本編

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 掃除をしていると洗い物をしながら談笑する声が聞こえた。 「いい加減にしろって親父に殴られたんすよ」 「そりゃ良い歳してこんなとこで働いてたら、殴りたくもなるわ」  駅前の繁華街にあるライブハウスでバイトをしていた。高校三年に進級し、深尾は史津とクラスが分かれた。あれから少しも話していない。 「店長がそんなこと言ったら終わりっすよ」 「あたしも昔はよく親に殴られたわあ」 「不良娘だったんすか」  大学も行かずフリーターをしている先輩が、店長に尋ねる。ぼんやりと深尾はそれを見ていた。 「反抗もあったけど、今でいう虐待よねえ」 「ヘビーな話だ」 「どうやって」  二人の視線が深尾へ向いた。モップを持つ深尾が言葉を続ける。 「変わったんですか」 「なに、ミオが虐待されてんの?」 「いや、クラス……学校の奴が、そういう感じで」  口を挟んだ割りに、何を尋ねたいかははっきりしていなかった。店長も先輩も嫌な顔をひとつせず、深尾の言葉を聞く。 「父親がいて、顔腫らして学校は休んでもバイトは行ってて」 「女? 男?」 「女です」 「んー、助けを求められたの?」  カウンターに置いた煙草を一本取り出し、店長がそれに火をつけた。深尾はモップを握ったまま答える。 「そうじゃ、ないですけど」  拒絶されたあの言葉を思い出す。それでも尚、頭のど真ん中に史津は居た。 「じゃあどうして。すきなの?」  他意なく尋ねられた。  深尾は顔を上げる。 「好きというか。恩があって」 「へー、他のことで返せないの。恩」 「店長。そりゃないっすよ、このミオが恩返ししたいって言ってんのに」 「ジュースの一本や二本、指輪の一つや二つ買ってあげれば良いじゃない」  明るく笑う店長に、深尾は無表情で口を開いた。 「俺の命をかけても返せないんで」  時間の無駄だったとモップを握り直したところで、店長が声をかけた。 「ミオ、そこ座んなさい。あんた、ジンジャーエールいれて」  バーカウンターを示される。先輩に指示が出され、深尾は立ち止まって戻る。ジンジャーエールがカウンターに置かれた頃に、深尾はスツールに腰を掛けた。 「親との縁はね、一生だから。本人に意思がない内は駄目ね。切る場合は物理的に距離を取らないといけない」 「物理的ってのは」 「どういうことだと思う?」  店長は先輩に話を振った。 「えーと、親と違う場所に住む、とか」 「それもある」 「親が死ぬ」  深尾の答えに先輩の表情が固まる。 「それもある」  淡々と店長は言った。 「あたしの場合はそれね。くそ親父が先にくたばった。それから大変だったけど、立て直した。結局は気力なのかもね」 「俺は何ができますか」 「然るべきところに通報して、その子と離れなさい」  深尾は炭酸の抜けるジンジャーエールを見つめる。店長からそう言われる事は想定していたのかもしれない。 「身体もデカイし態度もデカイけど、ミオは未成年でしょ。あんたは何もしなくていい。子供を救うのは大人の仕事だから」 「態度がデカイは余計な気が」 「だまらっしゃい。財力も権力も、今のあんたには無いでしょ。全部が揃ったら、その子のこと攫ってあげなさい。害とは無縁な場所に」  紫煙を吐く。その煙がライブハウスの一部になる。 「その全部が揃ったら、人の消し方も教えてもらえますか」  店長はきょとんとした顔から、腹を抱えて笑った。 「あー面白い、高いわよ」
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