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お金がない。教養もなければ、華もない。
ここを出たって。
「史津、進路調査いつ出すんだ」
「……卒業までには」
「当たり前だろ。親御さんはどう言ってる?」
「好きにしろって」
進路指導の赤場先生がため息を吐く。そのまま呆れ果てて、あたしの進路のことを忘れてもらいたい。
真っ白な進路調査表を真ん中に、あたしも先生も黙ってしまう。
秋も終わりのこの時期に、そんなのは学年でもあたしだけだった。
「進学するのか、就職するのかでも決めないと。希望はないのか?」
「ありません。ただ、進学する資金が家にはありません」
「無いなら作る。そういう制度が日本にはある」
「どこかに行かないといけないんですか?」
どうしてそんなことを尋ねたのか、分からない。
ただ疑問だった。
小学校の次は中学校、中学の次は高校。行く場所を決めて進む。でもそこから漏れる人間は本当に居ないのか。学期途中に来なくなった生徒は一体どこへいるのか。選択肢の無い人たちは学校から一歩出てしまえば世の中から盥回しにされる。
夢なんてない。進みたい場所もない。もうここが行き止まりだ。
「行くべき場所を見つける。学校はそういう場所だ。でも皆が皆そうできるわけじゃない。だから、史津の希望を訊いてるんだ。どこか、行きたいところは無いのか?」
海、はもう行った。
じゃあ、東京、は。
思い浮かんでは、消した。
「進学は無いので、就職にします」
「どこでする?」
「地元以外に、行けるところ無さそうですし」
出られる想像もつかない。
「失礼しました」
職員室を出て、あたしは教室に戻ろうと階段を下る。
下から声が聞こえて足を止めた。
「なんか深尾、つまんないよ。最近誘っても全然遊ばないし」
「バイトが忙しい」
「四組の史津さんとずっと一緒にいるじゃん。好きなの? てか付き合ってる?」
深尾と女子の声。誰だかは分からないけれど、同級生なのだろうと予想する。
あけすけな質問だ。どうして足を止めてしまったのだろうと後悔する。
「付き合ってないし、好きじゃない」
「なーんだ、良かった。じゃあ今日は深尾の家行って良い?」
「無理」
安堵と落胆が同居する。
もういっか、と階段へ足を踏み出そうとした。
「それなら今ここでキスして。そしたら史津さんとのこと、騒がないでいたげる」
「あ?」
「嫌なんでしょ、あの子に関して何か言われるの」
顔を向けてしまった。深尾が何も言わずに彼女の後頭部に手を寄せて唇を重ねていた。
反射神経を活かして、ぱっと後退して廊下を戻る。非常階段の方へ足音をたてずに向かった。
最初からこうしてれば良かった。どうしてあそこで会話を盗み聞きしちゃったんだろう。どうして深尾に東京へ行くかなんて誘われたんだろう。どうして。
こんなに人に期待するようになったんだろう。
非常階段へ出ると、外の空気は冷たかった。秋がもう終わる。高い空は近づくのか、遠くなるのか。どっちでも良い。
本当はどうでも良い。ぐちゃぐちゃに殴られたって、もう涙も出ない。早く終われば良いのにって思うだけ。
地上を覗く。ずっとここに留まる方法はいくらでもあった。でも近いから、ここから落ちたって死ねない。
同じ明日が続くよりマシかな。
変化のない毎日を自分が望んできたのに。
もう誰も居ない教室に、深尾だけがいた。あたしの机に座って眠っている。
大きい猫みたい。となると、虎とか、チーターとか。
面接が近いからか、黒くなった髪に西日が差す。
「ミオ、あのさ」
眠る深尾に話しかける。呪いだと言われても仕方なかった。
「一緒に、東京行こうかな」
想像力の欠片もないあたしは、その呪いをかける。
「まじ?」
寝ていたはずの深尾が顔を横に向けて聞いてきた。
「起きてたの」
「呼ばれて起きた」
「そっか、おはよう」
「おはよう」
起き上がり、深尾は腕を伸ばして伸びた。あたしは鞄を持つ。
「でも、就職先見つけられるかどうか」
「コンビニバイトでも良いんじゃね」
「生計は立てられないでしょ……」
「じゃあ大学行けば?」
先程とは正反対の会話に目眩がする。あたしは東京の大学なんて、東大くらいしか分からない。
「今から勉強して簡単に入れるようなとこ、無いよ」
「じゃあ浪人して来年受ければ」
「そんなお金、」
「俺が出す」
きょとんと深尾を見た。深尾は頬杖をつきながらあたしを見ている。
この人は、どうして。
「利子どれくらい取るの?」
「考えとく。出世払いで」
「コンビニバイトで出世できるかな」
「シヅなら大手に就職できるだろ」
「どうしてミオは、あたしにそこまでしてくれようとするの」
期待が大きい分、裏切られた時悲しいのに。
長い腕を畳んで深尾は真っ直ぐこちらを見た。
「俺は、お前の手で生き返ったから」
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