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友達が居なかった。放課後や夏休みはバイトで埋まっていた。友達が居なかったから埋まっていたし、埋まっていたから誰かと遊ぶ時間が無かった。どちらも言い訳だけれど、あたしにはどこかに居る時間が必要だった。バイトに行く時間が友達と居る時間に代わっても良かったけれど、それが急にキャンセルされるのは困る。だったらキャンセルのないバイトを入れていたほうが良かった。
高校二年の夏の終わり、高校からも家からも離れたところでコンビニバイトをしていた。そこに深尾は来た。
「史津」
なまえを呼ばれて顔を上げる。おかしいな、とは思った。自分のネームプレートの名前は高橋になっている。昨今の個人情報保護の関係で。
見たことはあるけれど、話したことはないクラスメートだった。身長が、高い。
「深いみたいな漢字の」
「深い尾で、」
「ミオ」
言葉を引き取る。あたしはそのままレジを打ち込む。
「ご近所?」
「地元。そっちも?」
「そんなとこかな。お会計が756円になります。袋は要ります?」
「お願いします。ICで」
はーい、と返答してレジ操作が終わる前に商品を袋へ入れていく。飲み物ニ本と、コンドーム。持ち手を向けてレシートを渡す。ありがとうございました、と言おうとしたところで深尾の隣に女性が来た。ひらひらとした白い洋服が似合っていて、深尾の腕に絡む。同い年なのか年上にか。
「おそーい」
「ん」
「ありがとうございました」
彼女なのだろうと予想して、その背中を見送った。
その一週間後のバイト終わり、帰り道の途中のごみ捨て場に深尾が転がってるのを見つけた。
死んでいるのかと三十秒程見つめて、その身体に近寄る。静かに息をしていた。顔は傷だらけで、この前見た彼女だけにやられたとは考えにくい。仄かにアルコールの香りもする。
先程出てきたコンビニでアイスボックスを買って、その頬に当てた。冷たさに深尾が目を覚ます。
「生きてた」
夜遊びと喧嘩ばかりしているという噂は聞いた。今回だって例外じゃないんだろう。
あたしの言葉に、深尾は少し笑った気がした。
「生き返った」
小さく、そう言って。
それがあってから、深尾とはよく話すようになった。休み時間、放課後、バイト終わりとか。話すというより、よく一人でいるあたしの傍に来て深尾は眠ってたり食べてたりスマホゲームしてたり。
他クラスの子が「深尾は史津の番犬になった」と言っていたのを聞いて、震えた。
「そういえば、彼女とはどれくらい付き合ってるの?」
バイト終わりに現れた深尾に尋ねる。いつか一緒にコンビニへ来ていた彼女のこと。
「彼女?」
「うん、ほら、背の高い」
背の高い深尾と並ぶと絵になった人。
「別れた」
「え、いつ!?」
「秋には」
もう冬だ。マフラーに顎を埋めているくらいには寒い。
「そっかあ。残念だね」
深尾は何も言わなかった。
それから数日、あたしが学校を休んでバイトに出ていると、深尾が来た。お菓子の品出しをしていると、隣に並んだので顔を上げる。息を呑むのが分かった。
「久しぶり」
肩を竦めてみせる。
「それ、どうした」
「階段から落ちて、ずざざって。困ったものだよね」
笑って答えようとしたけれど、笑うと痛いので笑えなかった。あたしの顔の半分は赤く青く腫れていて、少し目立ちすぎるのでマスクで隠していた。それでも分かるくらいだ。
深尾は引いた顔をして、黙る。
黙る、と思っていた。
「誰にやられた」
持っていた炭酸水がミシ、と鳴いた。
「殴られた痕だろ」
引いた顔じゃなかった。深尾は顔を強張らせて、怒らせていた。空気で分かるのだから、考えていたよりずっと長く一緒に居たんだなと思う。
ぴりぴりとした緊張感に、あたしの頬も痙攣した。
「なんでもないよ」
「学校来ないほど酷かったんだろ」
「知って、どうしたいの」
へえ、とか、ふーん、で終わる雑談ならどれだけ良いか。泣けるほど笑える話ならどれだけ気が楽か。
深尾は知らないのだろう。知らないほうが良いことが世の中にはたくさんあることを。
「史津さん、レジお願いしても良い?」
お客さんに商品案内をしていたパートさんから頼まれ、あたしは深尾へ背中を向けた。
レジ対応の最後に深尾が炭酸水を置く。バーコードで読み取り、値段を伝える。いつも通りICで払った深尾は、炭酸水を受け取って口を開いた。
「殺してやるよ」
思わず顔を見上げる。いつもの無表情は変わらず、ただ視線だけが真っ直ぐにこちらを向いていた。
聞き違いだ。そう思い返して、笑おうとすれば痛くて顔が強ばる。
「しなくていい」
首を振った。その時、深尾がどんな顔をしていたのか分からない。でも、高校二年で話したのはそれきりだった。
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