*六

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「っは、あ……っはぁ、はぁ……」  ゲームセンターの裏からどうにか走って逃げてきたけれど、下手に血を吸うような事態になったせいか衝動がおさまりそうにない。  カバンを持つ手が震えるほどで、制服も汚れていてこのままではサンハウスに帰って何か言われてしまう。それでなくても、さっきの騒ぎがすでに伝えられているかもしれないのに。  とにかくこのまま真っすぐサンハウスに戻りたくない気持ちが強かった僕は、とぼとぼと力なくサンハウスの裏手にある公園の中を歩いていた。  公園は遊具よりも遊歩道が整備されているような自然公園で、道の脇に植えられている樹には小鳥の気配がする。  小鳥……僕はどうにも血が欲しくてたまらない時、こっそりと捕まえてその血を吸うことがある。血の量としてはすごく少ないし、満たされるわけではないけれど、吸わないでいるよりはマシだからだ。そうでないと、僕はきっとさっきみたいに耐えられずに知らない誰かに襲い掛かってしまうかもしれない。 「……おいで」  ちょっと脇に入った木の枝に腕を差し伸べると、無防備な鳥が止まり木と間違えて寄ってくる。小さい頃から僕はこういう小さな生き物をおびき寄せることが得意だ。きっと吸血鬼として血に飢えないために生き物を捕えて吸血できるように植え付けられた能力なのだろう。  手のひらで包み込めるほどの大きさの灰色の鳥が、怯えることなく僕の指先に停まった。そっと傍に寄せると小さなかわいい声で鳴いている。身体に触れると微かにあたたかなのが伝わってきた。 「……ごめんね」  まったく僕のことを疑いも怯えもしていないつぶらな瞳に小さく謝って、僕は両手でつかみかかって鳥に牙を立てる。  悲鳴のような鳴き声が響いて、手の中で小さな体が懸命に暴れていたけれど、牙を食い込ませ流れてくる血の味を感じる頃にはそれも止んでいた。その間数秒もない。  すぐに冷たくなった小さな身体は、はく製のように凍り付いている。  満足したわけではないけれど、どうしようもなく血が欲しくてたまらない衝動はどうにか治まった気がする。でも代わりに、何の罪もない小鳥を殺めてしまった。  せめてどこかにお墓を作ってあげなきゃだな……そう思いながら僕が口許の血を舌先で舐めとりながら遊歩道の方へ振り返った時、何かが落ちる音がした。  音の方に顔を向けると――サンハウスの唯菜が手にしていたカバンを落として凍り付いた顔で僕を見ていた。 「唯菜……」 「……それ、死んじゃったの?」 「あ、えっと……」  マズい、唯菜は僕のやった事をいつからそこで見ていたんだろう。もし小鳥を捕まえて血を吸ったところを見られていたら……僕は血の気が引いていく。 「あのね、唯菜、これは……」 「零が、殺したの?」 「えっと、それは……」  違うと言い切れないのは後ろめたさがあるからだろうし、殺したことが事実だからだ。だけどその理由を彼女に説明していいものではないことはわかりきっている。  じゃあなんと言い訳をしたらいいんだろう……そう、冷たくなっていく小鳥の亡きがらを手にしたまま立ちすくんでいると、唯菜が悲鳴をあげて身をひるがえして駆けだす。 「唯菜!」 「来ないで! 化け物!」  叫ぶように拒まれ、背を向けてかけていくツインテールの後ろ姿を僕はそれ以上追いかけることができなかった。  唯菜は僕がやったことを誰かに言うんだろうか。例えば、千弥とかに。  もしそうなったら、僕はどうしたらいいんだろう。なんて言い訳したらいいんだろう。千弥もそんな僕を化け物だと思うだろうか、軽蔑して冷たく僕を見つめるだろうか。そうなってしまったら、僕はどこに行けばいいんだろう。  暮れていく公園でひとりきり、僕は絶望の淵にたたずんでいた。  どうやってサンハウスまで帰ったかわからないけれど、辿り着いた僕を見る他のみんなからの視線が痛い。奇妙なものを見るような目で見てくる。  あれから僕は公園の遊歩道の奥の樹々の根元にあの小鳥の亡きがらを埋め、たくさんごめんと言って小さなお墓を作った。  お墓を作ってきたせいで泥だらけになっている僕の姿を、特に小さい子たちが怯えた目で見てはサッと目を反らす。  避けるようによそよそしいみんなの様子にいやな予感を覚えながら洗面所で手を洗っていると、後ろで朝陽がじっと僕を見ていた。 「なに? どうしたの?」  僕が努めて何でもない風に微笑んで振り返ると、朝陽は「きゃー!」と叫んで駆けて行った。  いきなりそんな声を出さなくても……と、僕が洗面所から顔を出してみていると、朝陽が駆けて行った先にいた職員の先生が抱きとめる。そして僕の方をやっぱり何か妙なものを見るような目で見て、そっと伏せた。  なんでそんな顔をされなきゃなんだろう……不快感と不安が入り混じり手足がじんわり冷たくなっていく。 「せんせぇ、こわいよぉ」 「大丈夫、零くんは怖くないよ」  先生にしがみついて僕を怖がる素振りをする朝陽に、先生はなだめるようにそんなことを言う。  まるで僕が怖いことをしたような言い方をされてますます不安を覚えていると、先生は僕の方をぎこちなく微笑んで見ながら呟いた。 「大丈夫だよ、零くんは鳥さん食べちゃったりしないからね」  先生の言葉に僕は凍り付いて動けなくなった。やっぱり唯菜は見ていたんだ……さっき僕が小鳥の血を吸ったのを……そして、それはもうみんなが知っていて――瞬時にどうしてさっきからみんなに変な目で見られている理由がわかり、身体が床に沈み込むような衝撃を受ける。  どう言い訳をしよう。どう真実を伝えよう。信じてなんてもらえないに決まっているのに……重たい絶望感が僕を頭から呑み込んでいき、苦しくなる。  震えだしそうなほどの息苦しさに耐えかね、僕はその場からどうにか離れることしかできなかった。  どうしよう、きっともう千弥も知っていて、僕のことを化け物だって思っているんだ……渦巻く絶望感を抱いたまま、僕は部屋に飛び込んだ。  夕食時になって誰かが呼びに来てくれても、とても食事をする気になんてなれなかったのでそのままいまもベッドの中にいる。  お風呂だ自由時間だと他の子たちの声がするのを聞きながら、僕はただひたすらこれからどうなるのかを考えていた。  井口のことにしても、ゲームセンターの店員に見つかったみたいだから何か警察から事情を聞かれているかもしれない。そしてそこで僕がやったこと――首筋を噛まれたとか血を吸われそうになったとか――を言っているんじゃないだろうかと考えてはその先に待ち受けているだろう未来を想像して目の前が暗くなった。  その上僕は帰り道に小鳥を殺したのを唯菜に見られてしまっている。それで彼女に吸血鬼であることがバレたかどうかはわからないけれど、どちらの状況でも僕が加害者に思われているのだろう。  そうなったら……千弥は、なんて言うだろうか。 「零? ちょっといい?」  どれくらいベッドの中でうずくまっていたかしれない。廊下や隣の部屋なんかが静かになった頃、千弥がドアをノックしてきた。  僕がベッドから顔を出すのと、千弥が中に入ってくるのはほぼ同時で、廊下の明かりを背負って僕を見ている彼はいつになく真剣な面持ちだ。  ――あ、怒られるんだ。反射的にそう思った僕は、めくりあげた毛布を握りしめて動けなくなった。  いままで千弥に怒られたことなんて一度もないけれど、特段僕がいい子だったわけではなく、千弥が僕をむやみに怒ったりしないだけだ。夜型体質で偏食がひどくてトマトやお肉以外ほとんど食べないのに、千弥はただ困ったように笑っていたりするばかりだった。  でもいまは、にこりともしていない。いつもの柔和(にゅうわ)な笑みはどこにもない。きっとどこからか今日の放課後の出来事を知らされて、僕がすべて悪いと言われて、僕はサンハウスを出て行けと言われるんだろうと察した。  なんて言えばいいだろう。僕は悪くない、むしろ被害者だと言えばいいんだろうか。井口に襲い掛かっておきながら、小鳥の血を吸っておきながら、信じてもらえるかもわからないのに。
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