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中にはハンカチと財布と薬、数枚のレシート、深尾を喚んだスマホだ。
しんとした車内で、先程の扉を叩く音を思い出してビクリと震えた。ぎゅっと握った拳をもう片手で包み、シートに身を埋める。スーツケースは何も音を発していない。車内は静かだ。でもあたしは、振り向くことが出来なかった。
漸く解放されたのに、同じくらい縛られている。
もうきっと、無理だ。あたしはきっと、ここへ帰っては来られない。
深尾のことも巻き込めない。
鞄を握って、車の扉を開く。車からおりて、トランクを開けようとしたのを、後ろから手が重なり止められた。
「どうした?」
穏やかに深尾は尋ねる。
あたしは漸くそこで気付いた。どうして人を殺しておきながら深尾は穏やかな顔をしていられるのか。あたしはこうして思考することができるのか。答えは簡単だった。
壊れているからだ。
壊れたあたしが、深尾を壊したんだ。こんな地獄の底へ引きずり込んでしまった。
「どこに、行くの?」
もう戻れない。ただひとつの道を。
「久々にドライブしよう」
背中を押され、助手席へ戻る。運転席へ乗り込んだ深尾は持っていたフライパンを後部座席の足元へ放った。
深尾と居ると、辛い現実から目を逸らすことができる。だからすごく心地良いんだ。
「行きたいとこある?」
カーナビを操作して、深尾はポケットからスマホを取り出した。質問の答えよりも、ふと気付いたことを口にする。
「深尾の番号、変わってなかったの?」
深尾がこちらを見る。目つきの悪さは変わらないけれど、昔よりは柔らかくなった気がする。ちゃんと見ると、やっぱり変わっているところはあった。
「変えてない」
「電話出てくれたの、びっくりした」
「俺もかかってきたのびっくりした」
同じ声色で深尾が話すので、あたしは思わず笑う。
「行きたいとこ、どこでも良い?」
「ん」
誰も通らない道路と誰も照らさない街灯を見つめる。
ここへは帰らない。もう、ここには。
「東京、行ってみたい」
人生最後の希望と期待。最初が海で、最後が東京。
深尾はそれを必ず叶えてくれる。
「じゃあ行くか。好きな曲かけて」
躊躇わず悩まず言って、エンジンがかかる。深尾のスマホがこちらに投げられ、見ると音楽アプリが起動していた。
好きな曲も好きなアーティストもいない。なんとなく青春ソングという文字が見えて、それをタップした。
曲が車に搭載されているスピーカーから流れる。どこかで聞いたことがあるような無いような曲が流れた。
車が動き出し、道路を行く。
さようなら、と心の中で唱える。
地獄の果てでまた会おうね。
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