本編

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***  トランクを開けるとスーツケースがある。それに手をかけた。開けたこともないのに、本能的に開け方が分かった。少し開けたところで、ころころと何かが飛び出して転がる。何かと見つめれば、それと目があった。眼球だ。  ぎょっとして跳ね上がり、スーツケースばたんと開く。中には腐った肉と骨、思ったよりも小さくて、これはあたしの。  あたしの身体だ。  あれ、どうして。なんで。  景色が変わる。知らない駅だ。人がいっぱいいる。人を避けきれず、肩がぶつかり舌打ちをされた。逃げるように端へ寄り、壁際でホッとする。  沢山の人の中に、知った背中を見つけた。 「ミオ」  安堵しながらその背中に駆け寄る。深尾にあたしの声は届いていないみたいで、こちらを振り向くことは無かった。  ああ、誰かと話してるんだ。深尾の向こうにいる女性の姿を見つけて、足を止める。背を屈めてその女性に口付けをした。いつか見た光景に、後退りする。  帰ろう。帰らなきゃ。帰る……どこに?  来た道が分からなくなっていた。  あたし、どうしてここに居るんだっけ。 「シヅ」  呼ばれて起き上がる。涙なのか汗なのか、顔の輪郭を雫が伝う。酸素が少ない。息をしてるのに、空気が足らない。ハッハッと口から吸って酸素を探す。 「シヅ、落ち着け」  視界がぼやける。深尾の声がする。答えたいのに、息が出来ない。 「ゆっくり吐け」  背中を手が擦る。上から下にゆっくりと移動する。それに倣って、努めて息を吐く。  何度か繰り返す内に呼吸が落ち着いた。 「……ごめん、ありがとう」 「水持ってくる」  背中も濡れていることに気付いた。汗だ。  すぐに戻った深尾から水を受け取り、それを飲み干す。 「他に何か要るか?」 「ううん。大丈夫」  首を振る。悪夢をみることは前からあった。きっと魘されていて、うるさいと叩かれたことはあっても、こうして水を持ってきてくれる人は居なかった。 「起こしたよね」 「明日休みだから、別に」 「これからリビングで眠るから」  背中の汗が冷えてきた。立ち上がり、寝室から出た。リビングの一角に出来たあたしの荷物コーナーからTシャツを引っ張り出し、着替える。  水が入っていたマグカップに水道水を注いでもう一杯飲む。振り向くと足音なく深尾がいた。  驚いて息が止まる。 「どこか悪いんか」 「え」 「飯、食えないんだろ」  真っ直ぐあたしを見る。その視線を逸したら何かがバレそうで、へらと笑った。 「強いて言えば」 「うん」 「頭が悪いかな」  深尾は笑わなかった。暗闇の中で、少し悲しそうな顔をした、気がした。 「ミオはさ、どこか行きたいところないの?」  マグカップを置いて尋ねる。 「食べ放題。シヅに食べさせる」  話題を変えたことによる不満はないらしい。 「食べるの好きだねえ」 「映画館。コメディを一緒に見て笑う」 「映画館行ったことないなあ」 「海」 「海、は行ったことあるよ」  連れて行ってくれた、深尾が。  高校のときのことだったから、忘れてしまったかなと思い返してそれ以上は言わなかった。 「昼の海に」  あれは夜の海だった。暗い夜の海だ。 「行く?」 「行こう。じゃあ明日」 「うん。明日」  その後はぐっすり夢も見ずに眠れた。
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