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プロローグ
『トントントン』
リズミカルな包丁の音が、キッチンに響いている。
ここは、新幹線の停まる大きな駅から離れた、一時間に1本しか通らない電車に、一時間ほど揺られて辿り着く小さな町。
その小さな町の駅から車で10分ほどの所にある、広い庭のある大きなお屋敷の広いキッチンで、高木華は料理をしていた。
去年、大好きな母親のさくらが天国へ旅立ってしまった。
生まれたときからお父さんがいない華は、一人きりになった。
当時、まだ高校2年生だった華。
どうしたらいいのか途方に暮れていると、隣の大きなお屋敷に住んでいる、華達が住むアパートの大家でもある佐々木十蔵が、未成年後見人というものになってくれた。
今後の華の財産(財産と言っていいほどのお金は無いけれど)や教育環境などを管理してくれて、毎月役所へ現状詳細の書類を提出したりするそうだ。
さくらが亡くなった時、役所の手続きや書類を揃える手伝いをしてくれた人がいた。
華の住むアパートの、隣の部屋の池田達也の妻の美樹だ。
池田夫妻は、華が幼稚園に入る頃引っ越してきて、それからずっとお隣さんだった。
本当は、池田夫妻も未成年後見人を志願してくれたと、手続きの中で耳にした。
その話を聞いた時、挨拶を交わす程度のお隣さんだったからすごく驚いたけれど、華の事を支えたいと思ってくれる気持ちが、華はすごく嬉しかった。
母親のさくらが亡くなって、すぐに十蔵から一緒に住むことを提案された。
さくらは、華がお腹にいる時から十蔵の家で家事手伝いをしていた。
十蔵とさくらが出会った時、さくらのお腹は大きかった。
その大きなお腹の妊婦の、仕事も住む所も無いんだと、途方に暮れている姿が気の毒に思ったのか、さくらが十蔵と出会ったその日から十蔵の所有しているアパートに住まわせてもらっていた。
華が生まれてからは、佐々木家で夕食を毎日食べるようになったさくらと華。
十蔵の妻の千代は、華にとっては第二の母のように、さくらが家の仕事をしている時、おむつを変えたり、ミルクを飲ませたりしてくれていた。
幼稚園バスに乗りたくないと、千代やさくらを困らせていた事もあったと、大きくなった華に笑いながらさくらが話してくれた事もあった。
華が小学校の頃、千代が亡くなってしまった。
元気のない十蔵を、華もさくらも心配していた。
そんな十蔵に笑ってほしくて、華は面白おかしく、時にはオーバーに学校での出来事を十蔵に話していた。
時が過ぎ、華が中学生になってからは、学校が休みの日には、屋敷の庭の草木の場所の入れ替えなどの話を、十蔵と討論会のように案を出し合っていた。
季節によって変わりゆく、佐々木家の庭の姿を見る時間も、華にとっては楽しい時間だった。
さくらが十蔵の家の家事手伝いをするようになってから、さくらが亡くなるまでの18年間、お隣さんだけど家族のような十蔵との生活は、さくらと華にとって穏やかで幸せだった。
さくらが亡くなった時、そんな過去の記憶を振り返りながら、十蔵の「さくらさんと同じように掃除やご飯を作ってくれないか?」という申し出に、華は迷うことなく頷いた。
華が頷いた顔を見て、ホッとした十蔵さんの顔を、今でも忘れない。
それからは、華と十蔵の二人だけの大きなお屋敷での生活となった。
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