本編

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「深尾くん」  家の前に羽須美がいた。 「来ないから、皆心配してた」 「ちょっと体調悪くて」 「じゃあ家帰って休んだ方が良い」  少し笑って羽須美が深尾の傍に寄った。 「ごはん行こうよ」 「そんな時間じゃないだろ」 「じゃあお茶飲ませて」 「部屋には入れない」 「なんで? 誰かいるから?」  目が笑っていない。首を傾げて、深尾の腕に触れる。 「そうだ」  深尾も無表情で答える。 「なんで……。なんでよ、どうして。誰? 深尾くん、その子のこと好きなの? 彼女ってこと?」 「違う。でも」 「違うなら、わたしのこと見てよ!!!!」  近所迷惑レベルの声では無い。キンと響いたそれが治まるまで、深尾は口を開けなかった。 「急によそよそしくなって、変だよ。何があったの? その子に何か言われたんでしょ」 「ちょっと、落ち着け」 「それともわたしよりその子の方が良いの?」  そうだ、と答えたかった。  この世の誰よりも大切だった。どんな不幸からも救いたかった。あらゆる苦しみとは無縁の世界に置いておきたかった。  でも出来なかった。その元凶から引き離しても、史津は死ぬまで幸せだったかと言えば、分からない。  その沈黙は、羽須美にとっては肯定だった。  どん、と深尾にぶつかる。よろめいて玄関の扉にその身体が当たった。気付いた時には脇腹に刃物が刺さっていた。  流れる血が足元を伝い、地面に落ちる。  刃物から手を離すことなく、羽須美はそれを更に奥へ刺し込んだ。酷い痛みに深尾は顔を歪め、止めていた息を吐いた。  羽須美が離れた気配に我に返り、深尾は痛む患部を押さえながら鍵を回して部屋へ入った。  視界がちかちかと色を変えた。痛みに生理的な涙が零れ、はっと失笑する。  史津が死んでも泣かなかったのに。身体は正直な反応をする。  悲しいとは思わなかった。史津は多分、待っててくれているだろうから。  史津はベッドで今朝と同じく眠っていた。その傍らに座る。手は冷たく硬直している。その手を静かに握った。  車の助手席に史津が乗っていた。扉が開け放たれ、そこから海の香りと潮の音が入ってくる。  深尾が運転席に乗り込むと、史津がそちらを向いた。  メロンパンを頬張り、口周りにパン屑をつけている。  その様子に思わず笑えば、史津が口を開いた。 「随分早かったねえ」 「……思いの外」 「もっと待つつもりで居たんだけどなあ」  ほら、と史津がビニール袋を掲げる。たくさんのメロンパンが入っていた。 「……ミオ?」  深尾は静かに涙を流していた。は、と息を吐いて、前が見えないほどに。 「泣いてたら運転出来ないよ」 「ん、わかってる」 「いっぱい泣いて良いよ。ゆっくり待つから」  史津はメロンパンを食べながら言った。メロンパン食べたいだけだろ、とは返さなかった。たくさん食べれば良い。 「だから、一緒に行こうね」  手を握られ、それを握り返した。  ラジオからは青春ソングが流れていた。  地獄の底で待ち合わせ  おわり。
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