折村 拓

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折村 拓

 眠れない。    大学の夏休み、実家に帰省した俺は今、隣町の病院にいる。    地元の友人たちと五人で花火をしようと、ここ隣町にある、花火が許可されている公園を目指している途中、俺たちの乗った車は飛び出してきた狸に驚いて急停止した。  幸い、狸も含め皆に怪我は無かった。後部座席の真ん中でシートベルトもせず、運転席と助手席の間から身を乗り出していた俺以外は。  頭をぶつけた俺は一時気を失い、友人たちが救急車を呼んでくれた。大事には至らなかったが、念のため一晩入院となったのだ。    出入り口の正面に窓がある四人部屋に案内された時、すでに消灯時間は過ぎ、部屋は真っ暗だった。  部屋には入り口から見て左右の壁に、ベッドが頭をつけて二台ずつ並んでいて、俺は部屋の右側の、窓側のベッドで横になっている。    眠れそうにない。    喉も渇いたし、気分転換に自販機でも探しに行こうと思い立つ。  左側の廊下側のベッドだけカーテンが閉められていたことを思い出す。中で寝ている人を起こすと悪いので、音を立てないように、俺は自分のベッドのカーテンを開けず、下を潜って窓側に出た。    窓側の棚に置いていた財布を手に取り、部屋の出入り口に向かおうと体の向きを変えると、そこに人が立っていた。 「うわっ」  思わず声が出た。俺のベッドの足元付近で、パジャマ姿のじいさんが窓に張り付いて外を見ている。  出入り口扉の窓から漏れる薄明かりにぼんやりと照らされて、非常に不気味だ。 「こ、こんばんはぁ……」  俺は悲鳴を誤魔化すように挨拶をしながら、じいさんの横をすり抜けた。じいさんは俺には目もくれず外を見ている。  閉まっていた廊下側のベッドのカーテンが開いていて、布団にも抜け出した形跡がある。  カーテンを開けた音も足音も、全く気がつかなかった。  ちらりとじいさんを振り返る。すると、じいさんもこちらを見ていた。 「……!」 「……が……でる」  驚いて固まる俺に向かって、じいさんが何か言っている。  暗くて表情は見えない。 「え……何すか?」  俺はじいさんに聞き返す。 「山が呼んでる」  じいさんは俺の方を向いたまま、窓の向こうを指差してそう言ったかと思うと、ゆっくりと前傾し、倒れた。 「あっ……じいさん!」  じいさんは意識が無く、俺はナースコールを押した。  すぐに看護師が駆けつけ、俺は自分のベッドに戻るよう言われた。看護師の持つ懐中電灯に照らされた、じいさんのナス柄のパジャマが目に焼き付いた。    しばらく、慌ただしい声や音が聞こえていたが、そのうちじいさんは部屋から運び出されて行った。  俺は、目の前で人が倒れたことがショックで布団の中で固まっていたが、いつの間にか眠ってしまった。  朝目覚めると、じいさんのベッドはきれいに片付けられていて、昨夜のことが夢のように感じられた。 『山が呼んでる』  退院の準備を終え部屋から出る前に、じいさんの言葉を思い出して窓の外を見てみた。  真下には狭い駐車場があり、目を引く真っ赤なスポーツカーが停めてある。  ドラマなんかで軟派な医者が乗っていそうな車だ。  駐車場の向こうには民家やアパートなども見える。田舎なので高い建物はほとんど無い。  山は、正面に見えた。暗く濃い緑が霞んでいる。  その山は、丸く突き出した部分が四つ、背の順に並んでいる。右が一番高く、左が一番低い。    何だか、子供が書いた絵の山みたいだ。山形食パンとかクリームパンが連想される。  いや、チョココロネを横から……。  部屋を出る時には、パンが食べたくなっていた。  一階の窓口で精算を終え、親に連絡を入れると、車で迎えに来てくれると言う。迎えを待つ間にパンを買おうと、病院内の売店へ向かう途中、通路の窓から真っ赤なスポーツカーが見えた。先ほど、四階の病室から見たものだ。いくつか見覚えのある建物も見える。  病室と同じ向きの窓だ。  しかし山が見当たらない。 「あれ? 見えねぇな。何に遮られてるんだ?」   「山なら、病室からしか見えないぞ」  首を傾げていると、通りすがりのおっさんに声をかけられた。 「そうなんすか? よく俺が山探してるってわかったっすね」 「わかるよ。噂聞いて見に来たんだろ」 「噂?」 「ナキ山の噂だよ」 「ナキ山? 俺、昨日入院してた部屋から見た山を探してただけなんすけど……」 「……入院してた部屋って北側なのか?」 「この窓と同じ向きに窓がある部屋っすね」    俺がそう言うと、おっさんの顔が険しくなった。 「ナキ山の噂って何すか?」 「……この病院の、北側の病室の窓から山を見ると、山に呼ばれるっていう……まぁ、怪談話だよ」 「山に呼ばれる?」 『山が呼んでる』 「ナキ山の由来は、人が泣くの泣き山だとか、動物が鳴くの鳴き山だって言われてるから、何かしら声が聞こえるんだろう。名も無き山とか、人が亡くなるの亡き山って説もあるけど……」 「え……亡くなる?」 「山に呼ばれると死ぬって言われてるんだよ。この辺では有名な噂なんだ」 「……」   「山が呼んでる」と言って倒れたじいさん。  きれいに片付けられたベッド。 「……あんた、山を見たの?」 「……見たっすね。特に変な声とかは聞いてないっすけど……」 「……今後ここへの入院は避けた方がいいと思うよ」 「退院おめでとう」と言って、おっさんは去って行った。  俺は、窓の外に目を向けないよう注意してその場を離れ、すぐに病院を出た。
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