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出会って初めて深尾の驚いた声を聞いた。なんだか可笑しくて笑うと「何笑ってんだ」と言われる。
「ミオって、喜怒哀楽薄いからさ。新鮮だなと」
「電車でも来られるだろ、海なんて」
「海行って、みんな何するの? 魚でも獲るの?」
「泳いだり、遊んだりしてる」
「それって楽しいの?」
ゆっくりと車が止まる。海辺専用の駐車場らしい。
あたしは車から出る勇気がなくて、そのまま海を見つめた。
「楽しいかどうか、試してみればいい」
深尾が外に出て、あたしを引っ張り出した。
潮の匂い。湿った空気。大量の水が目の前にある。
「海水って、本当にしょっぱいの?」
尋ねると、深尾に手を引かれた。
「飲んでみればわかる」
ぽつりぽつりとある街灯を辿ってあたしたちは砂浜へ辿り着く。灯りが途切れた先は暗くて、水の音だけが聞こえた。深尾の手を離してしまうと逸れてしまいそうで、握ったまま手探りで海を探した。
ぱしゃ、と手に水が当たる。びっくりして手を引っ込めた。ぬるい温度。砂は水に濡れて変な感触。
「あれ? 水ない」
「ある」
深尾がスマホのライトをつけた。海と砂浜の境界線は色が変わっているのが分かった。それから波が、寄せては返す。
教科書に乗っていたその言葉はこういうことか、と漸く分かった。引いたり満ちたり。波が動いている。
「すごい。なにこれ、すごい!」
「テンションの上がり方が原始人みたいな……」
「だって、自然にこうなってるんでしょう? わー! しょっぱ!」
一掬いした海水を啜れば、潮の匂いと塩辛さが舌に広がった。今まで味わったことのないそれに、目が覚める。
「塩って本当に海水から出来てるんだ。みんな、ここから塩作ったりして遊ぶの?」
「全く違う。新しい楽しみ方すぎる」
「来てみて良かった。ありがとうね、深尾」
あっという間にあたしたちの足元は濡れて、車に戻った。深尾が乗せてくれていたタオルで足を拭いて靴下を再度絞った。
窓を開けたまま残りのメロンパンを頬張る。
運転席で窓に寄りかかり、深尾はぼーっとしていた。
「ミオの家は、帰りが遅くなっても何も言われないの?」
「言う人間が、そもそも居ない」
「親?」
「親も兄貴も殆ど帰ってこない。シヅの家は?」
この車の持ち主も帰ってこないらしい。お前も置いていかれたのね、と落ちてしまったパンくずを見ながら思う。
「うちも、そんな感じ」
「進学すんの?」
「え、ええー……ね」
まさか深尾から進路の話をされるとは思わず、曖昧に返答する。高校は特待で進めたけれど、大学はあたしの成績では無理だろう。するなら就職……就職したところで。
「ミオは?」
困った時は尋ね返す。自分の話をするのは苦手だった。
「就職。東京行く」
その言葉を聞いて、後悔してしまう自分がいた。困ったから尋ね返したのは自分なのに。急に深尾が遠く離れていってしまったようで、あたしは黙る。
同じゴミ袋の上に伸びていた人なのに。
「そっか。応援してる」
具体的にできることはないけれど、頑張れと祈ることはできる。
「一緒に行く?」
訊かれた。海に行くか、と尋ねられたのと同じ重さで。
「旅行?」
「卒業したらあっちに住む話」
「や、そんな……」
想像がつかない。つかなすぎて、ふわふわと空想する。
深尾と一緒に電車と新幹線に乗って、東京駅で降りる空想を。
そこであたしは何をする?
首を振った。何もできない。ここを出られない。あたしは、どこにも。
「行けない」
「なんで」
「お金もないし、海に行くのとは話が違う」
「同じだろ。金は俺が用意する。海にも来た」
波の音が聞こえる。夜でも波打ち際は騒がしいんだ。
「行きたくないじゃないなら、行こう」
「それって、同情?」
あたしが、最初に深尾に感じたのと同じ。
ゴミ袋の上で伸びていた同士だと思っていたのと同じ。
「同情じゃない」
「じゃあどうして誘ってくれるの? ミオなら一緒に行くような友達、たくさん居るでしょ。あたしみたいな、のじゃなくて」
「ここを出たシヅが見たい」
それだけだ、と深尾は言った。
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