本編

13/26
前へ
/26ページ
次へ
 玄関にはサンダルが置いてあった。家に、居る。寝息も聞こえない。テレビの音も。  何をしてるのだろう、とリビングの方を窺う。とりあえず足音はたてずに家へ入った。 「おイ、これなンダよ」  その声に足元から縮み上がった。驚いて声の方を見れば、その手には東京行きの切符。  見つかった。  見つかって、しまった。 「あ」  舌打ちをしてから、あたしの想像を裏切ることは無かった。切符はその手によって2つに破られて、もっと細かく、小さくなる。  切符は記載事項が分かれば通ることができる。何かで見た記憶が蘇り、床に散らばった破片を集めた。これがあれば、出ていける。大丈夫。 「何シてんダよ」  近くにあった足に蹴られて、テーブルまで飛んだ。痛む肩を押さえながらも、破られた切符を掴んだ拳は開かなかった。  早く行かなきゃ。深尾のところに。  その"人間じゃないもの"は、破った切符を持ってリビングを出ようとした。嫌な予感に、あたしは立ち上がってその後を追う。リビングを出て、トイレの扉を開く。 「やめっ」  あたしの言葉に少し笑って、切符は流された。振り向いてあたしを殴り、その拍子にポケットから携帯が飛び出て、硬い音を放った。  その音に"人間じゃないもの"が目を向ける。目の中に怒りが滲み、その携帯は当たり前に近くに置いてあった空の酒瓶で壊された。画面は明るくて、そこには深尾の文字があったけれど、すぐに消えた。  それからはいつもの通り。  殴られて叩かれてぐちゃぐちゃになって、気付いたら夕闇の中にいた。  家の中からは気配は消えていて、あたしはゆっくりと起き上がった。  割られた携帯の画面のガラスが床に飛び散り、キラキラとしていた。窓から入る明かりにそれが反射して、美しくて、可笑しかった。だから泣いてしまった。  もうずっと、泣いてなかったのに。  熱い涙が頬を伝い、誰が聞いてるわけでもないのに声を押し殺す。あたしは今、どうして泣いてるんだろう。悲しいのか悔しいのか。  這ってでも、行けなかった。  約束を破ってしまった。  謝ることすら、もうできない。もう会えない。  深尾は、ちゃんと東京に着いただろうか。  呼吸を落ち着かせる。深尾のことを考えると少しだけ気分が凪いだ。  開いた掌からパラパラと切符が落ちる。もう紙屑と化してしまった。 「ごめん……」  破かれた切符と、ガラスの破片を集める。携帯は無理だけれど、切符はある分だけテープで貼って繋いだ。ピースが足らないパズルだった。  結局あたしは地元から出ず、そのまま就職した。自分でスマホも買ったけれど、東京に行こうとは考えつかなかった。一人では行けなかった。
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加