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「これ、携帯と切符」
深尾は面接に通り、春から東京で就職する。
あたしたちは卒業式前日、コンビニの前で話していた。冬を越して春がそこまで来ている。
深尾が差し出したそれに目を留めた。
「切符……と携帯?」
「プリペイドだからとりあえず臨時。俺の番号入ってるから、通話とショートメッセージができる」
「お金払う」
「いやいい。切符も、俺が持ってても良いけど、こっちで何かあって二人とも行けないと困るから」
困る、と前に言っていたのはそういうことだったらしい。
初めて持つ携帯に、くるりくるりと手の中で回す。
「ここで電話かけられる。ここがショートメッセージ。文字数制限あるけど」
機能をひとつずつ説明してくれる。
「練習しとく」
「明日卒業式終わってそのまま駅向かうから、必要ないとは思うけど。まあ向こう着いても少し使えれば」
「ありがとう」
頭を下げた。
「とりあえず向こうで採用面接受けるから。三月末まではバイトして、今あるのと足して切符と携帯のお金返すから。それから携帯買って……」
「まず、電車に乗るところからな」
落ち着け、と言われてあたしは顔を上げる。
「たしかに」
「今日、家帰るのか?」
「うん?」
「いや、家帰って……」
深尾が言い淀んだ。初めてだった。
あたしは努めて笑った。
「大丈夫。何があっても、明日這ってでも行く」
そう言いながらも心臓は嫌に高鳴りながら家に帰った。静かに静かに玄関の扉を開ける。
大きな鼾が聞こえて、ほっと胸を撫でおろした。明日は普通に卒業式に出るだけだ。
そう思っていた、その時は。
朝少しでも早く家を出ようとしたからかもしれない。大きな音を立てるとまた殴られるので、ゴミ袋の積まれた玄関は通らず、庭の方から出たからかもしれない。
切符が無い。机の上に忘れた。
昨日絶対に忘れないように置いたから。
卒業式を抜けて帰ると証書が受け取れないから、式が終わってすぐに家へ戻ることにした。クラスメートからの打ち上げの誘いを断り、駐輪場へ行く。途中、他クラスの深尾を見つけられず、慌ててポケットの携帯を出した。
家に戻って、それから駅へ行っても間に合う。深尾へ『いっかい家にもどります』とだけ送って、自転車に跨がる。
深尾は今日の夕方、就職先へ書類を持っていくことになっているらしいので絶対に遅れられない。あたしはこれまでで一番のスピードでペダルを漕ぐ。
自転車に荷物は置いたまま、玄関の扉を開く。きっと煙草や酒を買いに行って居ないだろう、と明るい想像をした。そうじゃないとしんどかった。
今までは明るいことを期待する程しんどかったのに、どうしてこんな風に変わったんだろう。
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