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「うまい」
それだけ言って黙々と炒飯を食べた深尾は、ベッドに横になってそのまま半日眠った。
確かに、起きない人を見ていると不安になる。
あたしは深尾がしていたであろうように、何度か息を確認した。
あ、仕事のこと、すっかり忘れてた。
スマホをどこに入れたのかすらも分からず、玄関の傍に置かれた鞄の中から見つけた。バッテリーが無くなって、電源が落ちていた。
深尾の部屋の充電器を借りて、充電した。電源をつけようとして、考える。今スマホの電源をつけても、大丈夫かどうか。
「すげー寝た」
欠伸を噛み殺しながら深尾が寝室から出てきて、あたしを見た。
「スマホ見ても良い?」
「え、俺の?」
「いや、あたしの」
「どうぞお好きに」
「仕事、無断欠勤しちゃった」
「寝込んでたって言えば」
簡単に理由を思いつける深尾はさして重要なことじゃないように言った。殴られた痣の理由を考えるよりは確かに簡単なのかもしれない。
携帯の電源をつけた。
数件の職場からの電話とメッセージ。あとはメルマガがいくつか。友人も恋人も居ない人間に送られるものは少ない。
職場へのメッセージを打ち込もうとしていると、通話がかかってきた。直属の上司から。
『もしもし史津さん?』
「あ、すいません……、熱で寝込んでいまして……」
『そうなの? 良かった……。熱は下がった?』
「まだ、下がらないのでお休みさせて頂きたいと、思ってます」
きっと、この電話が最後だ。
あたしは職場には戻らない。もうあの場所には。
『そう。お大事にね』
「申し訳ありません。ご迷惑を」
『それは大丈夫だけど。史津さんの家の方で、事件あったでしょう? パトカーすごくて、巻き込まれてないか皆心配してたから』
事件?
視線だけで深尾を探す。キッチンから出てきた深尾は手にコーヒーを持っていた。あたしの視線に気付いてこちらを見る。
「事件って、何があったんですか」
『よくは知らないけど、すごい怒号と争う声が聞こえたって。近隣の方が通報して警察が来たみたい』
「それで、誰か捕まったんですか」
嫌に心臓が煩い。
『詳しくは分からないの、ただ史津さんの家の方だったなと思ってただけだから』
「そう、ですよね。ごめんなさい。ありがとうございます」
『じゃあとりえあえず今週はお休みにしておくね。そういえば、病院は行けた?』
「熱が下がったら、行こうかと」
『ううん、それじゃなくて』
この前、仕事を早退して行った病院の方だ。
「はい、大丈夫です」
通話は終わった。深尾が近くにしゃがむ。
「パトカー、来てたって。家の方に」
「少なくともシヅの家じゃない」
「でも他に何があると思う?」
「放火、強盗、空き巣。色々ある」
「殺人は?」
尋ねる。深尾は少し微笑んだ、気がした。
「掃除もしたし、痕跡も消した」
「お隣さんがあの時の音を聞いてたかもしれない」
「あの時だけか?」
そう言われ、次はあたしが黙る。あの時だけ、確かにそうだ。普段の怒号は別に気にしないのに、あの時だけ気になるのはおかしい。
深尾からマグカップを渡される。中身はコーヒーではなく煎茶だった。綺麗な緑だ。
「あと虐待もあるな」
その言葉に顔を上げる。
「少ししたら仕事行ってくる。この部屋の物は好きに使って良い。食いたいもんある?」
「ない」
首を振れば「わかった」と返された。深尾が居なくなると思うと途端に不安になる。
「どうしてミオは、来てくれたの?」
コーヒーを飲む深尾はテレビのリモコンを手に取った。煎茶の温かさが手に渡る。
「呼ばれたから」
「呼んだらいつでも来てくれた?」
「来た」
「でもあの時は、そんな気持ちも湧かなかったでしょ」
「あの時?」
テレビが点く。朝のニュース番組のエンタメ欄。結婚発表、映画公開、ツアー発表、オリコン一位。
自分の生活とは少しも関係のない彩りがそこにはある。
「卒業式のあと」
あたしはマグカップに口をつけた。飲むことが出来なくて、唇を濡らすだけになった。
「そんなことない」
「嘘だよ」
「迎えに行けば良かったと思ってた」
「来たって、意味ないよ。結果は変わらない」
「じゃあ、あの時殺しとけば良かった」
薄く笑う深尾にあたしは上手く笑えない。
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