1・満天の星

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○  勇飛さんはぼくの肘を掴む手を離すと、「りく、少し痩せたんじゃないか?」ともう一度繰り返した。聞きましたよ、それ。  ぼくはアイスを最後まで吸うと、空いた容器をテーブルに乗せて、しっかりと勇飛さんの目を見つめた。 「そうなんです、痩せたんですよ勇飛さん。夏バテで食欲が無くて」 「……おれがなかなか仕事から帰ってこないから、食べるのをサボってるんじゃないのか?」 「まあ、だって、一人で食べるのもダルいですし」 「レンチンで作れる料理の下ごしらえをして仕事に行くから、おれがいなくてもちゃんと食え。……おまえも、喫茶店の店員なんだろ? そういえば、パスタが得意料理だったんじゃないのか?」 「毎日まかないで食べて飽きてるんです」 「困ったヤツだ」  勇飛さんは本当に困った顔をしている。もう一度、ぼくの肘を掴んだ。 「こんなに骨が浮いて、よくない」 「前からこうでしたよ?」 「そうだったか?」 「勇飛さんは、ぼくの裸、風呂上がりや着替えのとき以外には見ないですもんね」  狼のような顔を覗きこむと、勇飛さんはそろっと視線を外した。 「……特に、おまえの家のご両親には、子どもを期待されてるのにな」 「セックスレスっていうか、ぼくたちにそもそもセックスするつもりがないってこと、父さんも母さんも知りませんから」  そうなのだ。ぼくと勇飛さんは夫婦だが、そういう営みは付き合っているときから今に至るまで、皆無だ。  勇飛さんは初夜にぼくの首筋を噛んでくれて、それでぼくはヒート(発情期)とは無縁の体になった(オメガは番に首筋を噛まれると、フェロモン腺が変質し、ヒートを起こさなくなる)。  そして、初夜と言っても、それは本当に「結婚して初めての夜」というだけのこと。「結婚して初めてセックスする夜」を意味しない。  初夜、ぼくと勇飛さんは石狩鍋をいっしょに作って食べて、『二○○一年宇宙の旅』をいっしょに観て(ぼくも勇飛さんも、スタンリー・キューブリックが好きなのだ)、順番にお風呂に入って、別々の部屋で、それぞれ違うベッドで眠った。  思うに、ぼくが「ヒート(発情期)疲れ」を起こしているのが、レスの原因だ。勇飛さんと付き合う前、ぼくには三人のセフレがいて、ヒートが来ると順番に体の関係を結んでいた。なぜセフレが三人もいたかというと、一人しかいなかったら、もし万が一にもその一人に情が移ってしまうのが(ぼくは)嫌だったからだ。  ヒートを軽くするために使う、「抑制薬」もあるにはある。ただ、ぼくにはあまり効かなくて、それもあって苦労した。  そんな生活を五年続けたぼくは、五か月前の四月に勇飛さんと出会い、付き合うようになって、ぼくはそういうただれ切った(――と言っても、三人には感謝している。ぼくのいちばん苦しい時期を支えてくれたのは、この三人だ)関係をすっぱり清算した。  ……そう、ヒートが終わり、次のヒートが始まるまでに、およそ三か月ある。  その三か月の間に、ぼくは勇飛さんとお付き合いしそして結婚、さらには首筋を噛んでもらって、ヒートとは無縁になったのだ。  ということで、「ヒート疲れ(ヒートに翻弄されて心身共に疲労が蓄積している、オメガによくある二次障害)」を起こしていたぼくは、もうセックスしなくてもいい、ということになると、勇飛さんともしたいとは思えなくなってしまった。  というか、「思えなくなってしまった」というか、最初から「したいと思ったことはなかった」んだけど。なんというか、そういう人っていると思う。大好きで、信頼していて、敬愛していて、見た目も悪くないなあと思うんだけど、積極的にセックスしたいとは思わない人。勇飛さんがまさにそれだ。って、旦那さんなんだけど。  この感情はぼくの「ヒート疲れ」から来るもので、それが癒えれば、セックスしたいと思うようになるのかもしれない。はっきりとはわからないんだけど。  実のところ、ぼくは勇飛さんに恋愛感情を抱いているのかさえ、よくわかっていない。
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