*三

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*三

 遅い朝食のあと、僕は千弥と一緒にみんなのおやつを作ることになった。今日は蒸しパンを作るらしい。 「じゃあ俺が粉とか混ぜるから、零はカップにクッキングシートを入れていってくれる?」 「オッケー。ねえ、こっちのは?」 「ああ、ココアとバナナのはあとで作るよ」 「それ、僕がやるよ。一緒にやったら早くできるし」  僕が提案すると千弥はいいね、とうなずいてもう一組のボウルと粉のセットを渡してくる。  ベーキングパウダーと合わせた粉に更にココアを入れて、牛乳や砂糖なんかと混ぜる。混ぜたら一緒に入れるバナナを輪切りに。うっかりここで指にケガしないようにしないとだし、千弥にも気を付けてもらわなきゃいけない。でないとまた僕は彼の血を欲してしまうから。だから僕は密かに無傷であることを祈る。  学校を休んだ日はこうして千弥の手伝いでお菓子を作ったりすることがたまにあるから、蒸しパンぐらいなら僕でも作ることができる。  混ぜ合わせた生地をカップに入れ、蒸気のあがった蒸し器に並べていく。  蒸している間に調理器具の片づけをしていると、ふわふわとほんのり甘いにおいがしてきた。 「蒸しパン出来てきたね」 「手伝ってくれたから二種類同時に作れたよ。助かったよ、ありがとう、零」 「べつに、たいしたことじゃないよ」 「そう? 零が丁寧に作ってくれたからきっと美味しくできるよ」  千弥はボウルの泡を洗い流しながら嬉しそうに言う。本当に、全然たいしたことを僕はしていないのに。  手伝いをするといつも千弥はすごく誉めてくれる。千弥に褒めてもらえると、僕はさっきまであんなに彼の血を欲していたことを悔やんでいたのさえ忘れて嬉しくなってしまう。  他の先生も僕のことを誉めてくれなくはないけれど、滅多にない。それを埋め合わせるように千弥はたくさん誉めてくれるから、余計に彼の笑顔と言葉が僕を喜ばせてくれる。  セットしていたタイマーのブザーが鳴って、僕らは蒸し器の火を停める。ふたを開けると蒸しあがった蒸しパンが湯気の中で並んでいた。 「はい、零」  千弥は出来立てのココアとバナナの蒸しパンを一つ手に取って僕に半分くれた。手渡されたそれは熱いほどあたたかでやわらかいにおいがする。 「味見ってことで食べようよ。みんなが帰ってくる前に」  いたずらっぽく笑いながらそんなことを言う千弥につられるように僕も笑い、一緒に出来立てのそれに噛り付く。  僕は血とかトマトのポタージュとか生肉以外は美味しいと思えないのに、何故か千弥と作ったおやつは少しだけ美味しいと思えるんだ。クッキーもパンも、千弥となら美味しくてほんの少しだけ心が安らぐ。 「……美味しい」 「美味しいねぇ。やっぱり零は上手だね」  嬉しそうに蒸しパンを頬張る千弥の笑顔が眩しくて、僕は目に映る景色がすごくかけがえなく思えた。  ああ、失くしたくないな……ずっとこういう風に千弥と過ごせたらいいのに。祈るように小さく願いながら、僕は小さな蒸しパンを大事に味わった。  午後の三時を過ぎると、幼稚園や保育園、小学校に行っていた小さい子たちが帰ってくる。 「ただいまー、お腹空いたぁ」 「おかえり。おやつ用意してるよ」 「あー、零また学校サボったでしょ」 「具合が悪くなったからしょうがないんだよ」 「ホントにぃ?」  朝僕を起こしに来た唯菜からサボりの疑いの目を向けられたが、休んでいいと言ったのは千弥なのでサボりではない。唯菜は疑わしそうにしていたけれど、千弥からも説明をされて渋々納得したようだった。 「ズルいなぁ、あたしもお休みしたい!」 「零は具合が悪かったんだからズルじゃないよ、唯菜」 「零みたいに好き嫌いいっぱいしたら具合悪くなるかな?」 「唯菜、そういうこと言わないの。零だって休みたくて休んでるんじゃないんだよ」  千弥は生意気盛りの唯菜をたしなめていたけれど、実際のところ最近吸血鬼の血のせいか、明るい陽射しが少しずつ苦手になってきているのもあって朝がますますツラい。真相を知らなければサボりと思われても仕方ないのかもしれない。  だからと言って本当のことを話したところで信じてもらえないだろうし、事態が良くなるわけではないと思うので、ただ千弥の気遣いとやさしさに甘えさせてもらうばかりだ。  彼のやさしさが嬉しい反面、甘えてしまうことで彼へより好意を抱いてしまい、そして余計に彼を――彼の血を欲してしまって、堪えるためにより自らを傷つけてしまう。  自傷をすると千弥が心配してくれて、更にやさしくなって、そしてまた僕が自傷して……そんな悪循環のような事をくり返している。  こんな悪循環は、高校に入った辺りからよりひどくなっている気がする。小さい頃はそんなに噛むとか切るとかはしなかったはずなのに。抜け出さなきゃと思うのに、やさしさが嬉しくて自傷することもずるずると甘えてしまうこともやめられない。  本当は素直に千弥のやさしさを嬉しいと思っているのに、そう受け取れないこと、でももっと彼と距離を縮めたいと思ってしまうこと、その矛盾することがぐちゃぐちゃになって、この頃一層苦しくて仕方ない。 (――このまま甘えてばかりじゃダメだ……でも千弥がいないと、苦しい……)  誰にも言えない苦しくて痛い想いは、きっと今宵も僕に赤く刻まれるのだろう。  それが千弥に見つかりませんようにと思いながらも、心のどこかでは彼に慰められたいとも思っていた。
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