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1LDK、27平米、築30年。
少し古いが、広い賃貸物件だ。
二人で住むにはちょうどいい。
彼が……奥村勝己が、一人暮らしにもかかわらず、少し広めの部屋を借りていたのは、この状況には幸いだった。
「お邪魔します」
彼女は……鶴見忍はそう言って、玄関先でにっこりと笑った。
右手には、旅行用の大きなスーツケースを持ってきている。
「あ、違った……今日からは“ただいま”……だね」
忍は頬を赤らめ、少し目をそらしながら、照れている。
だが、とても嬉しそうな、本当に幸せそうな笑顔であった。
「なんで……」
そんな忍を前に、勝己は呆然と立ち尽くしていた。
彼女とは対照的に、顔を真っ青にして、恐ろしい怪物を見るような目で彼女を見ている。
「なんで……なんで、この場所がわかったんだよ!?」
恐怖を抑えきることができず、勝己はそう叫んだ。
「なんでって……先週のデートで勝己くん言ったじゃない? 『一緒に住もう』って……」
尋常ではない勝己の様子を一切気にかけることなく、忍は笑顔のままだった。
「あれは……君が『一緒に住みたい』って言うから……」
「私たちもう何回もデートしたでしょ。そろそろ次のステップに移ってもいい時期じゃない」
「いや、何言ってんだよ!? たとえ何回デートしようが、俺達の間に次のステップなんてあるわけないだろ!?」
勝己のその言葉に、とうとう忍の笑顔が崩れる。
「なんでそんな冷たいこと言うの?」
忍は靴を脱ぎ、床に上がって、勝己に詰め寄る。
「あなたは私の“彼氏”なのに……あんなに何度もデートしたのに……」
そう呟きながら、忍は愛おしそうに右手で勝己の頬に触れようする。
が、勝己は慌ててその手を払いのける。
「違う、違う、違う、違う、違う!! 俺は、君の彼氏じゃなくて、“レンタル彼氏”だろうが!!」
勝己の言葉に、忍は眉一つ動かさない。
「確かに俺は何度も君とデートに行ったよ!! だが、それは君が俺をレンタル彼氏として借りたからだ!! 確かに俺は『一緒に住もう』って言ったよ!! だが、それはレンタルされた時間の中で彼氏としての役割を演じただけだ!!」
忍はピクリとも反応しない。
勝己はさらにまくしたてる。
「なのに、君はレンタルの時間外まで俺につきまとうようになった!! いいかい!? 君と僕はレンタルを通して知り合っただけの赤の他人だ!! 君の行動は完全に一線を越えてしまっている!! いい大人なんだから、現実と虚構の区別ぐらいつけてくれよ!!」
そこまで一息に言い切って、勝己ははぁはぁと息が切れている。
数十秒の沈黙のあと、忍が悲しそうな顔で口を開いた。
「わかってるわよ……私と勝己が赤の他人だってことくらい……勝己が私に借りられてただけだってことくらい……」
忍はゆっくりと踵を返して、土間に置かれたままのスーツケースに手を伸ばした。
床に平置きして、スーツケースを開ける。
「だから……」
中身が露わになり、勝己はその場で腰を抜かした。
スーツケースの中には、縄、手錠、注射器、謎の薬品類など、得体のしれない物品が無数に入っていた。
忍はその中から、手に収まるくらいの長方形の黒い機械を取り出した。
その機械を勝己の方に向け、スイッチを入れると、先端からバチバチと光がほとばしった。
テレビなどでしか見たことはないが、勝己はそれがスタンガンであることを瞬時に理解した。
「だから……勝己を、一生レンタルすることにしたの……」
忍はにっこりと笑った。
最初、部屋に入ってきたときと同じ、とても嬉しそうな、本当に幸せそうな笑みであった。
「やめろ……やめてくれ……」
勝己は腰をぬかしたまま、ずりずりと後退っていく。
「大丈夫。何の心配もいらないよ。勝己はこれから何もしなくていい。私が外で働いて、二人分の生活費を稼いでくるから。勝己はこの部屋でずっと待っていてくれればいい。これから毎日、仕事から帰ってきた私はこう言うの……“ただいま”って!!」
忍はスタンガンの先端を勝己に向けて振り下ろす。
と、そこで、「ぴろりろり〜」と間の抜けた電子音が鳴り響いた。
忍はスタンガンを持っているのと反対の手で、懐から携帯を取り出した。
画面を見た瞬間、忍の表情ががらりと変わり、思いがけない声が発せられる。
「はい、ちょうどお時間となりました〜!!」
「うおぉぉぉーっ!! すっげーこわかったーっ!!」
忍はそれまでとは違う営業スマイルになり、勝己はホラー映画を見たあとのような安堵と満足感の入り混じったような表情になっている。
「いやー、鶴見さん、今回はかなり変わったシチュエーションでしたけど、すっごい良かったっすよー!!」
「ご満足頂き幸いです。では、お支払いのほうですが、指名料、出張料込みで、9000円になります」
「あ、はい、では、9000円っと。いや、ほんっとうにサイコーでした!! また、次回も鶴見さん指名しちゃおうかなー」
「ぜひ、お願い致します」
料金の授受が終わり、広げてていたスーツケースを畳んで、鶴見忍は玄関先で頭を下げた。
「この度は“レンタルストーカー”のご利用誠にありがとうございました」
レンタル 完
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