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玄関にはサンダルが置いてあった。家に、居る。寝息も聞こえない。テレビの音も。
何をしてるのだろう、とリビングの方を窺う。とりあえず足音はたてずに家へ入った。
「おイ、これなンダよ」
その声に足元から縮み上がった。驚いて声の方を見れば、その手には東京行きの切符。
見つかった。
見つかって、しまった。
「あ」
舌打ちをしてから、あたしの想像を裏切ることは無かった。切符はその手によって2つに破られて、もっと細かく、小さくなる。
切符は記載事項が分かれば通ることができる。何かで見た記憶が蘇り、床に散らばった破片を集めた。これがあれば、出ていける。大丈夫。
「何シてんダよ」
近くにあった足に蹴られて、テーブルまで飛んだ。痛む肩を押さえながらも、破られた切符を掴んだ拳は開かなかった。
早く行かなきゃ。深尾のところに。
その"人間じゃないもの"は、破った切符を持ってリビングを出ようとした。嫌な予感に、あたしは立ち上がってその後を追う。リビングを出て、トイレの扉を開く。
「やめっ」
あたしの言葉に少し笑って、切符は流された。振り向いてあたしを殴り、その拍子にポケットから携帯が飛び出て、硬い音を放った。
その音に"人間じゃないもの"が目を向ける。目の中に怒りが滲み、その携帯は当たり前に近くに置いてあった空の酒瓶で壊された。画面は明るくて、そこには深尾の文字があったけれど、すぐに消えた。
それからはいつもの通り。
殴られて叩かれてぐちゃぐちゃになって、気付いたら夕闇の中にいた。
家の中からは気配は消えていて、あたしはゆっくりと起き上がった。
割られた携帯の画面のガラスが床に飛び散り、キラキラとしていた。窓から入る明かりにそれが反射して、美しくて、可笑しかった。だから泣いてしまった。
もうずっと、泣いてなかったのに。
熱い涙が頬を伝い、誰が聞いてるわけでもないのに声を押し殺す。あたしは今、どうして泣いてるんだろう。悲しいのか悔しいのか。
這ってでも、行けなかった。
約束を破ってしまった。
謝ることすら、もうできない。もう会えない。
深尾は、ちゃんと東京に着いただろうか。
呼吸を落ち着かせる。深尾のことを考えると少しだけ気分が凪いだ。
開いた掌からパラパラと切符が落ちる。もう紙屑と化してしまった。
「ごめん……」
破かれた切符と、ガラスの破片を集める。携帯は無理だけれど、切符はある分だけテープで貼って繋いだ。ピースが足らないパズルだった。
結局あたしは地元から出ず、そのまま就職した。自分でスマホも買ったけれど、東京に行こうとは考えつかなかった。一人では行けなかった。
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