*十二

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*十二

 告げられた言葉をすぐに呑み込めず、振り返って僕は千弥の目を見つめたまま呆然としていた。振り絞るように伝えた想いを、まさか相手も同じように(いだ)いていて返してもらえるなんて思っていなかったからだ。  ふつふつと心の底から喜びが湧いてくるのを感じる。愛しいと思っている人から同じ言葉を返されるだけでこんなに嬉しい気持ちになるなんて思ってもいなかった。  嬉しい、ありがとう、愛している――そう告げたいけれど、僕らがお互いを同じ気持ちで想い合っているということは、僕に悲しい現実と苦しい選択を迫られることにもなる。――僕が彼の血を吸って彼を同族にするか、否か。それか最悪、命を奪ってしまうか。  嬉しくも悲しい現状に彼と同じ言葉を返していいのかためらっている僕の前で、千弥はTシャツの襟首を引いて首筋を差し出してくる。 「ほら、零」 「え?」 「欲しいんでしょ、血。いまなら誰も見てないから、好きなだけ吸いなよ」  まるでジュースを回し飲みする時のような気軽さで吸血をしろと言ってくる千弥の態度に、僕の方が戸惑いを覚える。命にかかわることなのに、そんな軽い気持ちで吸血させていいものではないはずだからだ。  吸血をする相手によって、体格や健康状態しだいでは一度の吸血で吸血鬼にならずに何度でも吸血されることもあるし、もしくはそのまま死んでしまうこともあるというのだけれど、それが必ずとは言えないから、僕は西田を殺してしまったのだと言える。  だからもし、いまここで千弥の好意に甘えて彼を吸血したら……もしかしたら彼を吸血鬼してしまうかもしれないし、逆に殺してしまうかもしれない。  僕が拙い言葉でそう説明してみたのだけれど、千弥は引き下がるような感じではない。 「俺は別に吸血鬼になっても構わないよ、零。だってずっと欲しかったんでしょ? 零のためになるなら、俺は命だって惜しくない」 「ダメだよ! 僕は、千弥を吸血鬼になんてしたくない。千弥をもう僕のことに巻き込んで悲しませたくないし、殺したくもないんだ」 「俺なら平気。大丈夫だよ」  千弥は意に介さない様子でにこやかにそんなことを口にする。  いつも千弥からは受け止めるのもためらうほどの大きなやさしさという愛情を差し出されるけれど、今回ばかりはそれを喜んで受け取れない。この前彼に襲い掛かった時点でそんな資格はないからだ。  僕はゆるゆると首を横に振り、振り絞るような想いでこう告げる。 「僕は千弥に死んでほしくないし、吸血鬼にもしたくない。だからもう、僕に関わらないで」  もうこれ以上僕の人生に千弥を巻き込んではいけない。確かに僕は彼がいないとツラくて悲しくて仕方ないけれど、だからと言ってこれ以上彼の人生を犠牲にしてまで僕が生きていいとは思えない。  僕は吸血鬼という化け物で、千弥は心やさしい人間だ。関わりあってはいけない者同士が出会ってしまったから、たくさんに人たちを無駄に巻き込んで傷つけてしまったのだろう。井口たちがいい例だ。  もうこれ以上誰かを傷つけたりも巻込んだりもしてはいけない。このままでいたらきっとこれ以上サンハウスのみんなを巻き込むような本当に取り返しのつかないことになる。  そんな思いを込めて抱きしめてくれている千弥の腕をほどいてできる限り僕は明るく笑って見せたつもりだったけれど、出来ていたかはわからない。 「そんなこと言わないで、零。大丈夫、どうなっても俺がきっと守るから」  ほどかれた手を握り返してそちらに引き寄せようとしながら千弥は言うのだけれど、やさしく言われれば言われるほど、僕は胸の痛みが激しくなって腕の傷が疼いてしまう。自分を傷つけたくてたまらなくなる。 「無理だよそんなの。僕は、化け物で人殺しだもの」  自嘲して吐いた僕の言葉に千弥の表情が歪み、頬を涙が伝っていく。伝う雫に滲む感情は痛いほどわかるけれど、もう僕は許されないんだ。  握られた手の力が強くなって一層僕を引き寄せようとしているけれど、僕はそれをそっとほどき、涙に濡れる頬にキスをする。少ししょっぱい、千弥の肌の味。 「……零」  千弥はキスをされると一層苦し気に顔を歪めて涙を零したけれど、僕はそれを拭うこともなく、「……ごめん」とだけ呟く。  涙を拭いながら千弥は違うと言うように子どもみたいに首を振っていたけれど、それが僕の言葉の否定なのか、彼の言葉の否定なのかはわからなかった。  最後は笑って終わりたかったから、僕は精一杯の笑顔を作って千弥の身体をそっと突き放す。呆然としている千弥は、「零……?」と、うわ言のように僕を呼ぶ。  ゆっくり後ろに下がりながら窓に手をかけて開くと、秋の始まりの夜風がそっと泣き腫らした頬を撫でていく。月が明るくて、僕らを煌々と照らしている。 「バイバイ、千弥。ずっと、ありがと」  それだけを呟いて僕は窓枠に足をかけてはい上がり、振り返ることなく二階の窓から飛び降りた。 「零!!」 千弥の悲鳴じみた声が聞こえたけれど、地面に降り立った僕はそのまま止まることもなくに夜の中を駆けて行った。  月の明かりが暗い闇を照らしてくれる中、僕は自ら愛しい人を手放すことを選んだ。  思ったよりも冷たい夜風が泣き腫らした頬を撫でて心地よくて、僕は夜空を見上げる。藍色の空には金色の満月が浮かんで輝いている。月のやわらかい明かりは千弥が僕を慰めてくれる時に見せていた微笑みに似ていた。  だからなのか、サンハウスを出てひとり夜道を歩きだすとはらはらと涙があふれて止まらなかった。拭ってもあふれる涙は熱くて、まだ僕が生きていて千弥を求めていることを知らせる。 「ずっと千弥が好きだったんだな、僕……」  彼に似た月を見上げながら呟いた別れの言葉はさらさらと月明かりに溶けていき、誰に届くこともないだろう。  でもそれでいい。もう逢うこともないだろうし、化け物な僕のことなんて忘れて誰かほかの人としあわせになって欲しい。  それでいい……そう、思って心に決めて出てきたはずなのに、涙は止まる気配がなく流れていく。  僕は自分が嫌いだけれど、千弥といる時だけはほんの少しだけ愛しいと思えることもあったんだ。赤黒い眼も、白い肌も、真っ黒な長い髪も、吸血鬼であることも。こんな僕でも彼は丁寧にやさしくしてくれたから、まるで自分にもそうされる資格があるような気がしていたのかもしれない。  でもそれは間違いだった。僕はどんなに人間の暮らしに溶け込もうとしても、愛しいと思う相手のものであればなおさら血を欲してしまうし、求めてしまう。  たとえ相手からも愛されていたとしても、僕がその命が尽きて化け物に変えてしまうまで相手である彼の血を欲してしまう可能性がある以上、一緒にいてはいけない。  だって僕には人の命を脅かす化け物である吸血鬼の血が流れているから。  その上僕は、知らなかったとは言え、ずっと千弥に犯罪まがいなことをさせてしまっている。僕を守ることを口実に、千弥は手を汚してきたのだ。そんなことをもうこれ以上させてはいけない。  もし本音を言えるならば、千弥とずっと一緒にいたかった。ふたり穏やかに暮らしたかった。僕が吸血鬼でなかったらそれは可能だったかもしれないけれど……でも正体を明かしてしまった以上無理なことはわかっている。  せめて千弥が僕のことを拒んでくれたら、いっそ憎んでくれたらよかったのに。そうだったら、こんなに悲しくはならないのに。血を吸わせてくれると差し出されてしまったら、その身体に牙を立ててしまいそうになるほどに本能から彼が好きだから。  どこまでも残酷にやさしい千弥の愛情の重さを感じながら、僕はひとり眠らない繁華街を歩いて行く。  酒に酔ったおかしな大人たちが練り歩く夜のものすごく明るい通りを歩きながら、僕は涙の痕の残る頬を拭ってひとつ息を吐いた。誰一人僕を見ていない。僕が吸血鬼の血をひく化け物であっても、クラスメイトを殺した殺人者であってもどうでもいいように。  そんな無関心さに安堵さえ覚えながら、僕は一軒のネットカフェに入った。
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