2人が本棚に入れています
本棚に追加
掃除をしていると洗い物をしながら談笑する声が聞こえた。
「いい加減にしろって親父に殴られたんすよ」
「そりゃ良い歳してこんなとこで働いてたら、殴りたくもなるわ」
駅前の繁華街にあるライブハウスでバイトをしていた。高校三年に進級し、深尾は史津とクラスが分かれた。あれから少しも話していない。
「店長がそんなこと言ったら終わりっすよ」
「あたしも昔はよく親に殴られたわあ」
「不良娘だったんすか」
大学も行かずフリーターをしている先輩が、店長に尋ねる。ぼんやりと深尾はそれを見ていた。
「反抗もあったけど、今でいう虐待よねえ」
「ヘビーな話だ」
「どうやって」
二人の視線が深尾へ向いた。モップを持つ深尾が言葉を続ける。
「変わったんですか」
「なに、ミオが虐待されてんの?」
「いや、クラス……学校の奴が、そういう感じで」
口を挟んだ割りに、何を尋ねたいかははっきりしていなかった。店長も先輩も嫌な顔をひとつせず、深尾の言葉を聞く。
「父親がいて、顔腫らして学校は休んでもバイトは行ってて」
「女? 男?」
「女です」
「んー、助けを求められたの?」
カウンターに置いた煙草を一本取り出し、店長がそれに火をつけた。深尾はモップを握ったまま答える。
「そうじゃ、ないですけど」
拒絶されたあの言葉を思い出す。それでも尚、頭のど真ん中に史津は居た。
「じゃあどうして。すきなの?」
他意なく尋ねられた。
深尾は顔を上げる。
「好きというか。恩があって」
「へー、他のことで返せないの。恩」
「店長。そりゃないっすよ、このミオが恩返ししたいって言ってんのに」
「ジュースの一本や二本、指輪の一つや二つ買ってあげれば良いじゃない」
明るく笑う店長に、深尾は無表情で口を開いた。
「俺の命をかけても返せないんで」
時間の無駄だったとモップを握り直したところで、店長が声をかけた。
「ミオ、そこ座んなさい。あんた、ジンジャーエールいれて」
バーカウンターを示される。先輩に指示が出され、深尾は立ち止まって戻る。ジンジャーエールがカウンターに置かれた頃に、深尾はスツールに腰を掛けた。
「親との縁はね、一生だから。本人に意思がない内は駄目ね。切る場合は物理的に距離を取らないといけない」
「物理的ってのは」
「どういうことだと思う?」
店長は先輩に話を振った。
「えーと、親と違う場所に住む、とか」
「それもある」
「親が死ぬ」
深尾の答えに先輩の表情が固まる。
「それもある」
淡々と店長は言った。
「あたしの場合はそれね。くそ親父が先にくたばった。それから大変だったけど、立て直した。結局は気力なのかもね」
「俺は何ができますか」
「然るべきところに通報して、その子と離れなさい」
深尾は炭酸の抜けるジンジャーエールを見つめる。店長からそう言われる事は想定していたのかもしれない。
「身体もデカイし態度もデカイけど、ミオは未成年でしょ。あんたは何もしなくていい。子供を救うのは大人の仕事だから」
「態度がデカイは余計な気が」
「だまらっしゃい。財力も権力も、今のあんたには無いでしょ。全部が揃ったら、その子のこと攫ってあげなさい。害とは無縁な場所に」
紫煙を吐く。その煙がライブハウスの一部になる。
「その全部が揃ったら、人の消し方も教えてもらえますか」
店長はきょとんとした顔から、腹を抱えて笑った。
「あー面白い、高いわよ」
最初のコメントを投稿しよう!