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僕が初めて彼女に出会ったのは、大学生の時。
ちょうど、僕が山で道に迷い、半ば遭難している真っ最中のことだった。
僕の地元には、日本百名山にも数えられている、標高約2000メートルの山がある。百名山といっても、登山道が整備されており、どちらかといえば、初心者向けとして紹介されることが多い山だ。
それなのに、僕と来たら、どこかで道を間違えてしまったらしい。周囲は重なり合うように分厚く茂った松林が日光を遮り、昼間のはずなのに、やけに暗い。
周囲はしんと静まり返っており、何の気配も感じられなかった。耳に入ってくるのは、風に揺られて木が擦れ合う、ガサガサという騒めきだけ。そして、むせかえるような森林の匂い。
「やばい、目がかすんできた」
脱水だろうか。とっくの昔に水筒は空になっていた。僕は思わず近くの岩陰に座り込む。安静にしていれば、脱水は良くなると、何かで見た気がする。たぶんそうだ。そう信じよう。
座ったまま俯いてそっと呼吸していると、目の前が次第に暗くなってくる。自分の息遣い以外には、何も聞こえない。
そのまま、岩にもたれかかって目を閉じていると……自分が今ここにいることは誰にも知られないまま、朽ち果ててしまうような、そんな気がした。
思わず、不安で、涙が出そうになる。
『泣いてるの?』
そのとき。いきなり目の前に、誰かの顔がひょっこり出てきたので、僕はちょっとのけ反った。こちらをまじまじと覗き込んでいるのは、小学校低学年くらいの、小さな女の子だった。髪は灰色で、目の色は金色のような青色のような、なんとも不思議な色だった。……幻覚かもしれない。
それでも、思わず口にする。
「水……」
『お水が欲しい?』
彼女は、どこかエコーが掛かったような不思議な声でそう言い、少し考え込むような気配があった。
そして、僕のそばに置いてある荷物をごそごそと探り始め、水筒を手にした。とっくの昔に空っぽなのに、未練がましく見えるところにぶら下げておいたそれ。
『はい、お水』
そのまま飲ませてもらった。比喩じゃなく、これまで飲んだ中で一番冷たくて美味しい水だった。その瞬間、一抹の疑問が頭をよぎる。
……水? どこから……?
それからしばらく休んでいると、体調も次第に回復してきた。僕はあらためて、そばでこちらを覗き込む彼女に頭を下げる。
「ありがとう、助かったよ」
『迷子なの?』
うっ、と詰まった僕を見て、彼女は答えを察したらしい。一転して、可哀そうなものを見る目でこちらを見てきた。
『大人なのに迷ったんだ……』
「迷うのに年齢は関係ないと思う」
『かっこよく言わないで。……もう、しょうがないなぁ』
頂上はすぐそこだよ、と言って、迷いのない足取りで彼女はひょいひょいと歩き出す。そしてその言葉通り、15分ほど林を歩くと、あっという間に登山道が姿を現した。そのあっさり具合に、思わず肩から力が抜ける。
「ところで君は……あれ?」
振り向くと、彼女の姿は、もうどこにもなかった。
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