力らしくてですね…あれ? そう言えばみんなは何か能力とかは身に付いたりしているの? 元の世界にいた時より体が軽くなっている感じとかはない?」
「え? チカはそんな感じはないけど」
「儂もじゃ。これといって変わった様子はない」
「…同じくだ。その召喚時のボーナスとやらは吸血鬼にはないんじゃないのか? もしくは人間限定なのか」
「そもそもさ、吸血鬼と戦うのに何で吸血鬼を呼んじゃうわけ?」
「多分だけど準備不足だったんじゃないかな? 儀式の準備もアタシ達が召喚された時に比べれたら物凄くケチってたし」
「欲をかいたら仇敵たる種族を召喚してしまったという事かい? いい迷惑じゃな」
「全くだ。これだから人間というものは」
「…ごめんなさい」
「あ、いや。別にお前に言ったわけじゃ…」
フィフスドル君はしどろもどろになってしまった。生意気だったり、高慢ちきだったり、ムキになったり、素直になったりと忙しい子だ。けれどもそこが妙に可愛らしくも思えてしまう。
反対にノリンさんには凄い安心感がある。見た目は子供なのに、面と向かってみると醸し出す雰囲気は誰よりも大人だ。実際アタシの四倍以上を生きている訳だから当然と言えば当然なのだけれど。とにかくこんな状況になっても落ち着いて話ができるのは、彼の存在がとても大きいと実感している。
チカちゃんにしてもそうだ。下手をしたら喧嘩や諍いになってしまいそうな場面で、上手に相手をコントロールしている。彼女にはノリンさんと違って、同性だからこその信頼感が芽生えていた。この短時間ですっかりアタシ達のムードメーカーになってしまったようだ。
そしてナナシ君。この放っておけない感は凄まじい。話によると赤ちゃんと変わらないそうなだから、仕方のない事だとは思うけど。
出会ってまだ数十分しか経っていないというのに、アタシは勝手に何年来の友人かのような親密感を四人に抱いていた。
アタシが四人にそんな感想を抱いていると、何やらもじもじと歯切れ悪そうにフィフスドル君が声を掛けてきたのだった。
「…本当に傷は平気なのか?」
「え? うん。平気だよ」
「ならいい」
「のう…もしかしてお主、人に直に噛みついたのは初めてだったのではないか?」
「う」
「え? 本当? ならあんなにぎこちないのも納得~」
図星だったのかフィフスドル君は俯き、実に恥ずかしそうな顔をした。人を噛むって吸血鬼的には結構重要なイベントなの?
「普段、屋敷にいる時はグラスでしか飲んだことがない」
「ひゃ~。筋金入りのお坊ちゃんだ~」
「吸血鬼的にはそういうモノなんだ」
基準がよく分からない。ナイフとフォークよりも重いものを持ったことがない、みたいな感じなのかな? まあ、確かにノリンさんとチカちゃんに比べたらかなり慣れていない手つきだったのは間違いない。
しかし、ノリンさんはどうも違う事を気にしているようだった。異世界に召喚されるなんて出来事まで経験した上で、ここまで全く取り乱す様子のなかったノリンさんが初めて青ざめた様な表情になっていたのだ。
「事と次第によっては、ちとマズいかもしれん」
「何がですか?」
「のう坊主。一縷の望みをかけて聞くが、吸血鬼の名門の生まれというのは真っ赤な嘘で実は大したことのない吸血鬼じゃった、なんてことはないか?」
「な!? この僕をつかまえて、よくもそんな事を! アンチェントパプル家を陥れるような言葉は許さないと言ったはずだぞ」
「という事は…本当に名門の生まれで世間知らずか」
「せ、世間知らず!? 貴様ら庶民の常識だけで僕を推し量るのは止めてもらおうか。人間から直接血を吸ったのは初めてだが、僕くらいの貴族であれば別に珍しいことではない。こちらからすれば貴族の常識だ」
捲し立てて言ったフィフスドル君の言葉終わると、ノリンさんはまるで暖簾に腕押しのようにのらりくらりとした実に力のないため息をついた。
「はあ…では魔力の強い吸血鬼が何の下準備もなしに人間に噛みつくと、その人間は吸血鬼になってしまうというのは貴族の常識として知っておるか?」
「「え?」」
アタシとフィフスドル君の声が重なる。
ドクンっと心臓が跳ねた。
するといつの間にか歯の噛み合わせが悪くなっている事に気が付く。した事はないけれど入れ歯とかマウスピースを入れているみたいに口の中と顎と唇とに違和感がある。何というか…犬歯が伸びていない?
そしてアタシの頭に過ぎった想像をノリンさんが代弁してくれた。
「…やはりか。見てみい。坊主が噛んだせいで架純殿が吸血鬼になってしもうた」
…。
…え?
「ええぇぇぇぇぇ!!??!?!?」
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