*一

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(れい)~、起きてー! 学校遅れるよー!」 「んー、休む……」 「ダメだよ、もう今週三回目でしょう? あんまり休むと単位もらえなくなっちゃうよ!」 「……うるさいなぁ、お節介のチビ」  僕が渋々起き上がりながら悪態をつくと、そのチビにたたき起こされているのは誰よ、と言いたげに僕の布団をはぎ取って揺さぶるツインテールの少女が頬を膨らませている。 「唯菜(ゆな)はいつから僕の高校のシステムを把握してるんだよ」 「零がしょっちゅう休んでるから覚えちゃったんだもん。イヤだったらちゃんと自分で起きて」  もっともな言い分にため息交じりでベッドから出ると、「唯菜、零は起きたかな?」と、エプロン姿の背の高い明るい茶髪のショートマッシュヘアの若い男が部屋を覗く。 「いま起きたとこだよ、(せん)ちゃん。零ったら隙あらば休もうとするんだもの」  早速唯菜が千弥に密告したので忌々しい気分でにらみつけたけれど、彼女はちっとも気にしていない。  唯菜からの密告に千弥は困ったように笑い、そして僕の寝癖だらけの頭を撫でてこう言う。 「朝が苦手なのはわかるけど、ちゃんと時間通りに起きてみんなで朝ごはん食べるのがサンハウスの決まりだからね、零」 「……わかってるよ、千弥」  小五の唯菜よりも小さな子どもに言い聞かせるような千弥の言葉に僕が軽くムッとして返事をすると、千弥はもう一度僕の頭を撫で、「いい子だね、零」と微笑む。  サンハウスとはK県の郊外にある私設の児童福祉施設で、様々な事情により親元で暮らせない子ども達が共同生活をしている。預けられている子どもは僕・川上零(かわかみれい)や唯菜を含めて三歳児から高校生まで総勢十八名。  千弥は元々小さい頃に事故で家族を亡くしてから施設で暮らしていた子どもの一人で、いまは職員として働いている。本当は城野(じょうの)先生と呼ばなくてはなんだけれど、みんな馴染みのある「千弥」とか「千ちゃん」とかで呼んでしまう。  朝の七時に起床して、身支度を整えて二階にある個室から一階の食堂に行ってみんなで朝食を取るのがここの決まりだ。  今日の朝食はトーストにトマトサラダ、ハムとスクランブルエッグ、そしてコンソメスープが並ぶ。 「それでは皆さん揃いましたね。いただきましょう」 「いただきまーす」  サンハウスの園長の一声で朝食が賑やかに始まる。基本、自分のことは自分でやり、三歳ほどの小さな子は先生か年長の子どもが世話をする。  三歳の朝陽(あさひ)は幼いせいか気に入らないことがあると癇癪をすぐ起こす。僕が子どもの中で最年長の十八歳なので世話をすることが多いのだけれど、なかなかに手強い。 「やぁだ! いらない!」 「朝陽、ほら、たまご美味しいよ」 「や! あっち行け!」  フォークを手に振り回す朝陽の暴れぶりに手こずっていると、フォークが皿に当たってひっくり返してしまった。載っていた卵やパンが飛び散り、皿まで床に落ちて欠けた。  施設では丈夫な食器を使ってはいるのだけれど、長いこと使っていると子ども達の乱暴さに耐えかねてこうして壊れてしまうことがある。 「あー、もう、朝陽! あぶないじゃん!」 「いーだ!」  皿の残骸を拾おうとしていたら千弥が慌てて飛んできて僕を制す。「俺が片付けるからいいよ」と言いながら飛び散ったカケラを集め始める。  僕なんかが扱うより手際がいいかもしれないな……と思って任せようとしていたら、「いてッ」と、千弥が小さく声をあげた。  思わず顔をあげると皿のカケラを拾おうとしたらしい千弥の指先からぷっくりと赤い雫が滲んでいる。 「あ……」  赤い雫を目にした瞬間、僕は心臓が早鐘のように胸をたたき始め、つやつやと美しく赤い果物の実のようなそれを口いっぱいに含みたくてたまらなくなってくる。  千弥は僕の様子に気付くことなく傷口を忌々しそうに舐めているのだが、僕は自分がそうすることを渇望してしまう。  ああ、僕もそうやって舌を這わせて千弥の赤い血を味わいたい――焦がれるように胸の中で呟きながら僕は密かに舌なめずりをする。 「零? 大丈夫? なんか息が荒いけど」  千弥の出血を凝視している内に興奮していたのか、僕は無意識に呼吸が荒くなっていたようで誰かから声をかけられてハッとする。  ヤバい、つい夢中で見てしまっていた……僕は血に興奮したことを悟られまいと顔を反らして立ち上がった。 「ごめん、僕、血が苦手だから……」 「あ、そうだったね。大丈夫?」 「部屋で休んでれば治るよ」  付き添おうかという先生たちの声も振り切るようにして、僕は二階の部屋へと足早に向かう。千弥が何か言いたげに僕を見ていた気がするけれど……気づいていないふりをした。  部屋に戻り、ベッドに潜り込んでうずくまりながら僕はもどかしく自分の右の袖を捲る。そこはいくつもの赤い筋と紫色に変色した噛み跡や切り傷が並んで既に痛々しい。  しかし僕はそこに思い切り、歯が食い込むほどにためらいなく噛みつく。噛みついた腕からはじんわりと血の味が滲む。 「うぅ……ッ」  痛みがないと言えば嘘になるけれど、誰にも見られてはいけないことをしている自覚はあるから声をあげるわけにはいかない。  だけどこうしないと僕はきっと誰かに同じことを、もしかしたらもっとひどい事をしてしまいかねない。そんなことをしたら、この社会にここ以外に居場所がどこにもない僕はサンハウスで暮らしていけなくなってしまう。  わかっている。わかっているけれど……本能的に血を欲してしまう衝動を抑える(すべ)がこれしかないから、僕はただ興奮と衝動が治まるまで自分を傷つけて自分の血を吸うしかない。  ――だって僕には、人の生き血をすする吸血鬼の血が流れているから。 「気分はどう、零」  ベッドの中で腕に噛り付いてどれぐらい経っただろうか。自分の血のおかげで段々と波がひくように興奮が治まり出した頃、千弥が僕の部屋を訪ねて来た。  腕から口を離して布団の隙間からそっと窺っていると、ベッドの縁に座った千弥が覗き込んでくる。千弥の顔が見えた途端、僕は布団を飛び出して千弥に抱き着いて、千弥は僕の右腕のちらりと見て悲しそうな顔をする。 「……また?」 「……ごめんなさい。でも、気分はもう落ち着いたから」  それならいいけど、と千弥は言ってそっと僕の腕をほどく。まだ触れ合えるほど近くに千弥がいて、何かを言いたげに見つめてくる眼差しが僕には先程までの興奮とは違ったドキドキを呼ぶ。  来てくれたのが嬉しくて思わず抱き着いちゃったけれど、千弥にバレていませんように……僕は祈るように目を逸らす。吸血鬼の血をひいていることも、自傷している理由も、そして今ドキドキしていることも彼には知られたくないから。  だけど千弥は困ったように小さく笑っただけで何も言わず、そっと僕の傷だらけの腕を撫でてこう言うだけ。 「今日はもう学校休みな。学校には俺が連絡しておくから」 「……うん、そうする」 「まだ休んでていいよ。後でご飯もってきてあげる」 「ありがと、千弥」  それだけの言葉を交わして千弥は立ち上がって部屋を出て行った。廊下では学校や幼稚園などの仕度をしに戻ってきた子ども達の声が響いている。  千弥は僕が吸血鬼の血をひいていることは知らないはずだけれど、血を見ると――特に千弥の血を見ると――挙動不審になることや、血を見た後にこっそりと発作的に自傷していることには、こうして様子を見に来たりするから気付いているようなのに、何も言わない。  もしかして他の子たちと明らかに違う異質なことをしている僕のその動機にも気付いていないのだろうか。……気付いていないといいんだけれど。  でももし気付いているのだとしたら……なんで気付いていないふりをするんだろう? 誰かに言ったりしないんだろうか?  その理由を探ろうと思っても、興奮が落ち着いた反動で今度は眠気に襲われ始めた僕はふらふらとまたベッドの中に沈んでいき何も考えられなくなるのだった。
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