資格試験連続殺人事件

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   ◇◆プロローグ◇◆    資格スクール講師、藤崎保(31歳)の遺体が見つかったのは、平成十七年一月二十八日の未明だった。  荒川沿いの八雲神社近くのマンションに住んでいる高齢の男性が早朝、飼い犬の散歩中、岩淵水門の下のコンクリートに引っ掛かって浮いている遺体を発見した。  警視庁は死体遺棄事件として捜査を開始した。  寒さが身に沁みる季節だが、現場検証は夜遅くまで続けられた。検死の結果、遺体には後頭部に鈍器で殴られたような深い傷があったが、直接の死因は多量の水を飲んだことでの溺死だった。  数日前から季節外れの強い雨が降っていたせいか、指紋や足跡は見つからなかった。鑑識の結果死後一週間程度立っていることがわかったが、被害者が着用していた衣服から身分証明書、運転免許書、財布、携帯電話など、目ぼしい遺留品はなくなっていた。  また、この男性の他に新たな目撃情報はなかった。  布施雅也は東京の私大卒業後、刑事だった父に憧れ警視庁に入った。今年で十二年目の所轄の刑事だが、容貌は二十代後半でも通りそうな童顔である。  布施は隣でコートの襟を立てている倉石剛警部補に声を掛けた。  倉石は四十八歳、高卒三十年目の叩上げの刑事だ。倉石は最近、髪の毛に白いものが目立つようになってきた。  布施が白い息を吐きながら口を開いた。 「あれだけの外傷なら間違いなく他殺でしょう。流しの犯行か、怨恨の線もありますね」 「アルコール反応も出てないから転んで頭を打った後、川に落ちて溺死したとは考えにくいな」  赤羽北警察署では怨恨か通り魔による犯行と考え、ただちに捜査本部を設置し、早速に聞き込み調査が開始された。  ところが数日前、都内の資格スクール栄光アカデミーの専任講師、藤崎保が一週間前から出社していないという捜索願が新宿東警察署に出されていた。  藤崎が掛かりつけの歯科のカルテを元に遺体の歯型と照合したところ一致、あっさり身元が判明した。  藤崎は長野県の出身で独身、三年ほど前から十条のアパートに一人で生活していることがわかった。   ◇◆◇◆◇◆◇  翌日、布施と倉石は藤崎が講師を務めていた栄光アカデミーに出向いた。  新宿駅東口から徒歩で十分、本社は自社ビルではないが数年前にできた高層ビルの14階、15階にある。  お洒落なクリニックを連想させる受付の隣に専用の資格相談コーナーがあり、各々のブースがパーテーションによって仕切られている。  受付で警察の者であることを告げると、茶髪の女子社員が二人を応接室に案内した。数分後、ノックの音とともに中年の男が入ってきた。  名刺交換をした総務課長の並木弘は陰気で風采の上がらぬ小男だった。    倉石が話の口火を切った。 「単刀直入にお伺いします。藤崎さんが遺体で見つかったことはすでにご存知だと思います。ところで、藤崎さんは最近職場で何かトラブルなどありませんでしたか?」 「藤崎は真面目な性格でした。私の知る限り、社内でも大きなトラブルとかはなかったと思います」 「それでは、私生活でどうでしたか? たとえば消費者金融などから金を借りて、業者から頻繁に催促が来ていたとか、そういった噂などはありませんでしたか?」 「いいえ。藤崎にはそんなことはなかったと思います」  並木は木で鼻をくくったように答えた。 「藤崎さんは資格講座の講師だったそうですね。それでは、生徒さんとの間で何かトラブルとかはなかったでしょうか?」 「そんな話もまったく聞いていません。藤崎は当スクールでは若手の部類で、社会人の受講生や学生さんたちからは結構、人気があったという話を聞いています」 「でも藤崎さん、頭を鈍器で殴られたような跡があるんですよ。人から何か強い恨みを買っていたとか、そんな心当たりはないですか。もう一度よく考えてください」 「いいえ。そういう話は一切は聞いていません」  並木の言葉は終始歯切れが悪かったが、言っていることに嘘はなさそうだった。  エレベーターに乗り込むと、大学生のような若い受講生たちが模擬試験の結果について一喜一憂している。  バブル崩壊後も、資格取得ブームは続いているようだ。  栄光アカデミーの入るビルを出て、大通りに出ると開放感があった。 「倉さん、受付に並んでいた資格のパンフレット見ました? バブルが弾け、二千年代に入っても景気は一向によくならないから、就活戦線はずっと厳しい戦場のままです。資格を取って、企業に自分を売り込もうと考える学生が多いのも、何だかわかるような気がしますね」 「なるほど。こういうご時世だから資格スクールが繁盛するってわけか」 「自分も学生時代の友人から聞いたのですが、資格のあるなしで、その後の会社人生や昇進、昇格、年収にも結構大きな差が出るらしいですよ」 「若い人間は気の毒だな。それで君も早速、司法試験でも目指す気にでもなったのか?」  倉石が布施を揶揄った。 「つまらない冗談、止めてくださいよ。自分はそんな資格崇拝者じゃ、ありませんよ」 「俺たちが若い頃は、資格を目指している人間は昼間は働いていて夜間、簿記学校で勉強している苦学生みたいなイメージがあったが、今は資格スクールも随分、明るいイメージに変わったもんだな」  布施はバブル崩壊後の就職氷河期世代と言われながら、就職で大きな苦労は味わなかった。 「昨日、試しにネットで調べてみたんですけど、公認会計士や税理士、司法書士あたりの難関資格になると受講料だけでも百万円近くも掛かるそうですよ」 「本当か? たかだか資格で、そんなにカネが掛かるのか?」 「本気で司法試験を目指し、法科大学院に通おうとすると千万円単位のカネが必要らしいですよ。何でも、今は司法試験に強い法科大学院に入るための受験講座だってあるそうですから、もう笑っちゃいますよ」   「予備校に入るための予備校があるのか? それじゃ、元々裕福な家庭に生まれないと資格試験の土俵すら上がれないってことか?」 「昼は有名大学に通いながら、夜は資格スクールに通うダブルスクール組が多いそうです。もっともいくらセレブでも、肝心のココの方の出来も良くなきゃいけませんけど」  布施はそう言うと、自分の頭を突っついておどけて見せた。 「機会均等の資格の世界にもそんな格差や序列があるのか。まったく、この世も末だな」  二人はいつのまにか地下道に入り、新宿駅から地下鉄で所轄に向かった。 ◇◆◇◆◇◆◇  日新産業株式会社の本社は新宿にある。  社員数約三千名、東証一部の食品メーカーである。商品開発部は来年度発表する新製品の会議やプレゼンテーションの資料作りで夜遅くまで残業が続いていた。  商品開発部レトルト食品課、主任の西嶋尚志は明日の会議資料の作成に追われていた。  資料のコピーをしている合間に、人事課にいる沢井瑞穂に 「今日会うのは難しいかも。今度、必ず埋め合わせするから、ゴメン」 とメールした。  西嶋は係長に昇進したら瑞穂に正式にプロポーズするつもりだった。しかし、それはあることがきっかけで先延ばしになってしまった。  西嶋は先日、瑞穂に相手に散々愚痴ってしまったことを思い出した。 「何で松本が合格で、俺が不合格だったんだろう?」 「気持ちはわかるけど、終わったことを何度嘆いても仕方ないわ」 「でも結局、あいつは経営企画室に栄転、しかも係長に昇進したわけだから」    西嶋はパソコンで資料を作りながら心ではまったく別のことを考えていた。  西嶋のそんな様子を遠くから眺めていた課長の田島幸一が声を掛けた。 「西嶋君、明日の新商品のプレゼン用の資料、もう出来上がったのか?」 「いいえ、もう少し掛かりそうです」 「明日の会議は佐々木専務も出席されるんだから、くれぐれも手抜かりのないように頼むよ」  西嶋と松本茂は入社六年目で、二人は同期入社だった。  西嶋は名門の明法大出身、一方の松本も私学の雄の東都大の出身である。    二人はエリートで互いにライバルだったが、松本が今年の人事異動で一足先に係長になって、佐々木敦専務直轄の経営企画室に配属になった。  昨年までは西嶋が調査課、松本は財務課で所属は異なるが二人とも経理部所属の社員だった。  平成十五年の三月、決算が一段落した頃だった。  その日、西嶋と松本は財務課長の福井俊郎から突然、飲みに誘われた。    福井は四十二歳、大学時代はラグビーの名選手で鳴らしたらしい。  今は次期社長の呼び声高い佐々木専務の派閥に属し、福井自身も会社の将来を担う一人と期待されている。  ビールで乾杯した後、福井が二人の酔いを一気に醒めさせるような話を切り出した。 「二人には、来年までに中小企業診断士資格を取得してもらうつもりだ」 「福井課長、藪から棒に無茶なこと言わないでくださいよ。ウチの課長からはそんな話は聞いてないですよ。経理部はただでさえ毎日残業、残業で忙しいんですから」  百八十センチ近い長身の西嶋が、冗談交じりに福井に噛み付いてみせた。 「生憎これはもう決まったことなんだ。我が社は上層部の方針でマネジメント能力を持った社員を育てることが急務だ。それより、二人に白羽の矢が立ったんだから感謝しろ」 「資格試験の勉強時間って当然、勤務時間外から捻出しなければならないんですよね」  松本が遠慮がちに口を挟んだ。  松本は淵なし眼鏡を掛けた中肉中背の、都会には何処にでもいそうな平凡な若者である。 「もちろん、取得に掛かった費用は全額会社が負担する。これはオフレコだが合格したら即係長に昇進させるそうだ。君たちは会社の将来に必要な人間なんだから是非、頑張って資格を取得してくれよ」  二人は新宿駅で福井と別れた後、駅ビルに入り静かに話しができる喫茶店に向かった。  松本が水を飲み干してからおもむろに口を開いた。 「中小企業診断士って言えばサラリーマンにダントツに人気がある難関資格だぞ。正直、俺は仕事をしながら一年で取れる自信なんてない」 「松本、落ち着けよ。課長が俺たちに発破を掛けるための脅しかもしれない。別に落ちたって、まさか会社を首になるわけじゃないだろ? そんなにマジに考えるなって」  松本が不安げに口を開いた。 「そう言えば、うちの会社で診断士資格を持っている人間っていたっけ?」 「俺の知る限り、大阪支店の山口さんとか、あと、福井課長もたしか持っていたはずだ」 「えっ。福井課長も中小企業診断士の有資格者なのか?」 「ウチの課長から以前、そんな話を聞いたことがあるけど」  西嶋は、資格取得の話に松本が必要以上にプレッシャーを感じているように思った。西嶋はその日の夜中、自宅のパソコンで資格の概要や合格体験記について検索してみた。  中小企業診断士試験に合格するには約千時間の勉強時間が必要らしい。しかし松本が言うように、偏差値エリートを自負している西嶋でも、ハードな仕事を抱えながらストレートで合格できる自信はなかった。  翌週、二人は栄光アカデミーのDⅤD講座を申し込んだ。  それから資格試験との格闘が始まった。二人は通常業務をこなしながら当たり前のように残業をして、瞬く間に一年が過ぎた。  一年後、松本は診断士試験に一次、二次試験にストレート合格し、西嶋は一次試験すら合格できなかった。しかし、この結果を西嶋は素直に受け入ることができなかった。  西嶋は疑問に思った。 (財務課は経理部の中でももっとも忙しい部署で、残業時間も半端ではない。毎日、寝る暇もないくらい忙しいはずだ。それなのに、なぜ松本だけが合格し、オレが不合格だったのだろう? 直前の模擬試験でも、オレのほうが松本より点数が良かったはずなのに)  最近は社内で顔を合わせることがあっても松本は妙に余所余所しいし、まともに顔を合わせようとしない。それどころか松本は西嶋を避けて、まるで何かに怯えているようにも感じる。 ◇◆◇◆◇◆◇ 「倉さん、この前、妙な噂を耳にしたんですが」  倉石が自販機の缶コーヒーを啜っているところ、布施が出し抜けに声を掛けた。 「倉さんの耳にも入れといたほうがいいと思いまして。じつは昨日、受講生を装ってもう一度栄光アカデミーに行ってみたんです。そしたらたまたま、溜まり場でタバコを吸っているヤンキー風の受講生たちがいて、彼らが話をしていたのを聞いちゃったんです。大きな声では言えないのですが、どうもあのスクールで副業で資格試験の替え玉受験をしている講師がいたらしいんです」 「替え玉受験? それと今回の事件とどういう関係があるんだ?」 「何でも昔、その男の友人で出来の悪い学生がいたらしいんです。その受講生の父親が不動産会社を経営しているらしいんですが、何度受けても宅建の資格が取れないので、ある講師にお願いして、替え玉受験して取ってもらったことがあるんだそうです」  宅建は、年間十五万人程度が受検する超人気資格である。 「要は、カネで資格を買ったってわけか?」 「簡単に言えばそういうことです。それで、その男の話では、その講師というのがどうも亡くなった藤崎らしいんです」 「藤崎が替え玉受験をしていたというのか? たしかな証拠でもあるのか?」 「いいえ、まだ確証はありません」    倉石は布施に命じて、藤崎の履歴を調べさせた。すると意外なことがわかった。  藤崎は東都大卒業後、大手アパレルメーカーに就職したが数年で退社。その後宅建と行政書士を取得したが、別の資格スクールで宅建と行政書士の講師をしながら中小企業診断士資格も取得していた。  経歴からも向上心が強く、勤勉な性格であることが窺い知れた。当時のことは講師仲間から話を聞いて裏を取ることができた。藤崎は資格を取って独立開業しようとしたが上手くいかなかったため、やむなく資格スクールの受験講師になったらしい。  しかし、これだけでは藤崎が替え玉受験をしていたという決定的な証拠にはならない。取りあえずその学生に会って、もう一度詳しい話を聞く必要があった。    資格スクールのパンフレットには、 「資格は一生の財産、資格さえ取れば人生がバラ色」 と謳われているが、おそらくリアルな資格士業の世界とはこのパンフレットとはまったく違う世界なのだろう。  倉石と布施は翌日、栄光アカデミーに向かった。  しかし、その日は講義がなく空振りに終わった。  ようやく男に会えたのは翌週の金曜日の夕方だった。倉石は必要以上に警戒されないように、その男にソフトに接することにした。 「君、ここの受講生だよね。警察の者なんだけど先日、ここの講師の藤崎さんが亡くなったの、知っているよね。そこでちょっと、話を聞かせてくれないかな」  警察と聞いて相手は一瞬、身構えた。  茶髪の受講生の名前は赤津宏。見るからに軽薄で頭の悪そうな顔立ちだ。平成学院大を卒業したがロクに就職先が決まらず、親元でパラサイトしながら今は宅建の講座に通っているという。  赤津はオドオドしながら答えた。 「藤崎は誰かに恨まれて殺されたんじゃないかって、皆で噂していただけだよ。でもオレ、たしかなことは何もわからないから」 「君が知っていることだけでいいんだ。どうか知っていることを全部話してくれないか」  しばらく沈黙が続いていたが、赤津は不承不承、話し始めた。 「杉本といって、オレの大学時代のダチだよ。でも、情報の出所がオレだなんて絶対に出さないでくれよ」 「わかった。それは約束するよ」  倉石と布施は、赤津から聞いた情報を頼りに世田谷区成城にある杉本の自宅に向かった。  杉本達生の自宅は敷地だけでも三百坪はありそうな豪邸である。    二人は数時間張り込みを続けていたが、夕刻になって派手なスーツに身を包んだ若い男が赤い外車から降りてきた。 「杉本さんですね。赤羽北警察署の倉石と申します。少々、お時間をもらえませんか?」  杉本は二人を一瞥すると露骨に眉間に皺を寄せた。その顔はヤンキーそのものだった。 「何だよ? 俺、別に悪いことはやっちゃいないよ」 「そんな話ではありません。杉本さんはお父様の経営する会社で働かれているのですね」 「ああ、そうだけど。それが何か?」 「杉本さんは宅地建物者取引主任者の資格をお持ちらしいですね。そのことで、少々お伺いしたいのですが?」 「ちょっと、あんたたちいきなり来て、何を言い出すんだよ」 「資格は実際、ご自身で受験されて取られたんですか?」 「・・・・・・」 「ところで、栄光アカデミーの藤崎という講師が殺害されたことはご存知ないですか?」 「えっ、藤崎が死んだ?」  「藤崎さんについて何か知っているんですね。それを詳しく話してくれませんか?」  杉本は観念したのか、渋々話し始めた。 「言っておくけど、替え玉受験の話は藤崎の方から持ち掛けてきたんだよ。百万円出せば代わりに受験して絶対に合格してあげますって」 「それで、替え玉受験の話に乗ったんですね?」 「乗るも乗らないもないよ。オヤジから宅建ぐらい取っておかなきゃ後を継がせられない、会社にも入れないってこっぴどく説教されるから、あの時は仕方なかったんだよ。ただ、藤崎はその後も人の足元を見て吹っ掛けてきやがった。もう百万円出せば他の資格も取ってやるからって散々、脅されたけど俺は無視したんだよ。むしろ、俺は被害者なんだよ」 「藤崎さんから脅迫をされたのですか?」 「藤崎は資格が取れなくて困っているヤツに、替え玉受験を持ち掛けているという噂を耳にしただけだよ。もっとも、俺は殺しなんかしちゃいないけど」  杉本の証言には一応嘘はなさそうだったので、倉石は一先ず杉本を解放することにした。 「藤崎さんの件で今後、お話を聞くことが必要ならば改めて署までご同行お願いします」 「俺は別に構わないけど。でも、宅建資格の件なら、いまさら訴えてももう時効だよ」    杉本は開き直って捨て台詞を吐いたが、布施は杉本の資格などどうでもよかった。一人の人間の死のほうがよほど大切なことだ。それより藤崎殺しの真相に全力を挙げたかった。  布施が帰り際に歩きながら、おもむろに口を開いた。 「しかし、替え玉受験なんて、そんなに簡単にできるものなんですかね?」 「ありえないことじゃない。オレがまだ若い頃、娘可愛さに父親が娘の大学の受験生になりすまし、替え玉受験をした事件があったよ。ただ、髪の毛の薄い父親がいくら白粉塗りたくってお化粧してもどう考えてもムリがあるから、あっさりバレちゃったよ。しかしあらゆる世代に受験生がいて、しかも一度に何万人と受ける資格試験なら試験監督の目が緩くなるから案外、不可能ではないかもしれない。メイクを施し、メガネやウィッグなどを使って巧みに変装はできる。しかも今の時代、素人だってSNSで写真を修整することなど誰でもできる。個人のホームページみても、写真を合成したり、あごの線をシャープに見せるため削ったり、逆にふくよかに見せたりなんて、今は簡単にできるらしいから」 「しかし杉本、案外あっさり吐いてくれましたね」 「所詮、元ヤンでも金持ちのボンボンだから、ああ見えても根は結構、純情なんだろ。ヤツは間違いなくホシじゃないよ」 「でも、藤崎はそんなに金に困っていたんでしょうか?」 「独立開業のための資金が欲しかったのか、あるいは他に原因があったのもしれないな」 「まあ、捜査の方向性が見えただけも万々歳だよ」  今回の事件には資格産業にある闇が立ち塞がっているようにもみえる。しかし、布施の機転で今後の捜査が大きく進展したことは間違いなかった。 「しかし杉本の話が本当なら、藤崎にはまだ余罪がありそうですね」 「藤崎は新たに替え玉受験を企てて、何かしらのトラブルに巻き込まれたのかもしれないな。明日、藤崎が今までどういう講座を担当していたか調べてみろ」 「はい。明日、学校に直行して確認します」    翌日、布施は栄光アカデミーに向かった。応接室で対面する並木は、以前と変わらず不愛想な話ぶりだった。 「藤崎はここ数年、診断士講座一本ですね」 「そうですか。ついでに藤崎さんの講座を受講した方の名簿がありましたら、お貸しいただきたいのですが」  個人情報の保護の必要性を訴える並木の言葉に、布施は「捜査にご協力お願いします」の一言で説き伏せ、受講生リストを手に入れた。  受講生は過去まで遡るとざっと千名近くもいる。この中に、真犯人がいるかもしれないと思うと布施の気持ちは自然と高まった。署に戻ると倉石が布施に目配せする。  いつも高圧的な署長が駆け寄ってきて、布施の肩を叩きながら言った。 「お手柄だったな。名簿からホシが挙がれば、事件は一気に解決するかもしれない」  陰で赤鬼と蔭口を叩かれている署長から、久々に褒められた布施は複雑な気持ちだった。 ◇◆◇◆◇◆◇  三月二十三日未明、荒川沿いの五階建て高齢者専用マンションの敷地内で若い男性の死体が発見された。  第一発見者はこのマンションの住人の八十歳の高齢男性だった。  男性は松本茂(28歳)。  身元は本人が所持していた名刺から分かった。日新産業の営業企画室係長である。検視の結果、死因は頭蓋骨陥没による即死。現場の屋上からは遺留品のカバンや靴が発見された。カバンから身分証明書、免許証、財布などは見つかったが、携帯電話などは見つからなかった。  遺書はなかったが、屋上には血痕などは残されてはなく、特に誰かと争ったような形跡もないことから捜査当局は当面、自殺の線で捜査を始めた。  松本は岡山県の出身で現在、板橋区内のマンションに一人住まいだった。  捜査本部はこの時点で、藤崎殺害と松本茂の事故、あるいは事件を別件と解釈していた。  しかし、二つの事件が距離にして直線でわずか一キロ程度しか離れていないこと、携帯電話などが見つからなかったことに倉石は微かな疑問を持った。  会社への聞き込みでは松本は昨年に中小企業診断士を取得したばかりで、社内では将来を期待されているエリートらしい。  このことに倉石はむしろ引っ掛かるものを感じた。難関資格まで取った若者がどうして自殺をしなければならなかったのか。  この点が上手く説明できない限り、安易に自殺とは断定しにくい。  倉石は受講生リストの洗い出しと並行して、松本がどこの資格スクールで診断士講座を受験していたか調べるよう布施に命令した。  翌日、布施が興奮気味に話し始めた。 「やっぱり、松本は栄光アカデミーの診断士講座を受講していましたよ」 「それじゃ、松本と藤崎には何かしら接点があるんじゃないか?」 「しかし、一つ気に掛かることがあるんです。松本はたしかに栄光アカデミーの講座を受講していますが直接、藤崎とは面識がないようなんです」 「どういうことだ?」    普段、温厚な倉石が珍しく苛立った。 「倉さんはご存じないかも知れませんが、資格スクールの講座はコースがいろいろ別れているんです。通学者向けのライブ講義、パソコンで自由な時間に学習できるWEB講座、DVD講座、できるだけ費用を倹約したい受講生向けのための通信講座などがあるんです」 「結局、君は何が言いたいんだ?」 「松本が受講していた講座はDVD講座です。ですから、松本は藤崎の講座を受けていても、二人に面識はなかったはずです。ライブ講座ではないので、接触の機会もなかったと思われます」 「それじゃ、松本には藤崎殺しの動機もないというわけか?」 「受講生の中には講座内容や講師などに不平不満を持つ者もいないこともないですが、スクールのカリキュラムは毎年見直しを重ね、テキストを刷新し最新情報を提供しています。松本が藤崎だけに殺意を抱くようなことは、どう考えても無理があるように思います」 「わかった。とにかく布施は引き続き、藤崎と松本の関係を洗ってくれ」    倉石はここで、今までの出来事を整理してみた。  藤崎が生前、いくらかの報酬を得て替え玉受験をしていたこと、またDVD講座といえ、松本が藤崎の存在を知っていたこと、藤崎の講座を受講していたこと、これだけは疑いのない事実である。  布施は翌日、日新産業に聞き込みに向かった。  日新産業は新宿駅西口から徒歩五分ほどの立地にある。  一方の栄光アカデミーは新宿駅東口から十分程度の場所にある。  布施は思った。  いくら大都会東京でも、松本と藤崎の二人が偶然に出会うようなことがあっても何ら不思議ではないのではないか。  布施は受付で経営企画室を呼び出してもらった。  五分ほど待たされた後、経営企画室長の峰岸正和が現れた。峰岸は物腰の柔らかさと裏腹に、その目は少しも笑っていなかった。 「正直、私どもも困っているんです。松本君は仕事もできるし期待もしていたんですが」 「松本さんはいつ頃、こちらの部署に配属になったんですか?」 「昨年の四月からです。松本君は資格を取った後、すぐに経営企画室に異動になりましたから」  布施が聞き込みを続ける。 「松本さんは何か、職場で悩まれたりしていたことはあったんでしょうか?」 「いいえ、特にそのような話は聞いていません。松本君はウチに来たばかりで、彼のプライベートなことまでは私もよく存じていないもので」 「ところで、松本さんに特に親しい友人とか、社内にはいませんでしたか?」  しばらく沈黙があった後、峰岸が思い出したように答えた。 「それでしたら西嶋君が同期だから、あるいは彼のことをよく知っているかもしれません。商品開発部レトルト食品課の西嶋尚志です。彼はたしか、昨年まで松本君と経理部で一緒だったはずです」  布施は西嶋という名前を手帳にメモした。  仕事中で不躾だとは思ったが、布施は商品開発部に出向いた。布施が通された会議室に現れた西嶋は激務のためか、疲労が体全面から滲み出ていた。 「お忙しいところ御呼び立てして申し訳ありません。亡くなられた松本さんのことで少し、お話を聞かせていただけないでしょうか?」 「私でよければ何でもお話しますが・・・」 「お二人は同期だったそうですね。ところで、松本さんとは以前、同じ経理部にいらしたとか?」 「松本とは昨年までは同じ部署にいました。でも彼は資格試験に合格し、係長に昇進して経営企画室に栄転になり、私は商品開発部に異動になりました」 「それでは、診断士試験はご一緒に受けられていたんですか?」 「上司の勧めで受験したのですが私は不合格でしたが、彼はストレートで合格しました」 「それでは、お二人は同じ年に診断士の勉強をされていたということですね」 「はい。そうですが」 「西嶋さん、ここでお話を聞くのも何ですから今日、仕事が終わった後もうすこし詳しく、話を聞かせていただけませんか?」  西嶋は渋々頷き、その場から立ち去った。  歌舞伎町は夕方あたりから急速に賑わってくる。喫茶店の窓から、キャバクラの客引き、ホストと思われる男性たちが女性相手に熱心に客引きをしている様子が見えた。  西嶋が仕事を終えてから姿を現したのは午後九時をとっくに回っていた。  布施が電話で指定した喫茶店は静かに話ができる、歌舞伎町界隈には場違いな店だった。 「お疲れのところお呼び立てして申し訳ありません。先ほどの話の続きですが、お二人は栄光アカデミーの講座に通われていたのですか?」 「ええ。それは松本と一緒に申し込みに言ったのですから間違いありません」 「診断士はビジネスマンに人気の難関資格だと聞いています。これは聞いてはならないことかもしれませんが、捜査だと思ってご無礼をお許しください。ところで、西嶋さんが不合格だった資格試験になぜ、松本さんがストレートで合格できたんでしょうか?」 「さあ、それは頭の出来の差じゃないですか」  西嶋は自嘲気味に答えた。 「ところで、この方をご存知ですか?」  布施はカバンの書類袋から藤崎の写真を取り出して、西嶋の前に静かに置いた。 「ええ。知っています。診断士の講師の方ですよね。たしか、名前は藤崎さんとか言ったかな」 「やはりご存知でしたか。藤崎さんは先日、亡くなったのです。今は捜査段階ですが、事故でなく事件である可能性があります」 「えっ!」 「知りませんでしたか?」 「はい。でも、藤崎さんの事件と松本の死とが、どうして関係あるのですか?」 「あなた方、お二人が藤崎さんの講座を受けられていたからです」 「それはそうですが、私は藤崎さんと個人的な付き合いはないですし、松本もおそらく面識すらないはずですよ。講義といっても所詮、パソコンの中だけの講義だけですから」 「では、質問を変えましょう。合格した後、あるいは最近、松本さんに何か変わったことはありましたか?」    西嶋は何か考えるような素振りでだった。 「いいえ、特にはなかったと思います。ただ、そういえば、松本は私と同じ試験会場で受験をしませんでした」 「それはどういうことですか? もう少し詳しく話を聞かせください」 「松本は夏、岡山の実家に帰省するから、本試験は広島で受験するんだとか言っていました」 「広島で受験をする?」 「ええ。診断士の場合、東京だけでなく地方にも多数試験会場がありますから、地方出身者などは地元で受ける人も結構いるんです」 「あと、何か気がついたことはありますか?」 「そう言えば、松本は試験に合格してから意図的に私を避けるようになりました」 「西嶋さんを避ける?」 「ええ、最初は自分だけ合格したから私に遠慮していると思ったのですが、それだけじゃないようでした。いつも人目を避けているというか、何かオドオドした感じがしました」 「しかし、松本さんは自力で受験して、合格したんじゃなかったんですか?」 「それはまあ、そうでしょうが」 「万が一の話ですよ。たとえば、松本さんの試験を誰かが替え玉受験したとしたら?」  布施は西嶋にカマを掛けてみたが、西嶋は即頭を振った。 「まさか! 松本に限って、そんな卑劣なマネをするとは私は思いません」  しかし、西嶋は口とは裏腹に、布施の言葉が以前から感じていた自分の疑問を解く鍵になるような気がしてならなかった。  捜査本部では松本が昨年、中小企業診断士試験を受験していたことを突き止めた。  ところが捜査上で一つだけ、大きな疑問が残った。  不可解なことは松本は試験会場を東京ではなく札幌での受験を選んでいたのだ。先日、布施が西嶋から聞いた「松本が広島で受験した」というのは松本の作り話だったことがわかった。松本の実家は岡山県である。    札幌と岡山では方向が全然違う。過去に遡って交友関係も入念に調べたが、大学時代も社会人になってからも、友人や知人に道内出身者は一人も見当たらなかった。  倉石が口を開いた。 「しかし、妙な話だな。松本はおそらく誰にも顔を知られない場所で受験したかったんじゃないか?」  栄光アカデミーに問い合わせてみるとやはり試験当日、藤崎は休暇を取って会社を休んでいた。並木の話では、末期ガンで入院している母方の祖母の容態が急変したから連休で休ませて欲しいと本人が直接、会社に電話を掛けてきたという。  その日は本試験当日で、講義の予定はないので快諾したという。  ここで一つの推測が成り立つ。  藤崎は松本に成りすまし試験前日、札幌のホテルにチェックインする。札幌で二日間診断士試験を受け、藤崎は最終便で何食わぬ顔で東京に戻り、翌日は普段通りに栄光アカデミーに顔を出したのではないか。  藤崎があえて札幌を受験地に選んだのは講師としてよく顔を知られ、面が割れている危険性がある東京より、ライブ講座のない札幌の方が目立ちにくいと考えたからではないか。  ここで藤崎―松本ラインは一本の線で繋がった。    あくまで一般論だが、藤崎と松本の顔や写真を一度や二度見た限りではおそらく、どちらがどちらか咄嗟は判断付かないだろう。二人とも大都会の人間に紛れてしまえば、一度会ったくらいだけでは印象に残らない顔である。  特徴のない、街で見かける普通の若者の顔なら試験官でも簡単に騙されそうだ。  おそらく、十月の二次試験も同様の手口で乗り切ったのだろう。  そして二次試験合格後、ほとんど落ちることのない面接試験でもある口述試験で本人とすり替わったのだろう。  しかし、松本と藤崎に何かしら繋がりや接触があったとしても、唯一それを証明できるはずの当の本人たちがすでにこの世にいない。また、仮に藤崎殺害の容疑者が松本だったとしても、替え玉受験で合格させてくれた藤崎を殺すだけの動機がわからない。金銭トラブルのもつれなのか、あるいは怨恨なのか。 流しの犯行の線はほぼ消えたが、いまだ深い闇が続いていた。  その後、藤崎が住むアパートから、試験前日の札幌行きの航空券の半券が発見された。  これで、藤崎が松本から替え玉受験を請け負ったことが間違いないことがわかった。  新たな発見もあった。藤崎の自宅で通帳の口座から十一月末付けで、偽名で現金二百万円が振り込まれていることが確認された。振込み人はおそらく松本である。また、四、五年年前から年数回に渡り、五十万円程度から数百万円単位の金が振り込まれていった。これで、藤崎の替え玉受験容疑はほぼ確定した。しかし、殺しについてはまだ何も解決していない。    布施は思った。  藤崎と松本を亡き者にすることで、どこか世の中の片隅でほくそ笑んでいる人間が誰か別にいるのではないか。 ◇◆◇◆◇◆◇    松本の死から四日が過ぎた。  倉石は直接、両親に会って確かめるのがもっとも早いと判断した。倉石と布施は、亡くなった松本の実家がある岡山に向かう新幹線の車中にいた。  岡山県F市は人口二十万人程度の地方の中核都市だった。捜査情報を公にできないため、駅前でレンタカーを借りた。  松本の死が本当に自殺なら、何かしらの動機や理由があるはずである。  松本には二人兄弟で数年前に九州に嫁いでいる姉がいるが今、実家には両親しかいない。ただ、松本は大学に進学してからはロクに帰省していなかったらしい。松本の自宅は地方の資産家らしく、数百坪を有する敷地に門構えも立派な旧家だった。  倉石は静かに話し始めた。 「この度はお悔やみ申し上げます。お気落ちのところ恐縮ですが、息子さんの死には不可解な点が多数あります。ところで、息子さんに最近変わった点はありませんでしたか?」 「いいえ。特にはなかったと思います」  銀髪で身なりも紳士然とした父親が答えた。  松本の父親は市役所で部長まで出世したらしいが、退職後は市会議員に打って出て当選し現在は二期目だという。 「捜査当局では息子さんの死をまだ、自殺と断定したわけではないものですから、お気づきのことがあれば何でもおっしゃっていただきたいのです」  母親は一人息子の死で憔悴していたが、元々は気丈な性格なのか急に話し始めた。 「そう言えば昨年の一月頃でしたか、滅多に電話など掛けてこない茂がいきなり、電話を掛けてきたことがあります」 「その内容を今、正確に思い出せますか?」 「たしか、何とかという資格を取ったから、来年係長になれるかもしれないと話していました」 「息子さんはその時、たしかに資格を取ったという話をされていたんですね」 「はい。それ以外は特には思い当たる節はございません」 「わかりました。貴重な情報ありがとうございます」    松本は地元の名家の息子らしく、品行方正で悪い噂や評判は何も聞かなかった。聞き込みを続ける限り、松本が自殺するような動機、あるいは自殺に追い込まれるような話はまったく見当たらなかった。  新幹線の駅へ向かう車の中で、倉石がつぶやいた。 「こんな世知辛い世の中だから、たいして動機なんかなくても自殺する人間もいるにはいるからな」 「自分の憶測の域なんですが、仮に松本が誰かに脅迫されていたとしたら、自殺することもあったんじゃないでしょうか?」 「それを言うなら、死んだ藤崎しかいないだろ?」 「藤崎とは限らないと思います。誰かの身代わりになって、責任を取らされたうえ自殺したとか」 「責任か。それは君の責任だ。お前のせいだか。いつ聞いても嫌な言葉だな」 「たとえば、日新産業の中にもそうした人物はいないでしょうか?」  倉石が一瞬、視線を逸らした時、倉石の携帯電話がけたたましく鳴った。  捜査本部からだった。倉石が息を呑んだ。 「おい、鑑識の結果、松本の体内から睡眠薬が発見されたそうだ」 「これはおそらく、いえ、間違いなく自殺じゃないですね」 「松本は多分、睡眠薬を一服盛られて意識不明のまま屋上から突き落とされたんだろう」  倉石は思案顔で押し黙っていたが、おもむろに口を開いた。 「黒幕は日新産業か? 叩けば埃がでるかもしれないから戻ったら一度当たってみるか」  倉石の言葉に布施はすぐ頷いた。  布施が西嶋に会うのは今回が三度目である。  布施は先日、栄光アカデミーで診断士のテキストを入手し、読み始めたものの五分で頭が痛くなった。とにかく出題範囲が広い。これでは、いくら勉強好きの偏差値エリートでもハードな試験と言わざるをえない。 「せっかくの休日にお呼び立てしてしまって申し訳ありません。西嶋さんにどうしても確認したいことがありまして」 「いいえ。あれから何か捜査に進展はありましたか?」 「残念なことですが、松本さんが藤崎さんに替え玉受験を依頼していたことが捜査の結果、ほぼ間違いないことがわかりました」 「そうだったんですか・・・・・・」 「何か、あまり驚いていないみたいですね」 「松本には悪いですが、この前お話を聞く以前から薄々、疑問は感じていました」 「それでは、西嶋さんは松本さんの不正受験に最初から気が付いていたんですか?」 「確信というほどではありませんが、同じ部署でしたので彼の動向はだいたいわかります。特に財務課は残業が多いので、よほど睡眠時間でも削らなければ勉強時間を捻出できないだろうと思っていました。模擬試験も私の方が順位も上でした。松本は優秀な男でしたが、激務をこなしながら合格ができたことが私には不可解でなりませんでした。診断士試験にストレートで合格するような人間は資格試験に掛かりっきりでやっている人も多いんです。合格者の中には時間に余裕がある派遣社員やフリーター、言葉は悪いですが窓際族、学生なども多いので残業続きの松本の合格は私には意外に感じられました。しかし、まさか替え玉受験とは気が付きませんでした」 「ところで、松本さんは藤崎さんとどこで知り合ったのがご存知ありませんか?」 「さあ、そこまでは。この前もお話した通り、DVD講座の中だけの付き合いだったと思っていました。お役に立てないですみません」  これ以上聞いても埒が明かないと思い、布施は西嶋に礼を言うと急いで署に戻った。ただ、西嶋が捜査に全面的に協力する姿勢を見せてくれたことは大きな収穫だった。  布施は一つだけ確信していることがあった。  藤崎は今回の替え玉受験が初犯ではない。それは杉本の証言からも明らかだ。ならば、昨年以前の藤崎の足取りを調べれば何か出てくるのではないか。布施は日新産業の社内で、中小企業診断士資格の所有者のリストを入手することを考えた。  布施が今日、訪問するのは日新産業だが人事課である。  人事部はどこの会社でも他の部署と違って、静かで落ち着いた雰囲気がある。人事課長の徳田正弘は四十代半ばの紺のスーツが似合う地味な男だった。布施が警察関係者ということで表面上こそ慇懃な態度だったが時折、露骨に迷惑そうな表情も垣間見せた。  人事課の奥にある応接室の通されると布施は早々、本題に入ることにした。 「御社では社員に、さまざまな資格取得を奨励しているそうですね」 「はい。それが当社の方針ですから」  ドアを叩く音がして女子社員がお茶をもって入ってきた。  布施が一瞬、胸のプレートに目をやると沢井と言う名が記されていた。女性が一礼して退出すると布施はさら話を続けた。 「ところで、御社では社員にどんな資格を取得させているのですか?」 「代表的なものは簿記検定、ビジネス実務法務検定、知的財産管理技能検定、行政書士、社会保険労務士などですね。幹部候補社員には中小企業診断士などの難関資格も奨励しています」 「ところで先日、お亡くなりになった松本茂さんは中小企業診断士の有資格者でしたね」 「そうですが、それが何か?」  徳田は木で鼻をくくったような態度で返答した。 「診断士資格取得者は御社には多いんですか?」 「いいえ。診断士はそれほど多くないと思います。せいぜい十名程度だと思います」 「有資格者のリストを拝見させていただくわけには参りませんか?」 「それは、あくまでも捜査の協力という意味ですか?」 「ええ。まあそう考えていただいても結構です」 「ここに社員の入社後のキャリアがすべて記されています。外部に流出すれば当社にとって極めて大きなリスクになります。場合によっては、社の命運や死活問題にもなりかねません。昨今の個人情報保護の観点からもまた、社員を守る意味でも何卒ご容赦下さい」  徳田に言わせれば、万が一リストが流失して資格を持つ優秀な社員が他社からヘッドハンティングされたりすれば自分の責任になると思っているのかもしれない。大企業で働く社員はいつも自分の保身や出世を考えてから行動するので、一連の対応は不思議ではなかった。  布施は徳田の言葉に渋々応じざるをえなかった。  捜査が一気に進展すると考えたリストが手に入らなかった。    日新産業から通りに出ると、鉛色の空が気分をさらに陰鬱にさせた。 ◇◆◇◆◇◆◇  その夜遅く突然、西嶋の携帯電話が鳴った。  相手は沢井瑞穂だった。 「お疲れさま。今日、人事課に若い刑事が来ていたみたいなんだけど、知っていた?」 「ついに人事課まで捜査対象が広がったか。いったい何を調べたがっているんだろう?」 「わたし、お茶持っていった時、聞く気はなかったんだけどつい盗み聞きしちゃったのよ。そしたら、どうもウチの社員の有資格者リストを欲しがっていたみたい。もっとも課長は頑なに拒否して渡さなかったみたいだけど、わたしのパソコンの中に、そのリストすべて入っているわよ」 「まさか、会社に黙って警察にリストを渡すつもりなのか?」 「わたしは松本さんの死の真相が知りたいだけよ。それは、あなたも同じでしょ?」  図星だったので、西嶋は返答に窮した。  西嶋は遂にその日、朝まで一睡もできなかった。しかし、瑞穂の言葉が決め手になって決断した。  翌々日、所轄のデスクで布施の携帯電話が鳴った。それは意外にも西嶋からだった。 「ご無沙汰しています。西嶋です。布施さん、今日お時間ありますか? 実は渡したい物があるんです」  その夜、布施と西嶋は先日の喫茶店で落ち合った。  西嶋はカバンから徐に一枚のUSBメモリを取り出し、布施の目の前に静かに置いた。 「刑事さん、これ、必要なんですよね。この中にウチの全社員の有資格者リストが入っています」 「どうして、それをご存知なのですか?」 「情報源については今は勘弁してください。ただ、私は一日も早く松本の事件の真相を知りたいだけです。この資料が捜査や事件の解決に役立つのなら使ってください」 「ご協力いただき、ありがとうございます」 「ただ、一つ約束してください。くれぐれもデータの流失だけはしないでください」 「わかりました。必ずお約束します」  布施は西嶋から提供されたUSBメモリを署に持ち帰った。  おそらく、これだけの資料を人事課から密かに持ちだすのはたいへんだったと思うが、今は西嶋に対して感謝の念しかなかった。  布施が驚いたのはまず、そのボリュームだった。  日新産業だけでも五百名近い有資格者人間がいた。世が資格取得ブームでも一企業でこんな大勢の有資格者がいたのは予想外だった。  また、診断士資格の該当者は社内に十二名いることもわかった。松本の名前ももちろんあった。  年齢が若い順から山口信一、柴田宗雄、青木靖、どんどん読み進めていくと布施の視線がそこで止まった。社内履歴も一緒になっているので読みにくいが、財務課福井俊郎という名前を見た時、なぜか違和感を持った。    布施は何か、心に引っ掛かるものを感じた。 (西嶋がこの前話をしていた、二人に中小企業診断士受験を勧めた経理部の上司とは、おそらくこの男かもしれない)  布施は取り合えず、松本の次に入社年度が若い、大阪支店にいる山口信一に話を聞くことにした。  布施は朝一の新幹線で大阪に向かった。  あえてアポは取らないことにした。いわゆる不意打ちである。これは刑事としての布施の直感だった。  山口は社内ですぐ発見することができた。内勤ならば抜き打ち捜査や聞き込みもしやすい。布施は単刀直入に質問を切り出した。 「お忙しいところすみません。赤羽北署の布施と申します。山口さんに少し、お話を聞かせていただきたいのですが?」  山口は終止落ち着きがなく、眼鏡の下の視線はずっと泳いだままだ。 「本社の松本さんが亡くなられたことは既にご存知ですよね?」 「ええ、存じています」 「ところで、山口さんは藤崎という資格スクールの講師をご存知ないですか?」  藤崎という名前を出しただけで、山口は顔面蒼白になった。  山口の額にじっとり脂汗が浮いているのがわかった。 「藤崎さんも亡くなっているんですよ。あなたは本当に知らないんですか?」 「―――私は何も悪くない。あれはただ、向こうから持ち掛けられた話なんだ」  布施は社内で問い詰めるような話ではないと思い、退社後改めて喫茶店で待ち合わせすることにした。  布施は会社の人が立寄らなそうな喫茶店を探し、山口と再び面会した。  布施はコーヒーを二つ注文すると話し始めた。 「山口さん、正直にお話していただけませんか?」    山口は言い逃れできないと観念したのか、少しずつ話し始めた。 「一昨年のことです。私は松本君から替え玉受験について相談を受けました」 「それで、あなたは何て答えたんですか?」 「それは、藤崎に一任すれば、彼がすべてやってくれるから心配ないと言いました」 「それでは藤崎さんを紹介したのはあなた、なんですか?」 「いいえ。それは違います。あれは三年前のことでした。本社にいる時、上司から突然、中小企業診断士資格の取得を持ち掛けられました。しかし、思うように勉強時間が捻出できない私は仕事と資格試験の狭間で悩み苦しんでいました。そんな時、ある人間から替え玉受験の話を持ち掛けられました。資格試験の合格を二百万円で請け負うから乗らないか。私はその頃試験直前でパニックになっていたので、ついその話に乗ってしまいました」 「しかし、二百万円とは随分高額ですね」 「いいえ。診断士の資格を取れば翌年係長になれることが決まっていました。昇給して年収も百万円以上も上がるので数年すればペイできます。それに、有資格者として将来の出世も約束されるので、けっして悪くはない話だと当時は思っていました」 「山口さん、あなたに替え玉受験を斡旋した人物はいったい誰なんですか? 人が二人も亡くなっているんですよ。どうか、正直にすべて話してください。お願いします」  山口はしばらく沈黙を貫いていたが、少しづつ話し始めた。 「替え玉受験の話は福井課長から持ち掛けられました。ただ、私には福井課長の話を断る勇気はありませんでした」 「そうでしたか。正直にお話していただいてありがとうございました」  布施は山口と別れ、署に電話を入れると、倉石が出てくれたので一言告げた。 「倉さん、やっとホシのあてがわかりましたよ」    布施はタクシーで新大阪駅に直行し、駅弁を片手に新大阪駅始発のぞみに飛び乗った。   その後、話は急展開を見せた。  栄光アカデミーで裏を取ってみると藤崎はやはり、前々年の試験日も前日から会社を休んでいた。もちろん山口の替え玉受験のためだ。    日新産業で替え玉受験を斡旋をしていたのが福井で、その請負人が藤崎である。資格ビジネスは表は資格取得で、裏は替え玉受験だった。  しかし、福井が藤崎殺しの真犯人だとすると福井と藤崎の間に何かしらのトラブルがあったことが考えられる。ただ、現段階では福井は重要参考人だが、真犯人だという証拠はまだどこにもなかった。    倉石は布施に命じて福井の素性を入念に調べさせた。  福井は埼玉県の出身で東都大経済学部を出て日新産業に入社した。福井は同期のトップを切って課長に昇進し、社内では将来の役員候補の一人として嘱望されている。特に専務の佐々木とは大学の先輩後輩の間柄で、佐々木も福井には一際目を掛けていると噂されていた。  倉石がいきなり大声を上げた。 「おい、ちょっと待ってくれ。たしか、藤崎も東都大の出身じゃなかったか?」 「奇遇ですね。そう言えば、松本も同じ東都大の出身でした。福井、藤崎、松本は大学の同窓生で、ひとつのラインで繋がっていますね」 「でも、福井はどこで藤崎のことを知ったのかな?」 「先日、有資格者名簿で確認したのですが、福井も診断士の有資格者だったはずです」 「すると二人は同じ大学の同窓でかつ、診断士資格も持っていることになるな」 「替え玉受験をどちらが持ちかけたのかはわかりませんが、接点は十分にありますね」 「でも不思議だな。藤崎は毎年、簿記検定や宅建や行政書士、診断士など替え玉受験をして数日で数百万円の結構いい稼ぎになっていただろうが、福井にしたらたいした旨みなんかあるのかな。そんなにないだろう?」 「そうですね。そこがよくわかりませんね」 「福井にはもっと大きな何かがありそうだな」 「自分もそう感じます」  倉石と布施は翌日、栄光アカデミーを尋ねた。校長に直接会って話しをするためだ。  新宿校校長で取締役も務める米倉泰三は五十代半ば、度重なる二人の訪問に一瞬、迷惑そうな表情を見せたが勤めて営業用の笑みを浮かべた。  すぐさま倉石が話の口火を切った。 「米倉さん、当校の藤崎さんが替え玉受験をしていることが判明しました。これについて、あなたは何か知っていることはありませんか?」  倉石が詰問すると米倉は逃げられないと思ったのか、渋々重い口を開いた。 「あれは昨年のことです。ネットの掲示板で当校の講師の替え玉受験の噂が書き込まれたことがありました。私は真偽の程を確かめようと講師一人一人に尋問しました。藤崎にも確認したところ、最後にどうしてもと頼まれて、一度だけやったことがあると認めました。私は二度としないのなら今回の件は目をつぶろうと彼に話しました。しかし、それ以降も替え玉受験に手を染めていたとしたら本当に遺憾なことです」 「それでは、藤崎さんが誰かに脅されていたとかいうことはありませんでしたか?」 「いいえ。そういう類の話は私ではわかりかねます。以前、並木がお話した通りです」  米倉から藤崎の替え玉受験の事実は裏が取れたものの、それ以外に新たな情報が得られなかったので二人は出直すことにした。  藤崎保は長野県の地方都市の農村の貧しい家庭で育った。  父親は農協で働いていたが病弱で入退院を繰り返し、事実上の家計は母親が支えていた。大学には進学しないつもりだったが藤崎は子供の頃から成績優秀だった。一度は諦めかけた大学進学も担任教師の熱心な勧めで受験し、奨学金をもらいながら名門の東都大学を卒業することができた。  大学の成績もよかった藤崎は大手アパレルメーカーから内定をもらい、無事就職することができた。しかし、実力だけで出世できるほど世の中は甘くはなかった。同期のほとんどはコネ入社で、それが露骨に昇進や昇格に影響した。  ある時、同じ課の上司の些細な発注ミスが原因で得意先との大きなトラブルに発展してしまった。元々一人で生き抜いてきた自負のある藤崎は協調性に欠け、お世辞一つ言えない性格だった。  そのため藤崎は日頃から上司に疎まれ睨まれていた。この件で嵌められ、責任を転嫁され藤崎は結局、その半年後に会社を辞めた。  その時、藤崎は人の顔色を窺って生きていくのはもう止めようと思った。そのため藤崎は資格を目指すことを決意した。資格さえあれば、自分の意志で自由に人生を切り開いていけると考えた。    会社を辞めた藤崎は資格を取り捲った。  その後資格スクールに講師として入り、難関の診断士資格を取った後は独立開業の機会を待った。しかし、藤崎は資格士業の世界もサラリーマンと同じで、目には見えない縄張りがあることを知ることになった。  むやみに他人のテリトリーに参入したり荒らすことはご法度で、資格士業の世界も、藤崎が思っていたほど自由ではないと感じ始めたのもちょうどこの頃だった。  そんなある日、藤崎はある受講生から相談を持ちかけられた。    その受講生は悲嘆にくれていた。 「今度の宅建試験に合格しなければ係長昇進試験すら受けることができません。でも、私は毎日残業続きで勉強する時間がないのです。どこにも逃げ場がないので死にたいくらいです」  自分とほとんど年齢が変わらない受講生が会社で窮地に立たされている。 その時、藤崎の耳元でいきなり悪魔が囁いた。 (それじゃ、お前が代わりに引き受けてやればいいだけの話じゃないか――)  今にしてみれば、それが藤崎の初めての替え玉受験だった。  その時に得た報酬は五十万円だった。  一介の講師の給料からすれば破格な金額だったし、何より相手に感謝された。元々資格スクールのビジネスなど、合格する人間はほんの一握りのグレーなビジネスだ。それどころか、受験生が何年も資格試験にハマって人生を棒に振るケースもたくさん見てきた。  だから、替え玉受験も最初から「人助け」の一環だと思えば悪に手を染めることも何も厭う必要はない。藤崎は回数を重ねる度に、だんだんと罪の意識が遠のいていった。  替え玉受験をやり遂げた時は、今まで散々ひどい目に遭わせられた社会にリベンジを果たした気分がして、上手くいくと快感すら覚えるようになっていった。奇しくもその頃、バブル後の不況のため日本中資格取得ブームになり、どこの会社でも熱心に社員の自己啓発や資格取得に力を入れていた。  ちょうどその頃、東都大学から同窓会の案内が届いた。  藤崎はふと思い出した。    会うたびにエリート風を吹きかざすあの嫌味な福井俊郎のことを。 (日新産業にはあのえげつない福井がいる。万事立ち回るのが上手いヤツもきっと同窓会には顔を出すはずだ・・・)    一方、福井は焦っていた。  そもそもの発端は、佐々木から内密に命令された裏金作りだった。 「財務課長の立場を利用して、効率のよい投資先を開拓し、余剰資金獲得に努めよ」  しかし、福井にはこれが体よい裏金作りで、いずれ佐々木の懐に入ることはわかっていた)  佐々木容認の下、最初は軽い気持ちで始めた仕入先からのリベート作りだったがだんだんと深みに嵌り、気が付けばリスクの高い相場や先物取引にも手を出していた。損失は上手く経理操作をして決算期も何回か乗り切っていたが、その額はすでに十億円規模にも膨らんでいた。    佐々木に相談すると、 「僕はそんなこと指示した憶えはない。すべて、君の一存でやったことだろ」の一点張りで、取り付く島がなかった。  福井はその時、二階にいて梯子を外されたような気がした。  福井がそんな時、ふと思い出したのが東都大学の校友会で、たまたま出会った資格スクール講師の藤崎保だった。  藤崎は大学の後輩だが、何度か会ううちに同じ診断士ということがわかり親密になった。ある時、宴会場のロビーでタバコを吸っていた福井に、藤崎が囁くように語り掛けてきた。 「福井さんの紹介なら特別安く請け負いますよ。日新産業さんだって、社員資格取得奨励制度はあるんでしょ?」  福井はその時、この男は案外、利用できるかもしれないと考えた。  それから藤崎と組んで柴田、山口、松本という三人の社員を次々に替え玉受験で合格させた。いくら優秀な日新産業の社員でも、難関の中小企業診断士試験に一年で合格するのは至難の業である。    部下の診断士合格は福井の評価にもストレートに繋がるから、藤崎とも利害が一致した。しかも資格試験のプロ藤崎はこの荒業を、一人で完璧にやり遂げることができた。  福井は二十代後半で容姿が目立たない社員を資格取得者の対象に選んだ。福井が密かに対象者をホテルに呼び出し、替え玉受験の話を持ちかけた。    松本だけは最後まで良心の呵責を感じていたようだったが、山口などはなんの抵抗もなくこの話に乗ってきた。診断士は二次試験合格まで二百万円。報酬はいったん藤崎の口座に振り込まれた後、報酬の半分を福井にキックバックすることになっていた。  名称独占資格の診断士はあくまでも能力の証明が問われる資格であって、弁護士のように実務能力が問われるわけではない。  しかも二百万円程度でその他大勢の社員に比べて出世へのパスポートを手に入れられる。お互いウインウインの関係になれるのなら、彼らにとってもコストパフォーマンスのよい、まさにお買い得商品でもあった。  しかし、福井にとって所詮数百万円のカネなど雀の涙だった。福井はこれを逆手に取って大きな勝負に出ることにした。  福井は栄光アカデミーを強請ることを考えた。  福井は米倉を日新産業が年間契約している新宿のホテルに呼び出した。  福井が以前、佐々木から内々に裏金作りを命じられたのもこのホテルだった。栄光アカデミーに社員に資格講座を受講させている関係があるので、米倉は福井の呼出しに難なく応じてきた。  福井は米倉にソファーに座るよう促すやいなや、横柄な態度で眉間に皺を寄せながら話しかけた。 「たいへんなことになりましたよ。ウチの社員がお宅の学校の講師から多額の金を強請られているという噂を耳にしたものですから。何でも、法外の値段で替え玉受験を持ち掛けられて渋々承諾させられたそうです。それで、私も非常に困っているんですよ」  元々傲慢な性格の福井は土壇場でも、平然とこういった大芝居ができる。 「しかし、こんなことが世間に知れ渡ったらたいへんなことになりませんか? 資格学校っていうのは何より信用が第一なビジネスなはずでしょ?」  根がサラリーマンで、小心な米倉はその言葉を聞いて顔色を変えた。 「そこで、ひとつ取引しませんか?」 「取引といいますと?」 「ここはひとつ穏便に解決しましょう。十億円、ご用意できますか?」 「十億円? そんな無茶な」 「ウチは栄光アカデミーさんに年間、何百人という社員に資格講座を受講させているんですよ。売り上げだけでも年間、数億円じゃないですか? それを考えたら安い買い物だと思いますよ。オタクとのお付き合いも、これからずっと続くわけですし」  福井はソファーに身を横たえながら、ぞんざいに答えた。 「しかし、額が額だけに私の一存では・・・・・・」 「無理ならば仕方ないですね。マスコミに替え玉受験の件をすべて公表するだけですから」 「ちょっと待ってください。もう少し時間をくださいよ」 「そうですか、それなら良い返事をお待ちしていますよ」  米倉はそれから金策に努めた。  しかし、カネは案外、簡単に工面することができた。    資格スクールは知的集約産業である。アクセス、優秀な講師陣、完璧なカリキュラムさえあれば多額の投資は必要ではない。各種講座も収録さえすれば少し手直ししただけで何回も使い回しすることができる。常に物を生み出す必要のあるメーカーなどと比べると投資が少ない以上、利益率が上がる仕組は一目瞭然である。  予想通り、栄光アカデミーは福井の要求を受けた。  ただし、栄光アカデミーはこの取引に厳しい条件を付けてきた。それは、替え玉受験の件は絶対に公言しないこと。また今まで通り今後も、日新産業の社員の資格取得や社員研修には当スクールを全面的に利用させること。    ビジネスの世界ではギブアンドテイクで、これを確約することで双方の利益になった。福井はこうして、まんまと十億円を手に入れることに成功した。その上、帳簿の穴も無事に埋め合わせることができた。  ところがある日、福井のデスクに外線電話が掛かってきた。  偽名を使っても福井はその暗い声色を聞いて、すぐに藤崎だとわかった。 「福井さん、久しぶりですね。ところで、近いうちにどこかでお会いできませんか?」  厄介なことだと思ったが、会わないわけにはいかなかった。 ◇◆◇◆◇◆◇  福井は藤崎が指定した雑居ビルの喫茶店に着いた。  サングラスで顔を隠していた藤崎は頬がこけ、まるで別人のように見えた。 「とんだひどい目に遭いましたよ。会社の上層部に例の件がバレてしまって」  藤崎は色眼鏡の奥から鋭い眼光で福井を睨み付けている。 「福井さん、汚いじゃないですか。自分だけいい子になって、しかもオレを売ったりして」 「まあ、落ち着いて話そうや」 「あんたはオレにすべて責任を擦り付け、自分だけおいしい思いをしようとしたんだな」 「何を言っているんだ。あの話は元々、君の方から吹っかけてきた話じゃないか」 「いったい、どれだけ会社からふんだくったんだ? 二億か三億か? それとも十億円以上か?」  福井は一瞬、痛いところを付かれたと思った。 「しらばくれるな。たしか替え玉受験は一蓮托生だったはずだ。あんたがカネをせしめたのならオレにも当然、分け前に預かる権利もあるはずだろう? それとも、もしかしてあんた、最初からまとまったカネが必要だったんで、あの話に乗った振りをしたんじゃないのか?」    福井は藤崎のその言葉に凍りついた。 「わかった。後日、君には改めて電話をする。その時にすべて話すよ」 「いいだろう。俺もじきに会社はクビだからな。ゆっくり考えて、いい返事を待っているよ」    福井は車窓に流れる夜景を見ながらまずいことになったと思ったが、妙案が浮かんだ。 (冷静になれ。俺と藤崎を結ぶ接点は何もないはずだ。もし接点があるとすれば替え玉受験の当事者である松本だけだ。あくまで表向きの替え玉受験の依頼主は松本なのだから)  ◇◆◇◆◇◆◇    一月二十一日午後八時、福井は藤崎を岩淵水門に呼び出した。    福井は前日、社内で松本を呼び出して今日、有給休暇を取らせた。  松本は替え玉受験以来、福井の言うことなら何でも従うから簡単だった。 「明日、佐々木専務がクライアントと内密でゴルフに行くので、埼玉県内のゴルフ場まで送迎をするように」と命じて、松本にレンタカーを借りさせた。  松本が佐々木を送り届けた後、会社近くの喫茶店で松本と落ち合った。 「帰りは自分が専務を送迎するから」と言って、松本から車のキーを受け取った。  福井は急いで会社に戻ると、課員には午後から都内で融資の件で取引先の銀行と打ち合わせがあるから言って出かけた。  福井は別に借りてあったレンタカーで、ゴルフ場まで専務を迎えに行った。 佐々木は車種が変わっていることにについて、何も聞かなかった。    福井は「専務をお送りした車は何か不具合があったようで、松本が返しに行ったそうです」と適当なことを言っておいた。    とんぼ返りで会社に戻った福井はの後、松本に借りさせた車で目的地に向かった。  バッグには見せ金の現金が入っていた。   福井は昔からこの辺には土地勘があった。  福井は車から降りて岩淵水門に向かった。  夜半は冷え込み、雪が舞い散ってきた。厳寒の新河岸川の川敷には普段は数人入るホームレスの姿さえ見えない。  藤崎が福井のいる方向にライトを向け合図を送ると、福井はゆっくりと近づいていった。    例の件は、藤崎に現金で三千万円を渡すことで既に話を付けてある。  藤崎が口を開いた。 「それじゃ、まず、例の物を見せてもらおうか?」 「その前にひとつだけ確認したいことがある。カネを渡したら、この業界では一切仕事をするな。それとオレとお前の関係もすべて終わりだ。今後、どこで会っても赤の他人だからな。それが守れるか?」 「わかったよ」  藤崎は不愛想に返事をした。   バッグを渡し、カネを確認しようと前屈みになった藤崎に対し、一瞬の隙を付いて福井はコートの中に隠してあった鈍器を取り出し後頭部を数回、思い切り殴りつけた。  藤崎は一瞬呻いたが、すぐ静かになった。  福井は藤崎のコートを素早く脱がすと、財布や携帯などを抜き取った。意識を失った藤崎を川岸まで運び、体をうつ伏せにした。  福井は藤崎が流されて下流で発見されることを願った。    もし目撃者がいたり車が発見されていても、手袋で運転しているため自分の指紋は付けていない。    仮に遺体が発見されても、犯人は別に用意してあるのだから自分の身は安泰である。福井は十分程度で車まで戻ってきた。  運転席のドアを開けキーを回し、車を急発進させた。  福井は何食わぬ顔で、血の付いた遺品を入れた黒いビニール袋を新宿の繁華街の路上のゴミ箱に捨てた。その後、犯行に使ったレンタカーをホテルの駐車場に入れた。  犯行に使った車は明日、松本に返させるつもりだ。 「専務を送った後、取引先の銀行と打ち合わせがあって、うっかりホテルの駐車場に入れっぱなしにしてしまった。すまないが君、車返しておいてくれ」と、一言付け加えることを忘れずに。  この件は、すべては松本が独断でやったことだし動機もある。  レンタカーは松本名義で借りさせた。松本は福井から脅されていて金銭トラブルのもつれから藤崎をカッとなって殺害した。そして、松本は替え玉受験の件から藤崎殺しの容疑者として自分に警察の手が及ぶのを恐れて、マンションの屋上から投身自殺をする。何もかも筋書き通りだ。  もちろん、遺書などあるわけない。  人を殺して将来を悲観して死のうとする人間に遺書なんか必要ない。    栄光アカデミーもたとえ、口が裂けても三億円を俺に支払ったことは言わないだろう。それを言えば、栄光アカデミーは破滅だ。不況で資格産業は、今後も資格を目指す人間がさらに増えるはずだ。  会社の存続を考えれば三億円など安いものだ。  藤崎の遺体が発見されたのは殺害してから一週間後だった。    福井は朝刊の小さな記事でこの事件を知った。  新聞によると目撃情報はまだなく、捜査本部は流しと怨恨の両面から捜査を始めたらしい。福井は不安を感じたが、藤崎の死体が一週間立って発見されたことは都合がよかった。    福井は自分で殺しておきながら、替え玉受験で方々から恨みを買っている藤崎なら当然の死に方だと前向きに考えるようにした。  唯一、気掛かりなのは松本が藤崎の死を知っているのかどうかである。幸い、毎日残業で多忙な松本はそれどころではなさそうだ。松本が藤崎の死を知らなないのなら安心だ。 ◇◆◇◆◇◆◇    藤崎が死んでから長い二ヶ月がたった。  福井はそれでも捜査の手がいつか自分に伸びてくるのではないか、不安でいつも内心は怯えていた。    三月二十二日、福井は松本に「大事な話があるから」と言って、言葉巧みにホテルの一室に松本を呼び出した。  最上階にあるVIPルームからは東京の美しい夜景が見渡せた。 「この前、佐々木専務と話をしていたらニューヨーク支店で優秀な若手を欲しがっているそうだ。僕はもちろん君を推薦しておいたよ。海外に行くのもキャリアになるし、君も最近、いろいろと多忙だったから数年、アメリカでビジネスの幅を広げてくればよい」  松本は替え玉受験以来、福井には頭が上がらなかった。 「それじゃ前祝いだ。まずは乾杯と行こうか!」  福井は体調が悪いからと言ってウーロン茶を飲みながら、松本にはビールを何杯も飲ませ酔わせた。ただし、次に用意されたウイスキーにはたっぷりと睡眠薬が仕組まれていた。 「ニューヨークから戻ってきたら、今度はすぐに課長代理の椅子が君を待っているぞ。もっともその前に嫁さんを探さないと行かんけどな」  松本は静かに眠りに落ちた。  福井は松本をVIP用エレベーターで地下の駐車場まで運び、助手席のリクライニングシートを倒して毛布とロープで固定した。  フロントに戻り、部屋のキーを返し、何食わぬ顔で駐車場に戻った。首都高を降りてマンションの側に静かに車を止めた。クロロホルムは用意してあったが、幸い松本は目を覚ましはしなかった。  ここのマンションの住人がすべて高齢者であることは既に調査済みである。 十時過ぎには寝床に入るのか、誰にも会うことはなかった。  福井は手袋をした後、非常階段を使って松本を屋上まで担ぎ上げた。ラグビーで体を鍛え上げた福井には、華奢な松本の体など運ぶに雑作なかった。  屋上に上がった際、遠くにライトアップされた東京スカイツリーが一瞬目に入り、やけに眩しく感じた。  しかし、福井の気持ちにもはや迷いなどなかった。    人生最後は強い者が勝つんだ。  松本のような弱者はいつも強い人間の捨石になる運命だ。  福井は松本のカバンから携帯電話を抜き取った。  その後カバンと靴を揃え、身元がすぐ判明するようにまた、人の目に付きやすい場所にさり気なく置いた。  松本は藤崎を殺害した後、犯行現場近くまで来て良心の呵責に耐え切れず、マンションの屋上から投身自殺する。    ーすべて福井が描いた筋書き通りだった。  屋上から手を放した瞬間、松本の体が風車のように闇の中をくるくると舞った気がした。  松本の体がアスファルトにぶつかる瞬間、グシャという音がした。しかし、 この程度の音なら、高齢者ばかりのマンションなら誰も気が付かないだろう。   ◇◆◇◆◇◆◇    赤羽北警察署では日新産業財務課長の福井俊郎を栄光アカデミー講師藤崎保殺害、および日新産業経営企画室係長松本茂殺害の重要参考人として逮捕状を取った。 「最後まで気は抜くなよ。福井は責任持って、布施がしょっ引いて来い。しっかり頼んだぞ!」  倉石の口から倉石が嫌いな「責任」と言う言葉が出てきたので、布施は一瞬苦笑いをした。    布施は日新産業経理部に入ると、真っ直ぐに福井のデスクに向かった。 「早々ですが福井さんに逮捕状が出ています。署までご同行願えませんか?」  福井は一瞬怪訝そうな表情を見せたが、素直に従った。  取調室で倉石が尋問に当たった。 「三月二十二日の夜、あなたはクライアントの接待と称して新宿のホテルを利用していますね。その時、じつは松本さんと一緒だったんじゃありませんか?」  福井が問い掛けには無言だったので、今度は布施がカマを掛けた。 「でも福井さん、ホテルのVIP用のエレベーターに松本さんを抱えながら乗ってきたあなたの姿、しっかり監視カメラにも映っていましたよ」  福井はその瞬間、小刻みに震え出した。 「藤崎さん殺害、松本さんの自殺に見せ掛けた犯行、一連の替え玉受験の件についてはすでに調べが付いています。米倉さんも、あなたに三億円を支払ったことをすべて認めました。もう言い逃れはもう出来ません。すべて正直にお話していただけませんか?」  福井は観念したのか、すべてを話し始めた。 「入社以来、私は常に会社で先頭を走ってきました。成果や実績を挙げても翌年はさらにシビアな数字を求められました。ある日、佐々木専務から裏金作りを命令された私は、危険な株や相場、先物取引などにのめり込んでいきました。しかし、財務課長の私は会社のカネを操作するのはそれほど難しくありませんでした。決算期には帳尻さえ合わせておけば簡単に誤魔化すことができました。ところが借金が十億円規模に膨らんだ時に、もうこれ以上は無理だと思いました。そんな時に出会ったのが藤崎でした。藤崎は私を言葉巧みに誘い、替え玉受験の話を持ち掛けてきました。しかし、替え玉受験で得る金など端カネでした。私はもっと多額の金、十億円の金を必要でした。だから、藤崎の替え玉受験を逆手に取って栄光アカデミーを脅して金を取ることを画策しました」  布施には福井が次第に、憐れな人間に見えてきた。 「しかし、藤崎はそれに気づいたことは想定外でした。藤崎は逆に私を脅して掛けてきたのです。藤崎が嗅ぎまわればおそらく、遠からず私の不正な経理処理がバレてしまいます。そこで藤崎を殺し、松本を犯人にでっち上げることを思い付きました。いずれ警察から藤崎殺しの容疑が松本に掛かると思ったので、その前に松本を始末しようと考えました。私は藤崎を殺しましたが、私と藤崎の関係を疑う人間はいないと踏んでいました。松本は普段から私に恩義を感じはいたので私の言うことは何でも聞きました。彼をホテルに呼び出し、ウイスキーを飲ませた上、事前に調べてあったマンションに運び、非常階段で屋上まで運び彼を突き落とし、自殺に見せ掛けました」  福井の一連の自供が終わると布施がゆっくりと話し始めた。 「福井さん、真面目な性格の松本さんが殺されたことは気の毒なことでした。しかし、鑑識で検死の結果、後日松本さんの遺体から睡眠薬が検出されました。これから飛び降り自殺をするという人間は絶対に睡眠薬なんか使いませんよ。また、藤崎さんと松本さんの死体発見現場が異常に近すぎることは当初から不自然に感じていました。我々は自殺でなく他殺の線をすでに探っていました。あなたが藤崎さんと松本さんを無理やり関連付けようとしたことが却って仇となりました。仮に松本さんが藤崎さん殺害の新犯人だったとしてもわざわざ犯行現場の近くに行って、そこで自殺するようなバカな真似はしませんよ」    布施はさらに話を続けた。 「携帯電話会社で藤崎さんの通話履歴を調べたところ、あなたの携帯の番号が何度も残っていましたよ。それから松本さんの死後、マンションの机の引き出しから松本さんの日記が見つかりました。几帳面な松本さんは日頃から日記を付ける習慣があったのです。そこに、あなたのことが丹念に綴られていましたよ」 「六月七日。福井が不正な決算処理をしている。俺は昔から気が付いていた。しかし、誰に相談したらよいものかわからない」 「八月七日。中小企業診断士の一次試験が終わった。藤崎は俺の代わりに札幌で受験したはずだ。西嶋はどうしているだろうか?」 「九月二十日。一次試験合格の通知が届く。当たり前だが、まったく嬉しくない。西嶋は合格しただろうか?」 「十月十日。二次試験。俺はとうとう福井に唆され、出世と引き換えに替え玉受験をしてしまった。自分自身の弱さを恥じている。しかし、会社に居続けるためにはこうするしかなかった。福井は自分の不正を隠蔽するために俺に替え玉受験を持ちかけてきたのだろう。しかし、もう引き返せない、取り返しの付かない段階まできてしまった。替え玉受験をしたことで、俺と福井はもう一蓮托生だ。会社にいる限り、福井の命令には従うしかない」   「日記はまだありますが、松本さんは表面はであなたに従っていたように見えたでしょうが、最初からあなたのことなど信じてはいなかったのです。松本さんはあなたがやっていた粉飾決算もとっくに見抜いていたのです」    福井は布施の話を聞きながら、視線は遠くを彷徨っているようだった。 ◇◆エピローグ◇◆  四月を迎えいつの間にか、桜が見頃の季節になっていた。  倉石と布施は荒川沿いの岩淵関緑地を歩いていた。気温が上がり、午後からはさらに暖かくなりそうだ。  時折、遠くから春風に乗って子供たちの歓声が聞こえてくる。    布施が口を開いた。 「倉さん、今回の事件、自分には何か、切なさだけが残りましたよ。福井のようなエリートでも一度、道を外してしまえば簡単に犯罪に手を染めてしまう。福井は極刑を免れないかもしれませんが、替え玉受験や裏金づくりについては情状酌量の余地もあると思います。検察側は裏金作りについて、上層部を中心に取り調べを続ける方針らしいですが、上手くいってないらしいです。佐々木は裏金作りの件は全面否定しているそうですから検察は、もうお手上げみたいですよ。会社としては役員から逮捕者でも出せば屋台骨を大きく強請られるから、きっと最後は福井一人に責任をすべて擦り付けるつもりなんでしょう」 「会社なんて冷たいから、いざという時は絶対守ってくれないんもんだよ。まるでトカゲの尻尾切りみたいなもんさ」 「平成の今もけっして生きやすい時代ではないんですね。きっと、福井も会社の犠牲者だったのかもしれませんね」  布施がそう言った時、空ではそれに答えるかのようにトンビがピーヒョロロと鳴いた。(了)
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