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史津の体調は転がり落ちるように悪くなり、海へ行った二日後には起き上がれなくなった。熱が上がったり下がったりして、一切食べ物を受け付けず、寝ていた。
「行ってらっしゃい。気をつけて」
仕事に行くとき、ひらひらと手を振っていた。
「お先に失礼します」
上がりの時間に立ち上がると、深尾の隣の席の先輩から飲み会への参加について声をかけられる。
「すみません、今日はちょっと」
「最近帰るの早えーな。ついに女か」
「いえ、そういうわけじゃ」
否定している時間も惜しく、鞄の持ち手を持った。
肩をぐっと掴まれ顔を寄せられる。
「羽須美ちゃんからの誘い断ったんだって?」
「……はい」
「長島さんとは上手くやった方が良いぞ」
その忠告を理解できないわけではないが、納得はできなかった。
羽須美というのは上司の長島の娘で、三ヶ月程前からパートとして同じ職場で働いている。その羽須美から好意を寄せられており、食事に誘われ一度だけホテルにも行った。
しかし付き合っているわけではなく、羽須美は大学の頃の先輩に想いを寄せており、その話をよくしていた。深尾はただそれを聞くだけだった。
「そうします」
昔からそうだった。
「深尾くん、今日も行かないの?」
出入口で呼び止められ、足を止める。羽須美が拗ねるような顔で深尾を見ていた。
「用事がある」
「最近付き合い悪くない?」
勝手に寄ってきては、自分のものだと主張される。
学生の時と同じだ。
「家に病人がいる」
「え」
「だから通してくれ」
なにそれ、と呟く声は深尾には届かず、そのまま会社を出た。
家に帰ると玄関が暗かった。電気をつけて部屋に入る。リビングに人の気配はなく、そのまま寝室へ向かった。静かに扉を開き、そのベッドに横たわっているだろう史津の姿を目で探した。
「シヅ?」
毛布は剥がれ、ベッドにもその横の布団にも史津がいない。体調が悪くなってからはずっと史津をベッドに寝かせていた。
トイレにも風呂場にもキッチンにも居らず、深尾は玄関の靴を見た。一足無くなっている。
鍵は閉まっていた、ということはどこかへ買い物に行ったのかもしれない。そう考えながらも不安ばかりが脳裏を走る。あのふらふらした足取りでどこへ買い物に行けるというのか。
サンダルに足をつっかけて、深尾は外へ出た。嫌な予感を抱えながら、家のポストを見れば、そこに渡した合鍵がころりと入れられていた。
悲しさと悔しさが湧いた。
その鍵を掴んで周辺を歩いた。コンビニやスーパーの全てを覗く。どこにも居ない。地元に帰ったんじゃないか、と立ち止まって考えた。
もう、あの頃みたいにどこにも行けない人間では無いから。
無意識に駅へ足が向く。その途中に通りかかった公園のベンチに目を向けた。
細い身体を腕で支えて座っているような状態で、史津はそこに居た。
「シヅ」
声をかけるとパッと深尾を見る。涙を湛えた瞳がきらりと光った。立ち上がって反対側へ歩いていこうとするその身体ごと捕まえる。
「あたし、あたしもう」
「帰ろう」
腕の中で史津は小さく首を振った。
初めて深尾の家に来たときも細いと思ったが、その比でないくらい細く軽い。その事実を嫌というほど突きつけられる。
「じゃあ病院に行こう」
それにも首を振る。体調が可笑しいのは重々承知していた。何ならこのまま抱えあげて連れて行くことは造作もない。
泣いているのかと思い、顔を覗くと不安に揺れる瞳が見えた。
「あたし、出てくよ」
「あ? なんで」
「この前の休日、女の人が来た。ミオの彼女でしょう? 無視続けるならお父さんに言うって」
「それ、出たのか」
「ううん。居留守使ってたら、その人が言ってた」
溜息を深く吐く。間違いなく、羽須美だ。休日のちょうど深尾がいない時間に訪ねてきたらしい。
その日の内に言えば良いものを、史津は自分の中で捏ね固めてこんなことをする結果に。
「それは、相手が勝手に言ってるだけだ」
「高校の頃ならそれで良かったけど、今は違う。もうずっと深尾に迷惑かけて」
「もう辞めようや、この会話。堂々巡りだろ」
同じことを史津も思っていたのだろう。黙ってしまった。深尾は手を引こうと腕の内側に触れる。殆ど骨のそれを柔く持ち、握った。
「まだ深尾は地獄から這い上がれるよ」
史津の言葉にふ、と失笑した。
「人殺しといて?」
その言葉に史津は口を開く。
「あたしがやったことだから。お願い、棄てた場所教えて」
「忘れた」
「嘘。そんなの、ずるい」
「俺はずっとずるいよ。こうやってお前をどこにも行けないようにしてる」
再度首を振った。何も否定出来ていない。
「言ったろ。同じ地獄に落ちてくれ」
あの頃はたくさんあって迷い放題だった道も、今はもうひとつしかない。それならば、落ちたときに逸れないように手を繋ぐしか術は無い。
史津の手を引っ張るとゆっくりと着いてきた。
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