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男は口を閉ざしたままだ。俺は自分が誰なのか考えている。外の雨音が大きく聞こえる。
「どちらまで行くんですか」
俺は男に尋ねる。男と話をすれば、男が何者か、俺が誰なのか、それを知るヒントが得られるのではないか、と考えたのだ。
「M山荘だ」
「そうですか。私はP小屋です」
そう言った後で、俺は少しばかり驚いた。すっかり忘れていたが、P小屋に行くという記憶が蘇ったのだ。このまま男と話を続ければもっと記憶が戻ってくるかも知れない。話を続けよう。
「途中まで同じ道です。一緒に行きましょう」
俺の頭にまた地図が浮かんだ。
男は連れができて喜ぶどころか、逆に嫌そうな顔をした。一緒には行きたくないようだ。かといって、あからさまに拒否もしない。勝手にしろ、ということなのだろう。
「どちらから来られました? 県外ですか。私は県内ですよ。F市です」
俺の口からF市という地名が出た。俺はF市の住民だったのか。また記憶が蘇った。いいぞ、この調子だ。
F市と言えば、先日F市で大きな事件があったのを思い出した。市内の資産家の家に二人組の強盗が入り、現金と宝石が奪われたのだ。一人は警察の検問にかかって捕まったが、もう一人は逃亡中ということだ。
強盗犯……そうか、目の前にいる男は、防犯カメラに映っていた人物だ。見たことがあると思ったが、男は逃亡中の強盗犯だったのだ。M山荘の先にある峰を越えて、警備の手薄な隣の県へ逃亡するつもりなんだろう。
俺がそんなことを考えていると、男は急に立ち上がった。そして、リュックサックを背負い、小屋の出口へと向かった。
窓の外に目を遣れば、いつの間にか雨は止んでいる。俺は慌ててリュックサックを背負った。
避難小屋を出て男の背中を見たとき、突然自分のことを思い出した。俺の名前は御手洗悠。警察官だ。
俺は男に追いついくと、数歩遅れて歩いて行った。
M山荘とP小屋の分かれ道までに決着をつけよう……。
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